ルイの場合
いつものように迎えに来たストラスの車の中でストラスとルイは入れ替わった。ルイそっくりに変身したストラスはルイの頭をやや乱暴に撫でる。今日の運転手はエストリエで知的なリツの母親に変身していた。
「そんな不安そうな顔するな、俺なら大丈夫だ」
「うん…でも…」
「ルイは大人しく家で待ってろ」
ルイの姿のストラスは軽い足取りで車から降りると手を振った。
「じゃ、出すわよ」
エストリエが言って車は動き出す。
「あの人なら頑丈だから大丈夫よ。だからルイもそんな顔しないの」
リツまでがルイの横顔を見ていると不安になってくる。リツが思わずルイの手を握るとルイも握り返してきた。
「どうしよう…怖くなってきたよ」
ルイは気弱な声で呟いた。
***
その数十分後、数日振りに実家に帰宅したルイの姿のストラスは、彼を迎え入れた使用人と思われる人物に言われるがままに、その後ろを歩いていた。浴室に連れて行かれて服を脱がされる。家でのルイが寡黙で助かったとストラスは思った。淡々と粛々とひたすら相手に従う。諦めと無気力。記憶を読んだからこそ分かるルイの絶望がストラスの脳裏を過った。
背中の傷痕にボディソープがしみる。だがここから先に与えられる痛みはこんなものでは済まないことも予想はついていた。使用人の男も無言だったが粘つくような触り方がひたすらに不快だった。ようやく洗い終わって浴室から出る。白い着物のような服を着せられた。後にそれが死装束と知ってストラスは腹を立てたのだが、このときはまだよく分かっていなかった。そのまま広い屋敷の奥の部屋へと連れられてゆく。不気味なほどに静かな家だと思った。
「反省の準備が整いました」
彼が告げて部屋のドアを開けるとそこには異様な光景が広がっていた。
(悪趣味だな)
白で統一された部屋にはルイよりも先に幼い少年がいた。上半身が裸で、すでに何度も鞭打たれた跡のある少年はルイを見ると安堵とも不安ともつかない泣きそうな表情を浮かべてこちらを見た。
「カイトよりも罪深い子が帰ってきましたね、お父さま」
お父さまと呼ばれた白髪の初老の男性の両隣には美しい顔立ちの青年が二人侍っていた。これも兄弟たちだとデータを見たストラスは分かっていた。罪を許された兄たちは、虐げる立場に逆転する、そうルイが言っていた。ルイが一番恐れているのは、その立場に成り変わる寸前の自分自身だとストラスは彼の悪夢を覗き見て理解していた。
「どうかこれまでの僕の罪を…お父さまの手によって…清めて下さい…」
反吐が出そうだと思いながらストラスは自ら上半身を晒す。ルイは声を上げないようにいつも着物の端を噛んでいた。ストラスもそれを真似て口に含むと目の前の白い大理石の台に両手を置いた。
ヒュンという音と共に背中に鋭い痛みが走った。
(あぁ…何百年ぶりかの感覚だぜ…畜生、鞭の使い方に慣れていやがる)
「反省会」は始まったばかりだ。ストラスは歯を食いしばって次の痛みに耐えた。
***
同時刻、おおよそ人の目には判別できない姿になったガブリエルは天井の梁の上から、悪魔に預けられた小型のカメラで一部始終を盗撮していた。
(何の因果で悪魔の拷問シーンなんぞを鑑賞しなきゃならないかねぇ)
しかも拷問に等しい扱いを受けているのは悪魔の方だ。ガブリエルにはルイの姿に重なるようにしてストラス自身の姿も透けて見えていたが、毎週そんな素振りを見せずに喫茶店に笑いながら顔を出していたルイのことを思うと次第にムカムカしてきた。
ガブリエルはルイとはそこまで長い付き合いではない。せいぜいがここ二ヶ月程度だ。リツの後をつけてひっそりフォローしていた年数の方がむしろ長かったが、そのことを誰かに明かすつもりもなかった。
ルイに出会ったのはたまたま買い出しに出た日の出来事だった。雨の中傘も差さずにルイは雨を浴びるかのように空を見上げていた。綺麗な顔立ちだが男子なのにスカートを履いているし何だかちぐはぐな印象を受けた。行きは通り過ぎたが買い物が終わって店を出ても同じ場所にルイはいた。なんとなく放っておけなくて店に連れて帰った。濡れた服を脱ぐのを嫌がるので無理矢理脱がせたら、背中に鞭打ちの跡があった。
「見なかったことにして。僕、こういうハードなのが好きなんだよ。お兄さんも僕と遊ばない?」
今思えば精一杯の強がりだったのだと思うが、生憎とガブリエルにその趣味はなかった。おまけに傷の手当てをしようとしたら拒否された。
「治したらダメ。このままにしておいて。ねぇ遊んでくれないなら僕を殺してよ」
頑なな様子に治療は諦めて身体だけ乾かして最低限傷口の消毒をし、あとは長時間抱きしめることでゆっくりと魔力を補給した。その間もルイは自分のことは一言も語らなかった。ガブリエルも余計なことは聞かなかった。その後、度々顔を出すようになったが、事ある毎にルイは殺して欲しいと口に出した。
(結局はこの胡散臭い見た目を変に信用されたってことなんだよな…人殺しくらいできるだろうって…おまけに魔界の連中みたいに身分の差し込みすらしていないから幽霊みたいな存在だったし…)
ストラスの背中の皮膚が破れ血が流れ出す。この悪魔も大概酔狂だ。わざわざ代わってやるなどと。それでも毎週こんな風にルイも耐えていたのだろうかと思い、鞭を振るう男を苦々しく見ていたら、急に下が騒がしくなった。
「十九時十三分、転生者虐待の現行犯で逮捕する!」
警察官がなだれ込み、何がどうなったのか見えなくなった。撮影を終わらせたガブリエルは気配を消して外に出る。しばらくすると、弁護士を呼べと叫ぶ初老の男がパトカーに乗せられ、呆然とした様子の若者二人も連行されてゆくのが見えた。やがて救急車に運び込まれるルイの姿のストラスとその弟が見えた。
(お疲れさま)
中空でリツに声を掛けられたガブリエルは驚いて小型カメラを落としそうになった。
(そんなに驚くことか?)
黒い翼を生やしたジーンと同じく少し小ぶりの翼のリツが夜空に浮いていた。
(いやぁ、そりゃぁね)
二人とも一昨日とは比べ物にならないほどの強大な魔力量だ。二人の間に何があったのかをガブリエルは瞬時に察した。
(カメラを返してもらおう。これは魔界の備品なんだ。なくすとストラスに文句を言われる)
(そのときは私のせいにするんじゃなかったの?)
傍らのリツが優しい笑みを浮かべるのを見て、結局自分は悪魔に敗北したのだなと、ガブリエルは思った。
(いつからだ…?)
ガブリエルの問いにアルシエル本人の姿に近づいたジーンが低く笑った。
(いつから…?ざっと六百年前ほどから、かな)
(なるほど完敗する訳だな)
(勘違いするな。私の一方的な片想いの期間がそのくらいだったという意味だ。五百五十年間探し続けてようやく見つけ出して本人の了承を得てからは、まだ一週間も経っていない)
(どちらにしても…その根気強さには負けたよ。時間を何百回と巻き戻してやり直すほど、僕は執着できなかったって意味でも君には完敗だ)
(いったい何の話?)
リツが首を傾げる。ガブリエルは笑った。
(今の君を失わないために、この悪魔は何百回も時間を巻き戻したんだよ。やり直してやり直してやり直して…今の君をようやく繋ぎ止めた)
(えっ?ジーン、どういうこと?)
リツは隣の悪魔を見上げる。
(リツは気にする必要はないよ。今君が隣にいるならそれでいいんだ)
ジーンはリツの腰を抱き寄せる。
(今日はリツの初飛行記念日なんだ。悪魔になってから初めて飛んだからね)
ガブリエルを振り返りジーンは告げる。
(ルイの弟を頼むよ。いずれは君が引き取ることになるだろうから。ルイは近々我々が連れてゆく。ルイは無意識のうちに本来の使い魔の立ち位置に戻りたいようだ。あれはどうやらリツと一緒にいたいらしい)
(なるほど…ね。リツの使い魔か。何度も殺してくれと頼まれたけど首を絞めなくて良かったよ。どうしても出来なかったんだ)
物騒なことを口にしてガブリエルは片手を上げる。リツは小さく手を振ると悪魔の夫と共に星の輝く夜空へと消えていった。




