新婚旅行の場合 51
「リツさんのお腹の子が…天使?」
ストラスのどこか間の抜けた顔にアルシエルは眉を上げる。
「ストラスでもそんな顔をするんだな。別に驚くことでもないだろう。リツの転生前はフィランジェル…天使なんだからな。それに堕天した罪もでっち上げ…私は確かに魂を譲り受けるのに便宜上悪魔にはしたが…子どもが先祖返りしたって別におかしくはない…」
アルシエルはリツの肩に手を置いた。
「ま、そんな訳だから勤勉な君には産婦人科医の資格を取得してもらうよ。自らの手で我が子を取り上げたいだろう?」
アルシエルに言われると、ストラスは確かにそれもそうだと思ってしまった。エストリエやルイの子を自分の手で取り上げる、そのことが悪魔のストラスにはとても魅力的なこととして認識された。
「主には敵いませんね…言われてみたらその通りです」
ストラスは魔界の資格取得プログラムの装置を手に取ると意を決したように頭に装着した。ストラスの意識はそちらに集中して、しばらく周囲の会話は認識しなくなる。エストリエが素通りを見てクスリと笑った。
「我が君は私よりもストラスの取り扱いを心得ていますね。乗せるのがうまいんですから」
「…何しろ、ガブリエルの妻も妊娠しているんだ。可能性としては向こうも天使の確率が高い…となると、万が一誰かの出産が重なっても対応できる者がいた方がいいと思って、ラウムにも助産師の資格を取らせているところだ。戻る際は念のために出産に使えそうな魔界の医療機器を一式持って行くことにした。エストリエも魔界だからと無理をするんじゃないぞ?仕事をするのも程々にな」
「分かっていますわ。それに、しばらくはお腹の子を最優先に過ごそうと思っていますから、ご安心下さい」
「ねぇ、早くお土産買いに行こうよ!」
ルイがリツに言うのが聞こえて、それを見たケビンが笑っていた。
「向こうじゃヤバい成分に該当する物は買うんじゃないぞ?それに生き物は止めておけよ?でっかいクモとかさ」
「ケビン、そんな非常識なもの買うわけないじゃん、何言ってんの!」
「まぁまぁ二人ともケンカしないでよ…」
リツが言い合いを始めた二人を見て割って入る。
「チョコレートを買うなら普通のチョコにしてよね?媚薬入りのボンボンチョコレートはもうこりごり」
リツが黒木に盛られたチョコを思い出して苦笑いをした。
***
その後魔界に残る方のアルシエルは三分の一になり、やけに若返ったギラギラする魔力で姿を現した。魔力の総量的には少ないものの、彼はこれでもかとリツに口付けと抱擁を繰り返した。
「本当に三分の一を残して行って大丈夫?」
リツは不安になる。
「大丈夫だ。ただし夢の領域では毎晩会うことにしたい。リツが眠ったらすぐに会いにゆくから…」
そのときは夢の中で抱く、と耳元で囁かれてリツはドキリとした。買い物に行ったルイとケビンにはネビロスだけではなく、どういう訳かベルフェゴール大佐も同行していた。山ほどのお菓子と気に入った保存食を買い込んで王宮に戻ってきたルイはご機嫌だった。リツはアルシエルと共に王宮直営のチョコレートと珈琲の工場に行き、身体に安全なチョコレートとノンカフェインの珈琲を大量に買い込んできた。
「ネビロス、道筋を記憶しているお前が一度向こうに行って医療機器と食品を運んでおいてくれないか?」
ネビロスは了解して大量の荷物をまとめると姿を消した。
「陛下、折り入ってご相談が」
ベルフェゴール大佐がアルシエルの顔を見る。
「何だ?」
「異世界に行くのでしたら、俺とカイムも半分ほどで構いませんから同行させて貰えませんか?」
「……」
アルシエルはじっとベルフェゴール大佐の顔を見た。
「本気で言っているのか?君が何を企んでいるのかはだいたい予想がつくから先に言うが…カイムのことは本気なのか?」
「だからですよ。聞くところによると、異世界の空気は悪魔にとっては厄介な代物なんですよね?そこで魔力を補うためには…俺が一人で行こうものなら、あっちこっちとその辺の女を食い散らかすのが目に見えている…カイムがいればそれを止めてくれる」
「…それだけじゃないだろう…まったく下心が見え見えなのに私にカイムを誘えと言うのか?」
「…ま、懸念案件も言わせて貰いますよ?三分の二の陛下とストラスで異世界に行って本当に大丈夫なのか、一応はこれでも心配しているんですよ。半分でも私とカイムが同行していればその不足分を補えます…」
「…リツはどう思う?」
唐突に話を振られてリツは戸惑った。
「えっ?あの…大佐とカイムの魔力は…私とも相性も悪くないので…私は構わないけど…ストラスとケンカをするようならちょっと困るなって…」
「ケンカ?別に俺は補佐官と仲が悪いわけじゃないですよ?」
ベルフェゴール大佐はフッと低く笑うと流し目でリツを見る。この無駄な色気も困る、と思ったがリツは言わずにおいた。
「大佐、カイムにルイの警護を頼んでもいいなら、同行を許可してもいい。それと、あっちで魔力切れを起こしてもトイレに座り込まないというのならな…」
ベルフェゴール大佐はアルシエルの言葉に目を見張り、その後面白そうに笑い出した。
「こんなところで異世界の風刺画の話をされるとは、思っていませんでしたよ。あぁ…トイレね。俺は確かに一日中トイレを占拠しているむさ苦しい見た目の悪魔だと思われがちだ…まったく失敬にも程がありますよ。一日中いるならベッドの中の方がずっといい。ではカイムを捕まえて参ります」
ベルフェゴール大佐は姿を消す。
「大佐って明らかにカイムを狙ってるよね?お互いの魔力切れを補うのにカイムをベッドの中に引きずり込む気満々なのはお見通しだよ」
ルイはそう言うと立ち上がった。
「ちょっと医務室に行くね。ストラスの様子を見に行きたいから」
「私とリツも一緒に行こう。ケビンのときのような事件は繰り返したくないからな」
「…ダンタリオンさんって、そんなに恨みを買うようには見えないけど、一方的に好きになられてそれが成就しないからって逆恨みされるのも大変だよね」
歩きながらルイが言う。
「…とはいえダンタリオンの魔力に見合う相手を探す方が困難だったからね。しかも夜の方に関しては私も少し想定外だった。むしろあれを元からの性が女の悪魔に求める方が無理だと私は個人的には思うよ。ケビンの体力があるから応じることができるだけで…その辺の女悪魔に相手をさせたら命が危ない…」
「……僕も…ストラスの魔力で死にかけたけどね?」
小声でルイが言って苦笑する。
「…女神とやらは、ルイには優しかったのか?」
「うん、そうだね。だからストラスの言ってるのは本当に同じ神さまなのか、ちょっと信じられないくらいだったよ」
実はルイはストラスが目覚めるのを待って常に気配を探っていたから、ストラスがルイのいない間に話した内容も全て聞いていた。
「ストラスは絶対に自分が酷い目に遭っててもそれを僕には言わないからさ。僕も聞かなかったことにしておく…女神は…苦しくて息も出来なくなっていた僕を癒してくれて…とても優しい目で僕のことを…見ていたんだ…大地の母って…あんな感じなのかなって思ったくらい…僕には貴重な体験だった…でもきっと優しいのも恐ろしいのも表裏一体なんだろうね…どちらも女神の持つ顔の一面なんだ」
「ルイ…なんだか急に成長したね」
リツの言葉にルイはそうかな?と首を傾げる。
「眠っている間に炎の精霊だった頃の自分の夢を見たんだよ。僕は火山の中で燃えていて…自分はせいぜいロウソクの先くらいの小さな炎だと思ってたら、全然そうじゃなかったんだ。世界を燃やし尽くすくらいの炎だった…溶けたロウソクだと思っていたのは山だったんだ。自分がちょっと怖くなったけど、女神に大丈夫だって言われて落ち着いた…」
「ルイには…世界が小さく見えていたんだね…」
「うん…そうみたい。思い込みって怖いね」
「なるほど…火山の炎か。それはストラスの力でも制御不能になるだろうな。女神に調整してもらって良かったじゃないか」
アルシエルがルイの頭を撫でて微笑む。リツはその様子を見ていて、なぜか不意に清葉学園にいた頃のルイと養護教諭のフリをしていたアルシエルを思い出した。あの頃はこんな風にルイが女の子になってストラスの子どもを産みたいと言い出すとは思ってもいなかった。リツがアルシエルの顔を見上げるとアルシエルは目を細めて肩に触れる。
「どうした?」
「…なんでもない。ストラスも目覚めて良かったなって思っただけ…」
リツはアルシエルの大きな身体にそっと指先で触れて微笑んだ。




