ジーン&リツの場合 14
いつもなら一時間目は平気なはずだった。ところが授業終了の十分前になって、リツのリストウォッチが魔力量の異常を示すアラートを鳴らした。
「す…すみません…医務室に行ってきます」
生物の教師に告げてリツは教室を出る。フラフラしながらエレベーターのボタンを押して中に乗り込んだ。
(なんで…?こんなに早く…)
エレベーターが一階に到着した音が聞こえたが、視界が徐々に白くなる。ぼやけた視界に医務室からジーンが慌てて出てくるのが入った。
(リツ!?)
(ジーン…)
抱きかかえられて医務室のベッドに運ばれる。あっという間にスラックスを下げられ緊急用の注射を太腿に打たれた。だが途端にジーンは心なしか不機嫌な顔付きになった。
(…何故ルイに魔力を与えたんだ?)
(え…?)
(いくら売り言葉に買い言葉とはいえ…本気でキスする奴があるか)
頭の中で会話しながらジーンは薬液をゆっくりと注入する。
(単なるキスでも魔力量の多い奴がすると、どうやっても少ない者の方に流れる、要するに拡散と同じ原理だ。そんなことも分からないのか?)
(拡散…?)
注射が終わるとジーンはベッドに座った。いつもならここで口付けで魔力を流される。だがジーンはリツを見たまま動かなかった。
(ジーン…?)
(お前はルイには自分からするくせに、私にはしないんだな)
リツの鼓動が不穏に跳ねる。
(あ…ごめんなさい…あれは…ルイと付き合っているって設定になってたから…その…何の感情も伴わないというか…人助けの一環というか…)
頭の中で会話しながらも次第に気まずくなりリツはとうとう俯いた。
(私を見ろ)
顎を掴まれ上を向かされる。桜井仁の姿のジーンをおずおずとリツは見上げた。
(まだ魔力が欲しかったら自分で取りに来い)
ジーンはそう言ったきり動かない。リツは更に心拍数が上がるのを感じた。
(…緊張する…)
リツの目の前の桜井仁はいつの間にかジーン・フォスターの姿に戻っていた。リツは遠慮がちに近付く。いざ目の前にその顔があると、異常なくらい心臓の音がうるさくなった。顔を近付けて軽くほんの一瞬だけ唇に触れる。顔が火照るのが分かった。目を開けるとジーンが見ていた。
(その程度では流れないぞ?)
リツは目を閉じてもう一度唇を押し付ける。いつもどれだけジーンに任せていたのかをリツは悟った。どうしていいのか分からない。
(下手くそだな)
ジーンは苦笑して途方に暮れるリツの身体を引き寄せるといつものように唇を重ねてきた。流れ込んでくる魔力を飲み込む。ジーンの描いた魔法陣の上に掌が触れてリツはビクッとした。
(罰としてこれは服を脱いだら見える場所に移動しておこうか…)
腰骨の下からへその辺りに掌が移動してくる。
(お前の魂は私のものだ…そしてこの身体も契約内に含まれる…遊ぶのも程々にな…)
(…ごめんなさい)
怒っているはずなのにその腕は何故か優しくてリツは泣きそうになった。しばらくジーンにしがみついてリツは動かなかった。
***
チャイムが鳴る。少ししてから医務室のドアがノックされてルイが姿を現した。慌ててスラックスを上げて離れようとしたリツの腕をジーンが掴んで引き寄せた。
「リツの魔力はどうだった?随分と分けてもらったようだが」
「お陰で僕は…元気ですけど…」
ルイは目を泳がせる。さすがに本人を目の前にすると恐れているようだった。
「リツはまだ下手だから私が仕込まないとな」
そう言ってジーンはこれ見よがしに口付けをしてくる。逃れようと身体を捻ったがベッドに押し倒され事態は更に悪化しただけだった。リストウォッチが再び鳴る。今度は魔力過多のアラートだった。身体が熱い。ようやく唇が離れてリツは思わず喘いだ。ジーンが手首のリストウォッチを操作するのをリツは肩で息をしながらぼんやりと見ていた。
医務室のドアがノックされる。ジーンは姿を戻すと何故かルイまでカーテンの内側に押し込んでぐるりとベッド周辺を閉めた。
「…声を出すなよ」
そう告げてジーンは平然と医務室を訪れた別の生徒の対応を始める。リツは思わず片手で口を押さえた。呼吸を整えなくてはと思った。手まで震えている。ルイは困惑したように立ち尽くしていた。
指を切ったか何かで訪れた生徒の対応にはそれほど時間はかからなかったはずなのに、ものすごい時間が流れたように二人は感じていた。やがて足音が近付いてジーンが戻って来る。中に入ってくるとリツの震える手を彼がそっと握った。
「起き上がれそうか?」
リツは何とかジーンの手を借りて起き上がる。震えは止まったが、お腹の中が熱いようなまだ変な感覚が残っていた。魔力過多の影響に違いなかった。
「ま…これで、あと一回くらいはルイとキスをしても何とかなる。そうならないに越したことはないが」
皮肉な笑みを浮かべた悪魔がルイの方を振り返った。
「あまり悪戯が過ぎる精霊は喰ってしまうこともできるが…こうも栄養不足だと全く食指が動かないな」
顎に触れられたルイは天敵に見つかった獲物のごとく完全に固まっている。
「あ!早く教室に戻らなきゃ。次の授業が始まっちゃう!」
リツが慌てて立ち上がると、悪魔は実につまらなさそうな顔つきで、リツを見下ろしてきた。
「ランチの後に期待しているぞ…」
その言葉を最後にリツとルイは医務室からようやく解放される。階段を上りながらルイは大袈裟なため息をついた。
「やっぱり怒らせるとめちゃくちゃ怖いなぁ…この作戦はマズかったかなぁ」




