ジーン&俳優Kの場合
きさらぎきりとは映画を観ていたが次第に退屈になってきた。スマホを探って、刑事に取り上げられていたのを思い出して舌打ちをする。毎回律儀に殺害予告を出してくる何者かにも驚きだが、この家に来てから何となく妙な感覚がする気がした。うまく言い表せないのだが、それはソワソワするようなどこか落ち着かない感覚だった。ドアを開けると美人の刑事が何かと言わんばかりの視線を送ってきた。自分の笑顔に動じないのは意外だったが、そのとき彼は廊下を通りかかった美女に気付いた。髪を染めているにしては見事な栗色の髪だと思ったら振り返ったのは薄桃色の瞳の若い外国人だった。
「あら、退屈なの?」
流暢な日本語で言った女性からは不思議な気配がした。思わず引き寄せられるように部屋から出た彼の目の前に刑事の女性が立ち塞がる。
「シェルターとは言っても個人宅の幾つかの部屋をシェルターとして善意で開放してもらっているだけですから、フラフラ出歩かないで下さい。住人に迷惑がかかります」
「刑事さん、厳しいなぁ。ホテルじゃないからこその交流だって少しくらいは許してくれてもいいじゃない。ね、美人のお姉さん俺とどう?楽しいことしない?」
エストリエは小さく笑う。そのとき階段を上がって来る足音が聞こえて、ガタイのいい外国人が姿を現した。整った顔立ちだ。先ほどまで観ていた洋画の主人公よりも整っている。
「どうした?エストリエ」
「いいえ、彼に楽しいことをしないかって誘われただけよ?」
「そっか。悪いね」
やってきた外国人は女性の腰に手を回した。
「こう見えて妻は妊娠しているんだ。楽しいことの種類にもよるが、気軽に誘われても困る」
「おやすみなさい。良い夜を」
二人はきさらぎきりとの使う部屋を通り過ぎて奥の部屋へと消える。きさらぎきりとだって決して小柄な訳ではないのに、彼は頭一つ分以上長身だった。女性の方だって若いから正直なところ結婚しているとは思っていなかった。
「部屋に戻って下さい」
ところがそのとき下の階からイチカと共にハルが現れた。ハルはお風呂上がりにイチカと共にアイスを食べ終えて部屋に戻ろうとしていたところだった。きさらぎきりとはハルと目が合う。ハルは突然悲鳴を上げた。
「いやぁぁぁ!!悪い悪魔!!」
「ハル!?」
イチカが慌ててハルの顔を覗き込み不審そうにきさらぎきりとの方を見る。確かに何か妙な気配がした。そうして記憶を辿り、イチカを抱いた後のリーから似たような気配を感じたことを思い出す。イチカはハルを抱きしめて、きさらぎきりとを睨みつけた。
「あんた、誰?…もしかして…異世界の悪魔の転生者なのか?」
一方できさらぎきりとは目の前の刑事にスマホを奪われたことで、服薬のアラームの時間がとっくに過ぎていたことに思い至った。少女はパニックを起こしている。自分は何もしていないのに、元悪魔というだけで何だってこんなに騒がれるのかと思った。階段の近くのドアが開いてバスローブ姿のセラヴィ株式会社の常務が顔を出す。引き締まった筋肉にきさらぎきりとは一瞬目を奪われた。着痩せするタイプなのかと考えて、それどころではないと頭を振った。
「俺は何もしていない…勝手に騒ぎ出しただけだ」
むしろ自分は被害者だと思った。常務と同じ寝室から同じくバスローブ姿のとても若い女性が出てくる。
「ハル、イチカ、こっちへ」
女性は出てきた寝室内に二人を避難させると、ちらりと、きさらぎきりとを一瞥し、ドアを閉めた。きさらぎきりとは面白くなかった。あれが常務の女なのかと思う。随分と若い。それに確かに美人だが少し女らしさに欠ける。
「我が家には他にもシェルターを利用している方がいるんですよ。それに…うちに来たときにはなかった気配がしますね。あなたは悪魔の転生者だ。けれども、私の知っている悪魔の気配とは違う。そして先ほどハルが悲鳴を上げたときに、悪い悪魔と叫んだのも気になりました…」
常務はきさらぎきりとの方に歩み寄ってきた。近くにいた樋口巡査部長は思わず一方下がってしまった。
「悪い悪魔?悪魔なんだから悪いに決まってるだろ。それに…気配を消していたのはあんな風にいちいち騒がれるのが面倒だからだよ。時々ファンの中にもいたんだ。だから薬で消していた…一般人のあんたらは知らないだろうけど芸能界じゃ使ってる奴も多い。政府関係者だって…」
きさらぎきりとの言葉に常務は急に笑い出す。
「それはひょっとしてこの薬か?それともこっちか?」
常務はどこからともなく二種類の薬を取り出した。先に出した薬は見たことがない。そうして次に取り出したものがきさらぎの使っている薬だった。芸能関係者から手に入れるまでにとても苦労した薬をなぜ常務が持っているのかと思い、転生者の会社だからどこかのルートで入手したのだろうと見当をつけた。
「そうだ…その、青い方の…」
「…青はこちらの白い錠剤の三分の一程度の効果ですね…その程度の薬で気配が消せるとは何とも羨ましい…この家に青を服用する者はいませんよ。で…あなたは何者なんですか?」
「別に何者だろうが関係ないでしょ、なんでそんなことまで明かさないといけないんだ」
「…簡単に言うなら、異世界の悪魔のせいで私も迷惑しているからですね。サタンとやらを探している異世界の悪魔たちにうちの社長も襲撃されましたし。単刀直入に言います。あなたはサタンの転生者ですか?」
「は?サタン…?何を言ってるのか意味が分からない…だいたいサタンは…」
きさらぎきりとはハッとして口をつぐんだが明らかに目が泳いでいた。常務が更に一歩近付く。彼は自分よりも長身の相手に怯んだ。なぜか得体の知れない恐怖が沸き起こる。気付けば口が勝手に動いていた。
「…サタンだと名乗っていた奴と…最近になって連絡がつかなくなったんだ…本名は知らない…それに俺は…転生前の記憶は曖昧だ…あんたこそ…何者なんだ…少し悪魔のような気配はするけど…」
そこまで言って先ほど彼が、この家に青の薬を服用する者はいないと言ったことを思い出す。青い薬をその程度の薬と言っていた。
「まさか…その…白い薬を飲んでいるのか…?それで気配が…弱い…?」
「ようやく気付いたのか。さっき君が見ていた私の妻だって最低これを三袋は飲まないと気配を弱められない。私もそれは同じだ。それに君が知らずに飲んでいるこれらの薬は私の国で作られている…サタンとやらに売った記憶はないから、別ルートで誰かが金儲けでもしているんだろう。依存性はないし安全な薬だが、まさか異世界の君も使っているとは世間は実に狭い…」
そう言って常務は彼の額に触れた。一瞬目が赤く光ったように見えて、彼の脳裏に覚えのない記憶が浮かび上がった。常務は目を細める。焼け焦げる臭いと飛び散る血、そして…。
(サタン!逃げろ!)
誰かの叫び声がした。きさらぎきりとはよろけて常務と刑事に支えられる。
「えっ?この人が…サタンなの?」
刑事が驚いた様子で常務を見上げた。
「…連絡の取れない彼は…自分がサタンだと…嘘をついて…囮になったのかもしれない。君を守るために…きさらぎきりと…本名、如月霧人…君がサタン本人だ…」
常務が静かに告げた。




