ジーン&リツの場合 20
学校に着いて裏の駐車場から二人が正門の方へ向かうと、どういう訳か今野泉が複数人に取り囲まれて得意気に話しているのが見えた。
「なんで?三日間の出席停止なんじゃなかったの?」
小声でリツが言うと、隣のルイが皮肉な笑みを浮かべた。
「殊勝な顔して反省した素振りでも見せたか、高額な寄付金を積んだか…まぁ色々とやり方はあるんだよ」
リツは反射的にルイと腕を組む。ルイは僅かに目を見張ったが何も言わなかった。
「おはよう、今野くん」
通り過ぎざまにリツが輪の中心の今野に声を掛けて片手を上げる。二人の姿を見た今野の顔から急に嘘くさい笑みが消え失せ怒りを顕にするのが感じられた。周囲を囲んでいた数人がギョッとして離れる。
「ルイちゃん、大人しくしてると思ったのに、どういうこと?」
けれどもルイに触れる前に間に割り込んだリツがその手を払った。パシッと音が鳴る。周りがざわついた。
「僕がルイと付き合うことにしたから、今野くんは今後手出ししないで」
リツが静かに告げると彼はいかにも下の者を見るような顔付きでリツをじろりと見る。口元が歪んで途端に残忍な表情になった。
「元天使と対等でやり合うつもり?君って思ったよりも相当頭が悪いんだね」
不快な目付きだ。リツはおもむろに手首のリストウォッチを外してポケットに入れた。魔力量の異常で破壊しては困るからだった。
「元天使ってそんなに偉いの?智天使程度の階級でそんなに偉そうにしてる天使、僕は見たことないんだけど。今度サリエルに報告しておくね。今天界を仕切ってる頭は実質サリエルだから」
「は…?何言ってるの?口から出任せ言うなよ。天界を仕切るのは神の役割…」
そう言いながらも相手からは明らかに動揺する気配が伝わってきた。
「別に出任せだと思うならそれでもいいよ。僕はもう天界とは関係ないから。ただ君がやたらと転生カーストに拘るから、それなら僕も則ってマウントを取らせてもらうよって話。僕は悪魔になったからね。しかもけっこう上の階級の。昨日までは自分は智天使レベルの魔力かなって思っていたけど、もっと爆上がりしちゃったみたいなんだ」
リツはニコリと笑って小柄な今野の目を覗き込んだ。
(僕は君に分かりやすい言葉で言うなら魔王の花嫁。でも彼は魔王って呼ばれるのを嫌がってるから魔界の国王って名乗ってる)
リツは魔力を目の前の元天使にのみ向けて開放した。圧倒的な悪魔の力に晒されて今野は尻もちをついた。更に一歩リツが踏み込むと彼は青ざめて後退りした。
「やめろっ…来るなっ!」
今野の目には黒い翼の生えた美しい悪魔の姿が見えていた。その後ろに更に鉤爪の生えた大きな翼を持った角のある巨大な男の影がちらつく。あれが魔界の国王。底知れぬ魔力に恐れ慄く。
「うわあっ!」
叫ぶのと同時に今野のスラックスの股の辺りに濡れた染みが広がった。彼は失禁していた。
「ルイは僕がもらうよ。君には二度と渡さない」
ニッコリと笑ってリツは再びルイの腕を取る。何が起こったのか分からない間に今野は正門前に取り残された。
「イズミ、大丈夫?」
起こそうとした生徒はそこで泉の状態に気付いてその顔を二度見した。
「うわっ、漏らしてるじゃん!なんなんだよ」
周囲が次第にざわつき出す。騒ぎを聞きつけて門の外で挨拶をしていた教師が駆けつけるのが見えたが、リツは素知らぬフリをしてルイと共に校内に入った後だった。
「リツって…やっぱり悪魔だね」
ルイが呆れたように笑い出す。
「今頃気付いたの?怖くなった?」
「ううん、頼もしいよ。それに僕はリツの本当の姿を見ても、あんな風にお漏らししたりはしないと思う」
先ほどの光景を思い出したのか、ルイは笑い出す。可笑しくて仕方ないという風にルイはその後もしばらく笑い続けていた。
***
「…これはどういうことかな?」
いつもの時間に医務室を訪れたリツはリストウォッチを目にしたジーンに説教をされる羽目になった。あの後教室に行って手首にはめたときに気付いた。ポケットに入れたリストウォッチは見事に壊れていた。何の反応もない。外したのに意味がなかった。
「…今朝の騒ぎはやはりリツか。ストラスが怒るぞ?私もタブレットを破壊したら、しばらく嫌味を言われたからな」
医務室に来た今野泉は自らの名誉を守るために急にお腹が痛くなったと言い訳をしたようだった。それでも苦し紛れの言い訳だとジーンは思ったが、リツの魔力に晒されて失禁したことだけは頑なに口には出さなかった。元天使のプライドかもしれなかった。
「それにしても…リツの魔力量が予想以上に上がり過ぎてしまったな。少し貰うぞ」
そう言ってジーンは唇を重ねてくる。吸い取られるのは初めてだった。リツはいつも自分が魔力を受け取る際のジーンはこんな感覚だったのかと不思議な気持ちで身を任せていた。
「当たり前だが、魔力回復薬よりも旨いな」
ジーンは笑う。いつも魔力切れでフラフラしていた自分がすっかり遠いところに行ってしまったような気がした。昨晩抱かれただけでこんなことになるとは思ってもみなかった。
「こんなに魔力が爆上がりすると知っていたなら…もっと早くにこうするべきだったかな…」
ジーンが耳元で囁きながら腰に手を回す。どんな姿をしていても、ジーンはジーンだとリツは思った。魔力を吸い取られるのも心地良い。
「今夜は潜入捜査だ。伊集院家の反省会とやらをガブリエルに盗撮させ警視庁の知り合いに共有する。我々の仕事はルイのフリをして潜り込むストラスの回収だ。最初リツは連れて行かないつもりだったが…これだけ元気なら問題ないだろう。転生者への虐待は異転撲も絡む案件だからな」
ジーンはリツを抱きしめたまま低い声で告げた。
「ジーンも異転撲なんて略称、使うんだね」
リツが笑うとジーンは何を今更という顔付きで言った。
「当たり前だ。あんな舌を噛みそうな長い名前を名乗るのは名刺交換のときくらいだぞ?」
ジーンはそう言いながらデスクの上のパソコンの画面をチラリと見た。思わずつられて画面を見たリツはトーク画面に脱力した可愛らしい悪魔のスタンプを見つけた。ストラスだと直感した。
「あいつはリツだと怒らないのか…今度魔界の備品を破壊したときは、全部リツのせいにしておけば丸く収まるかな」
「なにそれ、ひどっ!」
リツがジーンの胸を叩くと、ジーンは楽しそうに笑った。笑いながら叩く腕を封じるように抱きしめられる。ジーンのゆるぎない魔力を感じ取れる距離で抱擁されたリツは安心して目を閉じた。




