ジーン&リツの場合 19
その日ジーンはかなり夜遅くに帰宅した。若干気まずい思いをしながら風呂上がりのリツが出迎えると、ジーンも同じなのか、いつもよりも態度がどことなく素っ気なかった。
「お帰りなさい」
「あぁ…ただいま」
抱きしめることもなくリツの横を通り過ぎる。が、振り返ってジーンは言った。
「体調は大丈夫か?今日はすまなかったな…」
「大丈夫だよ」
言いながらリツもぎこちない返事になる。
「おかえりなさいませ」
どこからともなく現れた黒木にジーンは告げた。
「食事は不要だ。風呂に入る」
そのままジーンは行ってしまう。ジーンの姿が消えてからエストリエがリビングから顔を出しリツを手招きした。片手には何故かスプーンを持っている。キッチンでルイがアイスを食べているのが見えた。隣ではストラスがバニラアイスにラム酒を垂らしているところだった。楽しそうで少し羨ましくなる。
「多分そのまま寝るつもりだと思うから、そろそろ寝室に行って準備しておくといいわ。ちゃんとアレ飲んでね。健闘を祈ってるわ」
エストリエはそう言うとリツの肩を優しく抱きしめた。
***
リツは無駄に緊張しながらベッドの中で待っていた。途方もなく長い時間が流れたような気がしたが、実際には二十分かそこらだった。寝室のドアが開いてジーンの入ってくる気配がした。
(ダメだ…なんでこんなにバクバクするの?)
リツは思わず息を止める。丸まったままのリツの肩にジーンの手が触れた。
「…怒ってるのか?」
「え?怒ってなんか…いないよ…」
ジーンの指先が首筋に触れる。が、傷がないことにすぐに気付いたようだった。
「治したのはストラスか」
「…うん…」
深いため息と共に唇が重なる。どことなくジーンの苛立ちが伝わってきた。ストラスが治したからだろうか。魔力が流れ込むのと同時に眠りを促す力が流れ込んでいるのも感じられた。分かるのはキャンディを舐めたせいかもしれなかった。
「リツ…傷付けてすまなかった」
「大丈夫…だから」
眠りを促す魔力が更に増えてゆく。リツは目を閉じていつものように力を抜いた。ジーンがそっと抱きしめてくるのを感じた。でもまだ早い。リツはそう思いながら抱きしめる腕の温もりを感じていた。
***
ジーンはリツの寝息を確認していつものように寝室から出て行こうとした。静かに起き上がる。だがベッドから出ようとしたときにバスローブの袖を握られた。暗闇の中でリツの目がぱっちりと開いていた。
「どこに行くの?手が冷たい…身体も…」
何故目を覚ました?ジーンは僅かな焦りを覚えた。そうして、それを悟らせてしまった自分に嫌気が差す。
「いつまで…我慢するの?私は…ジーンとなら平気だよ?」
リツは起き上がるとジーンに正座して向き直った。
「ジーンにとって…魅力はないかもしれないけど…それでジーンの魔力が元通りになるなら…私は嬉しいし、その方がホッとする」
リツの言葉にジーンは珍しく苦しげな表情を浮かべた。沈黙の後に言葉を選ぶかのようにジーンは話し出した。
「違うんだ…加減ができるか自信がないんだ…この世界の空気は…思った以上に魔力を消耗する…だからここにいたら私はきっとリツを傷付けてしまう…」
リツの指先がジーンの腕の度重なる注射で硬結した部分に触れて優しく撫でる。
「大丈夫だよ。そう簡単に…私は傷付かないし、壊れたりもしないから」
手を伸ばせば途中で止められないことも分かっていた。それでも結局ジーンはためらった末にとうとうリツに触れてしまった。平気だと口に出しておきながらも、その身体は僅かに震えている。一度触れるともう引き返せなかった。口付けをしながら優しく抱き寄せる。互いの鼓動がとても早いのが分かった。荒々しく貪りたいという欲求を懸命になだめながら、ジーンはバスローブを脱がせてゆく。
その後に起こった奇跡をジーンはこれから先、幾度となく思い返すことになるだろうと思った。一つも見逃すまいと己の腕の中のリツの一挙一動をその目に焼き付ける。絡まる指がジーンの冷え切った手を温めてゆく。約六百年の間、恋焦がれて止まなかった魂をついにその肉体ごと掻き抱いて、その夜ジーンは初めてリツと一つになり愛を交わし合った。
***
翌朝、主の寝室の扉の前で黒木が困ったように主人を呼ぶ声が聞こえた。
「おはよう。どうした?」
すでに着替えを終えていたストラスが顔を出す。
「それが…約束の時間に起こそうとしたのですが、お返事がなくて…スープが冷めてしまいます…」
ストラスはノックをする。
「ま、文句を言われても俺は気にしないんで」
ドアを少し開いて中を覗く。
「あらら?」
主はリツを抱きしめてぐっすりと眠っていた。腕の中のリツもどこかあどけない寝顔を晒している。二人とも裸だった。
後ろ手にそっとドアを閉めて、ストラスは首を横に振る。主が目覚めないなど、この約五百五十年間見たことがなかったが、そういう訳かと納得した。ようやくだ。ホッと胸を撫で下ろす。
「俺がなんとかしておくので、黒木さんは下がっていいよ」
さて、どうしたものかとストラスは時間を確認する。二人ともの遅刻は避けたい。まずは主だけでも先に起こさねば。あまり使いたくはないが、主従関係を結んだ際の連絡手段の一つを選択する。主の脳内に直接呼び掛けた。
(起きて下さい。学校に遅刻しますよ!)
程なくしてカタリと寝室内で物音が聞こえた。扉が開いて雑にローブを羽織った主が顔を出した。不機嫌極まりない顔付きをしている。が、昨日帰宅したときとはまるで別人のような揺るぎない強力な魔力を放っていた。
「モーニングコールが脳内に響くお前の声とは、実に不快な目覚め方だな」
「黒木さんが困っていたんで仕方なくです。昨晩は随分とお楽しみだったようで…魔力もケタ違いに上がったようで何よりですよ…」
ストラスの笑みを含んだ声にジーンは目付きだけで殺せそうな視線を送ったが、何も言わずに朝食のワゴンを室内に運び入れドアを閉めた。だがすぐにまたドアが開いてストラスは訊かれた。
「お前、リツの裸を見てなどいないだろうな?」
眼球ギリギリに鋭利に伸びた爪の先を突き付けられる。
「そんな…見る訳ないじゃないですか」
ストラスは両手を挙げて目を逸らす。本当は少し見てしまった。腕にも肩にも赤い跡が散っていた。口が裂けてもそんなことは言えない。
「危うく…その目玉をくり抜くところだった…いいか?二度目はないぞ」
バレている、と思ったがとりあえず両目とも無事で胸を撫で下ろす。閉じた扉の前でストラスは久々に脱力した。顔を押さえてずるずると座り込む。
(おっかないなぁ。なんなんだ、あのとんでもない魔力量は…相手がリツさんだからなのか…?)




