ジーン&リツの場合 7
医務室のドアをノックすると中から返事と共に誰かの笑い声が聞こえた。何やら楽しそうだ。
「失礼します」
一礼して中に入ると担任の風間の腕にジーンが保護パッド貼るところだった。
「暮林くんも、そろそろ時間だったか。いや、先生本当に助かりました」
担任が破顔して立ち上がる。顔色もいい。
「いえいえお安い御用ですよ。ではよろしくお願いします」
胡散臭い笑みを浮かべてジーンが言うので、リツは思わず顔をしかめてしまった。元気になった担任は軽い足取りで医務室から出てゆく。何を企んでいるのだろうか。
「リツおいで…」
再びベッドの方に手招かれたがリツは言うことがあったのを思い出した。
「この首の跡…こういうのは止めて!体育だって分かっててつけたでしょ」
ジーンはリツの言葉を聞いてニヤリと笑った。
「リツのクラスメイトにキスを平気でおねだりしてくる奴がいるんだ…牽制するに越したことはない」
いつの間にかベッドの方に追いやられて座らされていた。
「え…?誰?」
「さてね…膝の上においで」
そう言われてやすやすと従ってしまう自分に呆れてしまうが抵抗する気は全く起きなかった。思い出してポケットから二種類のパウンドケーキを取り出す。
「甘いの…好きだから…その…おみやげ…」
意外そうな顔でジーンはパウンドケーキを見たが受け取って横の小さなテーブルの上に丁寧に置いた。ついでのように眼鏡も外す。
「随分と気が利くな。で?リツは何をねだるのかな?」
「…放課後に聞き取り調査を兼ねて…伊集院瑠衣とレトロ喫茶に行ってもいい?」
「なるほどね。許可しよう。ストラスにも連絡して、遅い時間に一人で帰っては絶対にダメだよ。いいね?」
「ん…」
返事を待たずに唇が重なる。リツは心地よい魔力が流れ込んでくるのを感じて目を閉じた。リツの閉じた瞼の長いまつ毛が作る影をジーンは見ていた。この姿でも不思議とフィランジェルの面影を感じる。それはジーンがその魂を所有しているからなのか、魂が姿にも投影されるからなのかは分からなかった。ただ抱きしめて、ひたすらに口付けを交わす。カーテン越しの午後の柔らかな陽射しに包まれて穏やかな時間が流れていた。
「…このまま…サボるか?」
ジーンの悪魔の囁きが聞こえる。リツはやっとのことで首を横に振った。
「真面目だな」
抱きしめる腕を離してジーンが立ち上がる。引き出しの鍵を開けた。アンプルと注射器を取り出す。
「放課後も遊ぶなら、こっちも必要だな。次は右手だ」
***
念の為に経口摂取の魔力回復薬も渡された。市販のものとは違う小さな瓶だ。高価そうなので慎重にポケットにしまう。
「…本当はあまり行かせたくないんだぞ?その辺りは分かっているのか?危ないことはするなよ?」
ドアを開ける前にジーンはリツの頭を撫でた。
「甘い物の差し入れはいつでも歓迎だ。ありがとう」
額に口付けされる。リツが医務室から出て教室に向かおうとすると、ルイの姿が見えた。だが何となく違和感を感じる。どこか様子がおかしい。
「ルイ…?」
リツと目の合ったルイは焦った顔をして小さく首を横に振った。ルイは複数名に囲まれてそのまま視界から消える。
(来るな)
唇の形がそう言ったような気がした。そう言われて行かない選択をするリツではないので、早歩きで近づき過ぎない程度に追いかける。どうやら彼らは屋上を目指しているようだった。足音を忍ばせて屋上へ続く階段を上り、扉の近くで耳を澄ませる。慎重に重いドアを少しだけ開けると、ルイより大きな違う制服の青年が二人、それに小柄な少年の背中が見えた。
「ルイちゃん、もう転入生に乗り替えるの?ちょっと早くない?せっかく相手してあげてるのにさ」
小柄な人影が口を開く。
「乗り替える?元々付き合ってもいないのに、何言ってんの?」
ルイが低く笑うと、小柄な少年の隣にいた青年がルイの腹に拳を入れるのが見えた。ルイがゆっくり倒れるのを見たリツは咄嗟に腕時計の緊急通知を押して走り出す。腰骨の下に並んだ魔法陣に触れながら、リツはルイと少年の間に滑り込んだ。
「なにやってんの!」
不意を突かれた少年たちは現れたのが華奢なリツだと分かって、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「こいつだよ、目障りな転入生」
少年の顔に見覚えがある。クラスメイトだ。今野泉。黙っていれば可愛らしい顔立ちだが、今その顔はどす黒く歪んでいた。
「お前さぁ、こいつが何だか知ってるの?可哀想な札付きの転生者だよ。一年前はゴミ溜めみたいな街に捨てられてて、今じゃ物好きなジジイのペットだ。汚い奴だよ」
リツは黙って少年を見つめる。そもそも転生者同士が仲良くできると思うのが間違っている。けれども、だからと言って、札付きに関してここまで好き放題に言われるのも腹立たしかった。
「…だから何?札付きだから何だって?今野くんこそ、今自分がどんな顔してそれを言っているのか鏡を見てみたら?とても元天使とは思えないゲスい顔してるよ…」
リツが静かに立ち上がると、相手は僅かに怯む素振りを見せた。感情を爆発させると気配を断つ薬の効果はあまりないのも分かっていたが、リツの中の怒りの炎が燃え始めていた。
「お前…なんで…」
見抜かれたことに驚いたのか今野は言葉を失う。両側に立つ二人もどういう訳か動揺した表情になり固まって動けなくなっていた。もっと怯め、とリツの中で荒々しい負の感情が沸き起こる。
「そこ、何やってる!」
聞き覚えのある声が響いてリツはホッとして獰猛な感情を消し去った。リツは扉を開けて立つジーンに向かって声を張り上げた。
「先生!伊集院くんがお腹を殴られました!」