ストラス&エストリエの場合 3
やがて出社していた社長らが帰宅した。そのときリツは少し早めの夕飯を食べていた。ジーンは隣に座って背中の方からさりげなく魔力を送っていたが、何やら社長が乱れた気配の宮森と花咲を連れて入ってきた。花咲はぐしゃぐしゃな顔で宮森に抱きかかえられていた。その後ろから少し遅れて成瀬と瀬尾も現れる。
「私…悪魔になります。今すぐにでもっ…!」
花咲は腫れたまぶたのまま入ってくるなりそう言った。ジーンとリツは思わず目を合わせて何事かと振り返ったが、社長は首を横に振った。
「どうもこうも…菊池経理部長までが花咲さんの魅力に鼻息荒くしちゃってね…給湯室で襲われかけて…瀬尾くんを採用しておいたお陰で助かったよ。とりあえず部長の記憶は操作したけど、もう人のままじゃ無理があるねって話になって…」
リツは立ち上がって花咲の方へ行く。花咲は顔を上げると泣き顔のままリツに抱きついてきた。リツはゆっくりとその背中を撫でる。一瞬だけフィランジェルの姿になった。ジーンは目を細めてそれを見ていたが、宮森に告げた。
「…花咲さんが落ち着いたら、地下で儀式を行う。私も念のために同行する。前回の件があるからな…何かイレギュラーな事態が起こるとまずい」
「…痛いんだよね…儀式…」
花咲が小声で囁く。
「うん…そうだね…」
気休めを口にすることも出来ず、リツは花咲の頭を撫でた。
「リツも…地下で儀式をしたの?」
いつの間にか名前で呼ばれているのに気付いてリツは微笑んで首を横に振った。
「私は…間に合わなくて…車の中で…」
「えぇ?そう…怖くなかった?」
「でも…終わった後はすぐにちゃんとケアしてもらえたし…楓も…少しの間…頑張って耐えて」
「でも…怖い…」
「うん、怖いよね」
しばらく花咲はリツの腕の中にいた。ようやく意を決したように顔を上げると宮森が頷いてその手を握った。
「儀式のときは悪魔の名前で呼ぶんですよ、先輩じゃなくて」
花咲は頷く。ジーンと一緒に二人が地下へ消えるとリツはドキドキしてきた。前のようになったらどうしようという不安が押し寄せる。隣にエストリエがやってきてソファーに座るリツの肩を抱いた。ストラスと共に現れたルイとケビンが二人の向かいに座る。
「眼福眼福…」
ケビンがリツとエストリエを見てニヤニヤしたが、リツの不安そうな表情に気付いて笑いを引っ込めた。
「大丈夫?生理痛か?」
「もうっ…ケビンったら…それも確かにそうなんだけど、今はそっちじゃなくて儀式中だから緊張してるのよ。前にちょっと大変なことがあったから」
「あーケビンって何でも見えるんだもんね…それって便利だけど恥ずかしい…」
てっきりそういうケビンの能力に対して気持ち悪いと言われると思っていたケビンはリツの言葉に目を丸くした。新しい視点だ。
「生理は大事なんだから、別に俺に気付かれたからって恥ずかしいってことはないよ。俺はどう頑張ったって子どもは産めないもんなー産みたいんでしょ?陛下の子ども」
「…だから、ケビン、それもそう簡単な話じゃないのよ…」
「あー魔界の決まり事?思ってたよりも細かいよね。僕もびっくりしちゃったんだけど、ストラス…あの話は本気?」
ストラスにくっついていたルイがストラスを見上げて複雑な表情を浮かべる。ルイにしては珍しいと思ったら隣でエストリエが口を開いた。
「私は構わないわよ。むしろ第二夫人の座をルイが埋めておいてくれた方が、虎視眈々と狙う性悪な悪魔の同僚に、残念だったわね、そこも空いてないわよって微笑む余裕ができるから助かるわ…」
「え?ルイが…ストラスの第二夫人?」
「そうよ。ルイに子どもを産む意思があるなら、正式に迎え入れておかないと、万が一妊娠したときに婚外子って扱いになっちゃうのよ?国王補佐官の子なのに婚外子だからって、扱いが悪くなるのは可哀想じゃない。ルイも貰えるものはきちんと貰った方がいいわよ」
「えっ?でも、ルイって女の子になれるのはまだ夢の中だけなんじゃ…」
リツの言葉にルイはフフッと笑った。ストラスの隣に座ったルイの胸が大きくなる。ルイの顔をしているのに身体は明らかに少女になっていた。ルイは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「今は完全に全身女の子だから、この状態でストラスを誘惑したら妊娠しちゃうかもしれない。そのくらいにはちゃんと変えられるようになったよ?」
傍らのルイをちらりと見てストラスは、片手で顔を覆って上を向く。胸をストラスの腕に押し付けてルイは小悪魔な顔をした。エストリエはそれを見ても余裕で笑っていた。
「正直なところ…私が妊娠中にストラスの欲求不満をどう解消したらいいのかについての解決策はもう目の前にいるんだから、その点は気楽になったわよ。ルイにお願いするわ。でも子どもができちゃうと困るから女の子の格好をするのはまだ夢の中だけにしてね?」
リツはエストリエの顔を思わずまじまじと見上げてしまい、エストリエに笑われた。
「そんなに驚くこと?そうねぇ…第二夫人やら愛人やらが普通に存在する魔界にいたから私もそんなもんなんだって、いつの間にか受け入れていたのよね。でも少なくともここには第二夫人なんて存在しないものね。正妻以外は不倫だなんて窮屈だわ。でもこの考え方って悪魔的なのかしら…?私はケビンも含めてルイのことを愛してるわよ?」
「サンキュー姉さん、俺も愛してるぜ」
軽々しくケビンが言って投げキッスをして見せる。ケビンは今ルイの膝の上に横になっていた。ルイはケビンの頭を撫でている。ここに来た当初はギラついていた感じがしたが、ケビンも落ち着いてきた気がするとリツは思った。
「私がリツのことを好きなこの気持ちだって愛だと思うわ。血が飲みたいくらい好きって、かなり好きなんだと思うのよ。あんまりアピールしたら我が君には渋い顔をされそうだけど」
「…魔界の国王陛下の王妃に横恋慕してるって、またエストリエの悪評が回りそうだな。エストリエは何だかんだで…自分で言うのも何だけど、かなり美味しいところを掠め取って行ったと思われてるからな」
ストラスの言葉にエストリエは口を尖らせた。
「もう…なんで、あなた国王補佐官なのよ。いっそのこと失脚したら?そうしたら私も放っておいてもらえるのに」
「おいおい…失脚しろとは随分と暴言だなぁ。リツさん、エストリエの話は話半分以下程度で聞いておいて下さいよ?それと…今、無事に儀式は終わったようですよ?良かったですね」
「えっ?あ…そうなんだ…良かった…」
その時になってリツはようやく、皆が儀式の間のリツの不安な気持ちを和らげるために色々と魔界のことも含めての話をしてくれていたことに気付いた。地下室から三人が戻ってくる。大判のタオルに包まれた楓を大事そうに悪魔のハウラスが運んでいた。宮森がここまで本性を表に出したところをリツは初めて見た。宮森は上半身が黒豹で手と足が途中から人の姿になっていた。黒い豹の顔でこちらを振り返った宮森の瞳は獣のそれで緑に輝いていた。ジーンが頷くと宮森は気絶している楓を抱きかかえて階段を上って行った。目が覚めたら楓は悪魔になった自分の身体に気付くのだと思ったら、ドキドキした。
「リツについていてくれたのか。ありがとう」
「いいえ。可愛いから、そんなことはお安い御用ですよ」
「リツ、おいで。少し触れ合おうか」
「うん…ありがとう、エストリエ、それにみんなも」
ふわりと立ち上がったリツはジーンと手を繋いで二階へ消える。その背中を見送ったエストリエはストラスに言った。
「ねぇ…魔界の王妃が懐妊するまで特別な部屋に閉じ込めて国王以外には会わせないって話…あまりにも前時代的だから、魔界で最初の性別が女性として登録されている悪魔にアンケートを取って頭の固い王宮の偉い人にでも提出してみようかと思うのだけど、どうかしら?そんなことしたら、あなた迷惑?」
ストラスは首を振った。
「いや、仮にそれで余計なことをしたと言われて失脚したとしても…お前の予定通りだろ?その代わりちょっと貧乏になっても見捨てないでくれよ?」




