ジーン&サタンの場合 1
「は?何言ってんの?これ、ドッキリか何かなんじゃないの?カメラはどこに隠してるんだ?」
きさらぎきりとは笑おうとしたが、脳内に先ほどの光景が蘇って吐きそうになった。サタン逃げろと確かに自分に向かって言った相手は直後に挽肉のようにバラバラになった。自分は慌てて空間をこじ開けて飛び込んだ。そして…。
「俺は…記憶を失っていた…?俺のいた世界は…どうなったんだ…?」
「クーデターが起こったようだな。国土は荒廃し悪魔ですら住みにくい有様になった。そうして君が逃げたときに開いた空間の裂け目を見つけた悪魔がこちらの世界に流れ込んできた…途中でその裂け目は閉じてしまったようだが、どうやらまだ残党がこの世界をうろついている。君の痕跡を頼りに魔力量の多い相手をひたすら葬り去ろうと…どうやら国土を荒らした責任を取らせたいらしいが、それなら荒廃させる前に誰かが立ち上がって止めろと言いたいところだな。全く責任転嫁も甚だしい」
「何の騒ぎだい?ちょっとハルの部屋に行くって言ったきりイチカが戻って来なくてさ…」
社長が階段を上がってきて頭を押さえて難しい顔をしているきさらぎきりととジーンの姿に気付いた。社長は首を傾げる。
「あれぇ?きさらぎさんって、悪魔だったんだねぇ…でも何だか気配がちょっと変わってるね。ふーん異世界の悪魔なんだ。あらあら、僕と似たような状況でこっちに来ちゃったの?落ちた先がまずかったよね、記憶がなくなっちゃって自分のことも思い出せなくなってさ。この世界の空気の澱みのせいだよ」
社長はニコニコと笑う。階段横の部屋からイチカが顔を出すと社長はふふっと笑った。
「なんだ、こんなとこに隠れてたの。おいで、僕はイチカがいないと眠れないんだよ」
イチカの手を引いて抱き留めると、じゃあねおやすみと社長はひらひら手を振って階段を降りてしまう。誰のせいでこんな面倒なことになったのだとジーンは思ったが、それはきさらぎきりとも同感のようだった。
「あんたんとこの社長って…いつもあぁなの?自由人だな!女の子連れて去ってったけど、あれ法的に大丈夫?」
「パートナー契約を結んでいるから問題ないですよ…あの人は魔界で、あなたのように魔王と呼ばれた存在でした。でもあなたのように行方知れずになった。私はその後の魔界の混乱を立て直して今は実質的には統治している…むしろ政策もうまくいって荒廃するどころか出産ラッシュだ。だから異世界の悪魔にちょっかいを出されると面倒だし腹立たしい。サタンを追いかけてる連中が皆あなたに敵意を抱いているのかは甚だ不明だが、次に攻撃してきた場合は始末しますよ。この世界の人間に手を出した者もいるようだし…全く自国の国民でもないのに悪魔だからと一括りにして私のところに苦情を言われても困るんだが…少々失礼」
スマホが振動している。彼は不意になぜか微笑んだ。
「おや…この番号も引き継がれていたのですね。えぇ、本来でしたら管轄外ですが転生者ではない野蛮な悪魔がこの国をうろついていると国民に向かって公表するのはお互いにデメリットしかありませんから…えぇ、私の国民でしたらきちんと差し込みをしてそれなりの身分の整合性も取れていますから問題を起こしたりはしません。ですが彼らには戸籍もありません。元からいないものを消したところで何も問題はありませんよね?総理大臣殿?分かりました…こちらが把握している者から順番に始末します。防衛大臣にも余計な手出しはしないよう伝えて下さい。自衛隊も不要です。かえって目立つし部下が動きにくくなります。サタン?あぁ、見つけましたよ。問題ありません。こちらで保護していますから。では」
スマホをしまったジーンは失礼しました、と言ってきさらぎきりとに微笑んだ。
「…今のってまさか…本当に総理大臣なのか?」
「そうですよ。他に誰がいるんですか。私だって魔界の頂点を今は預かっているんですから、世間話くらいはしますよ。時にはこうして害虫駆除の依頼も引き受けます…ラウム、ネビロスいるか?」
「はい」
突然音もなく現れた人物にきさらぎきりとは目を見張る。黒髪の美しい顔立ちの青年と、どちらかと言えば悪事に手を染めていそうな鋭い顔付きのガタイの良過ぎる男性が立っていた。
「…ストラスのカメラがマークした悪魔とその仲間の始末許可が降りた。ただし一般人には見られないことと巻き込まないこと、死体は跡形もなく消し去ること、それさえ守れたらあとは好きに始末していい」
「分かりました。ようやくですか。久々に腕が鳴りますねぇ…魔界でも今となってはホンモノの悪魔を殺す機会はなかなかないですからね」
黒髪の青年が笑いながらとても物騒なセリフを口にして姿を消す。ガタイの良い方はぺこりと一礼し姿を消した。
「彼は私の部下です。気にしなくて結構です。樋口巡査部長も少し仮眠を取るといいですよ。交代なしに見張るのも疲れるでしょう。暇な彼の話し相手なら、私が適当にやっておきますから」
いつの間にか廊下にあったソファーは簡易ベッドに変わっていた。ジーンが指先を振ると樋口巡査部長はそのままベッドに横になりあっという間に眠ってしまう。その上にブランケットをかけて、ジーンは青い方の薬をコップの水と共に彼に渡した。
「気配に聡い子どもが怖がるので飲んで下さい」
きさらぎきりとが言われるがままに薬を飲んでいる間に常務は先ほどの寝室のドアを開けて何やら話していた。
「うん、大丈夫。ハルと一緒に寝てるから。おやすみジーン」
二人は抱擁と口付けを交わすとドアを閉めた。思わずきさらぎきりとが常務の方を見ると、彼は涼しい顔のまま言った。
「彼女は私の妻ですよ。成人もしている。何の問題もないでしょう…悪魔の気配を消す薬は酒を飲んでも何ら影響しません。開発したのが酒好きの悪魔だったから、たまたまそうなったとも言えますが…あなたも酒を飲めば心地良く眠れるでしょう…」
常務についてリビングに行くと、男性二人が口付けを交わしていた。
「す、すみません。スマホ取りに来たのですが…お客様の前で…申し訳ありませんでした」
「いや、彼は女装した男性については偏見があるようだが、同性愛者については別に何とも思っていないようだから…彼らは社員です。瀬尾くんと成瀬くん」
きさらぎきりとは紹介されてようやくそれがセラヴィ株式会社の社員だと気付いた。歳上の方は少し目を惹いたので顔を覚えていた。
「ひょっとして…社員寮も兼ねてるのか?」
「いえ、こちらもたまたまそうなっただけですね。同胞の者を襲撃者から守るために集めたとでも言っておきましょうか」
冷蔵庫からビールとジンジャエールを出して二人に渡すと彼らは礼を言って階段を上って行った。
「…社内恋愛オッケーなのか?同性で?仕事に支障が出たりしないの?」
グラスにビールを注ぐ常務の慣れた手つきを見ながらきさらぎきりとは尋ねた。
「むしろ近い部門にしておいた方がお互い効率良く魔力切れを防ぐこともできますから、セラヴィ株式会社では何の問題もありませんよ」
「少子化対策に異性の社内恋愛を許可する会社は増えてきた気もするけど…同性じゃねぇ…不毛だ」
「それはあくまでこの世界の話でしょう?あなたのいた魔界がどうだったかまでは詳細は見ていないので分かりませんが、私の国では同性のカップルでもどちらか一方が子どもを欲しいその期間にのみ異性になって子作りをしたり出産したりすることも多々あります。ですから決して彼らも不毛ではないんですよ。恐らくその時は歳下の成瀬くんが女性になるでしょうね…」
サラリと言った常務の言葉に動揺して、きさらぎきりとは渡されたビールをこぼしそうになる。
「な…そんなことが…可能なのか?」
芸能人仲間でゲイを公表している一人が、パートナーとの間に子どもが欲しいと漏らしていたのをふと思い出した。きさらぎきりと自身は女性が好きだ。だが残念ながら彼の子を産みたいと思ってくれるパートナーには巡り会えていない。なんとなく常務と乾杯して彼はビールを飲む。缶ビールとは思えないクリーミーな泡に驚いた。旨い。夕飯も美味しかったしこの悪魔は美食家なのだと思った。自分も食べ物にはうるさい方だ。それで女性に嫌われることもあった。いつだったか蘊蓄が鬱陶しいと言われたこともある。それ以来余計な知識を披露するのは止めた。
「俺のいた世界は…もう悪魔も住めないのか…」
「…荒廃させたのはクーデターを起こした連中でしょう。あなたを追い払ってその後、結局国をまとめられなかったんですから」
きさらぎきりとは目の前の自信ありげな常務を見た。俳優にしてもいいくらいだ。男に惚れたことはないが、女なら惚れそうだとも思った。
「他の連中がみんなあんたみたいに国をまとめらる訳じゃないよ…俺だって四苦八苦してた…少し思い出したけどさ…」
小鉢に入れたナッツが出てくる。チーズの盛り合わせとサラミまでいつの間にか追加されていた。
「なんでもちゃちゃっとできて、女にモテそうなのに、なんであんな若い女の子と結婚したんだ?」
きさらぎきりとの言葉に彼はフッと笑った。
「それはもちろん、五百五十年の間恋焦がれた相手だからですよ。私は彼女を探すためにこの世界に来たんですから」
目の前の相手は本当なのか嘘なのか分からない言葉を口にしてビールを飲んだ。そうしてふとあらぬ方向に目を向けてきさらぎきりとに静かに告げた。
「たった今…一人…処分が終わりましたよ…」




