ジーン&サタンの場合 2
ジーンに告げられたきさらぎきりとは、あまり現実味を感じられないままに、そうですか、とつぶやくことしか出来なかった。たとえ相手が自分を追ってこの世界にやってきた悪魔なのだとしても、殺したと報告されて、良かった良かったと喝采を上げるほど、彼は誰かの死には慣れていなかったし、目の前の相手が魔界の頂点にいて内閣総理大臣とも普通に話すような仲なのだと知ってしまっても、どう反応するのが正しいのか判断に迷っていた。
「私が知る限り…残りの悪魔は二人なんですが…今日の朝までに捕らえられなかった場合は…明日のあなたのスケジュールを変更してもらうか、あるいは私が同席するかして…警戒を続ける必要が出てきます…」
「えっ…?あ…スケジュールはスマホの中に入ってるんだよ…」
「これですね」
どこからともなく取り出したタブレットには彼の入力したスケジュールが確かに並んでいる。うろ覚えの記憶と照らし合わせても、合致している部分が多いので本当に自分のスケジュールなのだと分かった。が、なぜこんなことが可能なのか。もはや犯罪レベルだ。
「ここで樋口巡査部長の持っているあなたのスマホを持ち出そうとすると…私は彼女にセクハラで訴えられる可能性が高いので、こちらの手段を選択しました。あくまで緊急事態の時のみですよ。それにスケジュール以外は見ていません」
「別に見られたって困るようなものは入っていないけどさ…うーん、マネージャーに確認してみないと何とも。こっちも管理されてる身なもんでね」
そのとき再びジーンのスマホが振動して彼は眉をひそめた。
「…別の部下に…念のためにあなたの自宅周辺を見張らせていたのですが…これは…ひょっとしてあなたのマネージャーですか?」
送られてきた映像には彼の自宅の中をうろつくマネージャーの姿があった。どうにも挙動がおかしいと思って見ていると彼は手袋をつけた手で引き出しを開けて彼の高級時計を取り出すとポケットに入れて良く似た偽物とすり替えた。音もなく現れたペットの猫がシャーと威嚇して彼の足に噛みつく。彼は猫を掴んで離すと乱暴に投げ飛ばした。
「おいっ!あいつ、何やってんだ!マシェリ!!」
画面に届くはずもないのに彼は思わず声を上げて手を伸ばす。
「証拠も撮れましたし、部下があなたの恋人を保護しましたから、もうじき戻ると思います」
「…あなたは時計がすり替えられたことよりも、愛しい人の心配をするのですね?」
「…その言い方…止めてくれよ…」
「ですが、フランス語でマシェリは愛しい人を意味するではありませんか…その名前をつけて…それにあなたはよくマシェリの写真をアップしている…人間の女性があなたから離れていくのは、マシェリがいるからですよ。自分が一番にはなれないと隣にいて思い知らされるから…あ、戻ってきましたね、お疲れさま、フルフル」
「もうっ!何なのよ、あの乱暴な男!もう大丈夫よ…ちょっと運んでる間に姿が変わっちゃってびっくりしたんだけど…この子…使い魔なのかしら?私たちとはちょっと違うみたいだけれど…」
フルフルと呼ばれた風変わりな若い女性が抱き抱えているのは、どう見ても白い髪の少女だった。そしてその頭にはマシェリの毛並みと同じ白色の猫の耳がついている。少し先の曲がった尻尾の角度までが同じだった。恐る恐るといった様子で少女がこちらを振り返る。オッドアイ。左右で色の違う青と黄色の瞳までがマシェリだった。
「な…うそ…だろ?お前…本当に…マシェリなのか?」
少女は小さく頷いた。睫毛まで白い。およそこの世の生き物のようには見えなかった。
「ごめんなさい…ずっと…騙して猫のフリしてて…でも…私…完全に人の姿にはなれないから…この世界じゃ猫でいるしかなかった…」
「はい、どうぞ。私なんかより、この子はあなたに抱きしめてもらいたいと思うわよ?」
半分猫で精一杯なれる限りの人の姿になった少女をきさらぎきりとはそっと抱きしめた。
「投げ飛ばされたように見えたけど…大丈夫か?」
「はい…」
「良かった…お前が無事ならいいんだ…」
本音を言ってしまってから、目の前の常務が面白そうにこちらを見ていることに気付く。
「…なるほど。あなたが元悪魔なのに魔力切れも起こさず、弱い薬で気配を消せる程度だったことにどうにも違和感を覚えていたのですが、彼女がいたからだったのですね。姿は猫でも実際は契約パートナーの働きをしていたから可能だった…」
「それ以上…言わないで下さい…彼は…夢だと思っているから…」
少女は言って顔を赤くした。彼は泥酔して帰宅することもたまにあった。そんなときに限って夢の中にオッドアイの少女が現れて彼にたくさんキスをする。自分の欲求不満とマシェリに対する想いがない混ぜになった夢を見ているといつも思っていた。それにどれだけ泥酔していても翌朝には二日酔いになることもなかった。仕事に対する意気込みが違うのだと自分では思っていたが、どうやらマシェリの力だったらしいと、ようやく彼は思い至った。
「…とりあえず今日はもう二人で休んでおくといいですよ。スケジュールはこちらで勝手に調整させてもらいます。優先順位の低い方は日程を変更しますが…ラジオの仕事は私も会社帰りに聴いているのでそのままにしておいて構いませんよね?」
常務の言葉に目の前に自分のリスナーがいることに気付いたきさらぎきりとは驚いて相手の顔を見返した。
「聴いて…くれてたのか…」
「この家の悪魔の大半は聴いてますよ。社長も含めて…だから、この仕事を受けたのだと私は思ってましたが。マシェリさんも、この家ではもう猫でいる必要はありませんから、その姿で今まで出来なかったことをたくさんしていいんですよ?あなたはずっとサタンを守っていたんですね。今夜はご褒美をたくさんもらうといいでしょう」
二人はどこか照れくさそうに二階の部屋に戻ってゆく。フルフルは常務姿の悪魔を見上げる。
「結局のところ…あの猫耳少女がサタンの恋人だったんですか?」
「どうだろうな?少なくとも彼女の方はサタンのことを愛しているし、彼だってマシェリなんて名前をつけるってことは、そうだったんじゃないかと思うよ。まぁ…この先は二人次第だな…」
二階をちらりと見て悪魔は微笑む。中を見ようと思えば見ることもできたが、さすがにそれは止めた。ただ何となく漂ってくる気配はどうしても読めてしまうので猫耳の少女が嬉しさのあまり少し泣いているのは感じてしまった。
「良い夜を」
ジーンはつぶやいて手早くカウンターを片付ける。少し休もうと思って寝室に行くとリツに抱きついてハルがぐっすり眠っていた。
(やれやれ、こちらはお預けか…)
ジーンはリツの横のスペースに入り込むとそっと目を閉じた。




