ジーン&リツの場合 15
教室に戻る途中で遠目にトウマが歩いてくるのが見えて、リツはさりげなくルイの手を握った。トウマはこちらには気付いていないようだった。すれ違うところで、トウマはようやく二人に気付く。そろそろ次の授業が始まるこの時間にどこに行くのかと思っていると、ルイが声を掛けた。
「トウマ、どこに行くの?もうすぐ次の授業だよ?」
「…別に…ルイには関係ないだろ?」
トウマは目を逸らすと二人が通って来た階段の方へと向かう。
(もしかして医務室?)
リツはそう思って背中を見送る。
「ジーンが呼び出したのかも」
ルイに小声で耳打ちをする。
「あぁ…ね…」
教室に戻るとドアの近くで他のクラスメイトと話していたコウキが二人に近付いてきた。
「なんだよーずるいぞルイ。お前ばっかりキスしてもらって」
コウキと話していたガタイの良い男子が爆笑する。
「オレも見たかったなー下手な女子よりカワイイじゃん、これが噂の転入生?ね、今度スカート履いて見せてよ。絶対似合うって」
言いながらリツの顔を覗き込んでくる。慌ててルイが接近を阻止した。
「ダメだよ。ショウゴ。リツは僕と付き合ってるんだから。それにショウゴにはいるでしょ?幼馴染が」
「あぁ…まぁ…ね。でもあいつ、最近調子に乗ってるからムカつく。転生組じゃない一般市民に用はないみたいな顔しやがって」
「あ、今野と幼馴染なんだよ。ショウゴは」
ルイの言葉にリツは全てを悟った。確かにあの元天使は調子に乗っている。あと二日は登校しないが、来たらまた面倒なことになりそうだった。チャイムが鳴る。次は保健体育の時間だった。
***
体育教師の松田は体育の授業の際にも思ったが、良く言えばフランク、悪く言えば物言いが赤裸々過ぎる点において、大多数の生徒からは人気があり一部の真面目な生徒からは逆に不評を買っていた。
「ルイ、今日クラスメイトの前でキスしたって本当か?」
話の枕なのかは分からないが松田はルイに話題を振った。
「えー先生、それどこ情報?鵜呑みにしちゃダメだってば。ま、ホントだけどね」
数人が笑うが、リツは笑えずに引きつった笑みを浮かべた。
「あーこの中でパートナーいるやつは?挙手」
ルイは投げやりに手を挙げる。リツも遠慮がちに挙手した。もう一人勢いよく挙手したのはアサヒだった。
「おい、アサヒ、お前は違うだろ?」
「願望っす!パートナーが欲しい!ってか彼女かカワイイ彼氏募集中ですっ!」
周囲がドッと爆笑する。そのお陰でリツが個人的に何かを訊かれることはなかった。
「まーなんでこんなことを聞いたかっていうと今日の授業は感染症の話だからだ。パートナーのいる奴は勿論のこと、ルイも他人事だと思ってると痛い目見るぞ?あっちこっち乗り替えるのはオススメしないな…ビョーキは怖いぞ?」
「やだなぁ先生、あの噂話ホントだと思ってんの?付き合ってないから。一方的な思い込み」
「どうだかねぇ…」
松田は真面目な顔をして黒板に文字を書く。案外綺麗な字だった。松田がリツの方を見るのが分かった。
「暮林…下の名前で呼んでもいいか?」
「はい…」
「じゃあリツ、ルイと仲良くなるのもいいが、お互いのパートナーは了承済なんだろうな?その辺ちゃんとしとかないと後から面倒なことになるぞ?」
(いや、フリだし…もうすでに面倒なことになりかかってるけど…)
「はい…うちは…理解があるので…大丈夫です…」
一抹の不安を抱えながらリツは無難な返事をしておいた。それ以上は踏み込まれずにホッとする。ようやく授業が始まった。
一時間目にイレギュラーな事態が起こったせいで、次の魔力補給のアラートの時間は変則的になっていた。異常がなければ三時間目の授業の後だった。授業の残り時間が二十分を切った辺りで教室にトウマが戻ってくる。
「医務室に行ってました」
先に連絡が入っていたようで、どこかいつもよりぶっきらぼうに告げたトウマに対しても松田は普通に接していた。一方のトウマは明らかに機嫌が悪いのが見て取れた。
(核心を突かれたのかな?それとも…)
「トウマ、どうした?まだ調子が悪いのか?」
松田の言葉にもトウマは首を横に振るだけだった。
「別に…なんでもないです」
松田は授業の続きに戻ったが、何かを気にしているようだった。
(案外…というか…案の定というか…生徒のことはけっこう見てるのかもしれないな)
リツは松田の反応を見て思う。自分も悟られないように気をつけなければ、と思った。
***
三時間目の日本語の授業の途中でリツは抜けて医務室へと向かっていた。異常を示すアラートは鳴らず変則的な時間となった為に一応来ただけだったが、階段で移動したせいで体育教師の松田に会ってしまった。一礼をして通り過ぎようとしたが、呼び止められる。
「リツ…ちょっと待て」
「はい?」
「お前さ、イズミの後ろに誰がついてるか分かってて、ルイとお遊びしてるのか?」
「え…?」
「いや、知らないんだったら、止めておいた方がリツの為になるって話だ。本気なら止めないが、気晴らし程度の付き合いなら止めておけ。いくらこちらが正しくても揉み消してくる。イズミの家にはそのくらいの力はあるってことだ。今回のように三日間の出席停止が関の山ってとこだな」
微かにタバコの香りがする。恐らく屋上で吸っていたのだろう。
「ご忠告ありがとうございます。でも学園内の転生カーストを利用して好き放題やってるなら、それに対してはちょっと腹が立ってるんで。元々向こうから売ってきたケンカを僕は買っただけですし。ルイを手下に殴らせて無理矢理経口摂取させるような人の好き勝手にはさせない程度にはルイと本気で付き合ってますよ?」
リツが見上げると、松田は僅かに雰囲気に飲まれた表情になった。接近してその魂に気付く。彼もまた転生者だ。だがこの気配は悪魔でも天使でもましてや精霊でもない。ただの人だが異世界でかつては勇者と崇められ、調子に乗って魔王を倒しに行き、残念ながら返り討ちに遭っている。その魔王はジーンではないけれど。
「あーなるほど…勇者…」
納得して思わず一人頷いたリツに松田は度肝を抜かれたような表情をする。魔力量が増えると面白いものが見えるとリツは思った。
「元勇者だと…やっぱり悪魔とか元堕天使とかには無駄に絡みたくなるものなんでしょうか…?」
純粋に気になったが、医務室から顔を出したジーンがツカツカとこちらに歩み寄ってくるのが見えた。反射的に松田が一歩下がる。気配を消していても何かしらを読み取るものなのだろうか。
「暮林くんがどうかしましたか?時間になっても来ないので、また倒れてるんじゃないかと心配してしまったじゃありませんか」
ジーンはニコリと笑って松田に話し掛ける。松田はまた更に一歩下がり、そんな己の行動に驚いたような顔付きになった。無自覚だ。
「松田先生はやはり魔界の住人とは相性が悪いようですね。私も暮林くんも…偶然ですが同郷の転生者なんですよ。先生の知る異世界とはまた違う世界ですけれどね」
ジーンは明らかに怯えた顔付きの松田を見て面白そうな笑みを浮かべた。
「私はこの学校で流行している転生カーストとやらには虫酸が走るので参加しませんが、暮林くんにあまり余計な口出しをすると、彼の後ろについている何者かにも影響を及ぼすので、無駄な忠告はしない方が身のためですよ。では行きましょうか。注射の時間です」
ジーンは一礼して背を向ける。リツもペコリと一礼した。医務室に消えた二人を見送って、松田は呼吸をすることすら忘れていたことに気付く。はぁっと深く息を吸って吐いてを繰り返し、必死で自分の感じた恐怖を打ち消そうとしていた。変な汗がにじみ出る。
(なんなんだ…俺がこてんぱんにやられた魔王よりも、怖いじゃねーか。桜井仁と言ったか?それに暮林律…一体何者なんだ?)




