リツ&ルイの場合
「おかえりリツ。早かったね」
今回は休み時間の間に戻ってくることができたリツにルイが言う。ルイと話していたトウマがそっとスマホの画面を見せてきた。
「リツにもよろしくって」
小声で言う。そうか異世界にあるリンの身体が目覚めたのだとリツは気付いた。
「知らない間に追加されてたからびっくりしたよ」
トウマはそれでも嬉しそうに笑った。
「これからリハビリが始まるって言ってた」
トウマの中のリンが僅かに切ない表情を浮かべたのが分かった。果たして事故に遭った、かつての自分の両足はどこまで回復するのだろうか、と考えているようだった。そんな不自由な身体をトウマに与えてしまった。手放しでは喜べなかったが、お互いが自身の生まれ持った身体に抱いていた違和感はようやくなくなった。
ふと教室を見ると、いつの間にか今野の席には誰もいない。鞄もなくなっていた。
「あぁ、腹が痛いって早退したみたいだよ。そりゃあんな姿を晒したら帰りたくもなるよね」
リツの視線の先を見てアサヒが小声で言う。今野の取り巻きは彼が消えると途端に勢いを失い静かになっていた。気まずそうにヒソヒソとこちらを見ながら話している。リツがじっと見ると慌てて目を逸らした。
「感じ悪いなぁ」
リツは口ではそう言いながらも大して気にする素振りもなく学園内の見取図を見ていた。
「何?見取図なんか見てて面白い?」
ルイが横から覗き込む。
「ううん、ただ立体的な位置関係と最短距離を確認しておこうかと思って」
「あぁ四時間目は体育だからね。でもこの前通った経路が一番近いと思うよ」
「魔力って、どの程度使ってもいいものなのかな…」
右手の掌を見つめるリツの言葉にルイは不穏なものを感じた。
「あんまり派手なのは使わない方がいいと思う…」
「目立つってこと?じゃあ目立たなければ大丈夫なのかな?」
微妙にルイの言いたかったニュアンスとはズレが生じた気がしたが、そのときチャイムが鳴って会話はそこで終了になってしまった。
***
三時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ると着替えの入ったバッグを片手にしたリツがもうルイの横に立っていた。ルイの分の着替えもすでに持っている。
「行くよ、ルイ」
そう言ったリツは何故かそのまま教室のすぐ近くのトイレにルイを連行する。
「えっ?何?」
たまたまトイレは無人だった。
「手、離さないでね」
そう言ってリツはルイの手を握る。足元に一瞬円形の何かが光って浮かび上がるのが見えた気がした。次の瞬間には視界が暗くなって再び明るさを取り戻すと、いつの間にか二人は体育館横の個室の中にいた。
「うん、できた」
リツは上機嫌で鍵をかける。
「えっ…?何?これって瞬間移動ってやつ?」
ルイは信じられない様子で個室を見回す。
「昔やってたことの感覚が少しずつ戻ってきたから。ジーンと戦ってたとき、瞬間移動はお互いよく使ってたよ」
「戦ってた…?」
ルイはジャージを出しながら首を傾げた。ワイシャツを脱ぐと脇腹の辺りにわりと新しい赤い傷跡が見えた。リツは思わず目を伏せる。ジロジロ見てはいけない気がした。
「うん。戦ってたよ。ジーンの率いる軍隊と私の率いる軍隊とで。でも途中からお互い何のための戦争なんだ?っていう、まぁ…いわば司令官同士の話し合いになって、部下の屍の山を築くのは無駄じゃないかということで、その後はお互いの軍が出会った場合は二人で戦うことが暗黙の了解になっていったんだよね。表向きは大将同士の一騎打ちってやつ?」
リツは話しながら着替えていたので自分の背中がどんなことになっているのかもあまり意識していなかった。着替え終わって振り返るとルイが赤くなっていた。
「リツ…前だけじゃなくて…背中の方が…すごかった…その…模様になってた…ハートの…」
「え…」
聞いたリツまで赤面する。見えていないから気付いてもいなかった。確かに思い返せば執拗なほど熱心に口付けされていたような気もするが、そんな悪戯をされているとは全く思っていなかった。
「あぁもう、ジーンったら…」
赤くなって顔を覆ったリツにルイは言う。
「でも、そういうところも含めて好きなんでしょ?リツが軍を率いてるところなんて想像つかないけど、何のための戦争なのかって疑問には共感するかも」
リツが顔を上げるとルイは真面目な顔をして話し始めた。
「世界で起こっている戦争のうち、何がきっかけで戦争になったのかなんて、明確な理由すら分からないまま徴兵されて前線に送り出される若者もいるに違いないって思って。そんな中で部下を守る選択をした司令官だった二人は天使としても悪魔としてもきっと優秀だったんだと思うよ。僕が元いた世界でもやっぱり戦争はあったからね。戦う意味すらよく分かっていない下っ端は当然捨て駒だった」
ルイはロッカーに荷物を入れて鍵をかける。リツは苦笑した。
「神に対しても私は訊いたんだ。何のために我々は戦っているのかと。神は仰った。悪魔に魂を売り渡したのか、この反逆者めって。知らない間に直属の上官だったガブリエルもいなくなっていて、私が殺したと無実の罪を着せられて堕天させられた。質問の答えは得られなかった。神にも答えられない質問なんかするもんじゃないね。今度はもっとうまく立ち回ることにしようと思って今に至るって訳…」
「あぁ…答えられない質問や突っ込まれたくないところを指摘されると逆ギレする人がいるけど、それと同じパターン?僕の元いた世界の神さまって呼ばれる存在とは随分違うね。あれ?なんで僕、思い出したんだろ。ずっと忘れてたのに」
ルイは自分で言っておきながら不思議そうな顔をしてリツを見つめた。
「多分…ルイの魔力も前よりも増えてきてるから記憶がハッキリしてきたんじゃないのかな?この件に関してはあまり自信はないけど…」
リツは小声で返答した。
***
「おーい、そこの二人、付き合ってるからって熱々なのを見せつけるなよ」
休憩時間にもルイがリツのことを気にして水を運んだり、さりげなく視線から隠したりしているのを目敏く見ていた松田に冷やかされる。ルイがひたすら気にしているのは見えそうな際どい位置の凄まじいキスマークなのだが、端からはそんな風に見えているらしかった。
「センセー彼女いないからっていちいち絡み過ぎ。そっとしておいてあげなよ」
コウキが言うと周囲から笑い声が上がった。底抜けに明るいコウキの周りには人が多い。やがて近くにトウマとアサヒがやってきた。
「あ!?」
座っていたリツを上から見下ろした瞬間に、アサヒの口から変な声が出た。リツは慌ててティーシャツを直したが遅かった。
「…見た?」
リツの必死の表情に動揺しながらアサヒは頷く。
「うん…なんか…すごいのが」
「見なかったことにして」
「ちなみに…それやったのって…ルイじゃないよね?」
アサヒの言葉にルイは意味深な笑みを浮かべて肩に腕を回すと、耳元で囁いた。
「なに?もしやったのが僕だったら、アサヒもあんな風に同じ跡つけられたいの?」
「は?何言ってんの。一応確認しただけだよ。リツのパートナーでしょ?未成年に法律違反ギリギリの接触してるなって思っただけ。リツ、大丈夫なの?」
アサヒはどうやら本気で心配しているようだった。
「大丈夫。昨日はたまたま…お互いすごく消耗してたから…こうなっただけ…」
「ならいいけど。なんかゴメン、余計なこと言って。今朝のニュースのせいかな。また転生者虐待事件があったでしょ」
「そんなの日常茶飯事じゃん。今更だよ」
何の感情も籠もらないルイの言葉にリツの方がどぎまぎしてしまった。むしろ虐待されているのはルイの方だ。やがて休憩時間は終わって再び試合が始まったが、リツはぐるぐるとそのことを考えてしまった。今夜は反省会だ。計画はうまくいくのだろうか。ジーンがいるから大丈夫、と思いたかったが僅かな不安もあった。
***
「ルイって金曜はいつも昼食べないんだよ。ダイエットとか言って。別に太ってないのに」
見慣れているのかアサヒが言う。あえていつも通りに振る舞うことに決めていたルイはミネラルウォーターだけを飲んでいた。
「気にしないで食べてよ。どうしたの?リツ、今日はちょっと少なくない?」
リツの方が変に緊張して昼食も喉を通らなかった。機械的に口に運ぶ。反省会のとき無様に吐いたりする方がしんどいから、そうするようになったとルイは平然と言い放った。
周りの会話が右から左へと素通りしてゆく。なんとなく笑って相槌を打ったりしていたが集中できなかった。時間になったのでリツもいつものように医務室へ向かう。
「ルイも来て」
「うん、じゃ、また後で」
ルイも席を立って歩き出したが小声で囁いてきた。
「どうしたの?何か変だよ?」
「ごめん…なんか…緊張してて。変だったよね」
医務室に着くとちょうど担任の風間が足取りも軽く出てゆくところに出くわした。
「二人最近仲いいよなー。ルイ、でもあんまり邪魔するなよ?」
風間はジーンとの関係をどこまで知っているのだろう。リツは曖昧に微笑んで医務室のドアをノックした。




