ジーン&リツの場合 47
リツはいつの間にか眠っていたことに気付いた。目を開けて起き上がる。お腹の痛みは少しマシになっていた。そろそろとベッドから起き上がったところでジーンが部屋に入ってきた。
「リツ、大丈夫か?」
「うん…朝よりは…」
「何か食べれそうなら持ってくるが。食欲は?」
「あんまりない…」
「それなら、とりあえずこれはどうだ?」
ジーンはどこからともなく、ナッツとセミドライフルーツのプルーンを出してきた。マグカップに入っているのはココアだろうか。
「これくらいなら…食べれそう…」
リツはマグカップを受け取ってココアを一口飲んだ。ホッと息をつく。
「美味しい…」
「…そうか。いつも…こうなのか?」
「うん…でも…ジーンと会う前よりはマシかも。もっと割れそうに頭が痛くなったりしてたし…あ、頭痛はいつもだったけど…でも特にこういう日はもっと酷いっていうか…」
ジーンはそっとリツの頭に手を当てた。なんとなく目を閉じると唇が重なってゆっくりと魔力を流された。
「ん…楽に…なる…」
ジーンは口付けをしながらリツの下腹部に手を当てる。じんわりと温もりが伝わって魔力と共に次第に広がった。残っていた鈍い痛みが軽くなる。
「リツ…今日は秘書の仕事はないから、ゆっくり休んでいるといい」
「うん…あの…それで…」
「うん?どうかしたか?」
「……えっと」
リツは言いにくそうに口をつぐんだ。ジーンを見上げる。
「一週間くらい…キスとハグくらいしか…できなくなるけど…ジーンは…それでも大丈夫?魔力…減ったりしない…?」
こんなときでも自分のことではなく、相手の心配なのかとジーンは首を横に振る。リツを後ろから両腕で抱きしめた。
「大丈夫だ。こうやって眠るから…心配するな」
「…うん…もしも…異世界の悪魔に襲われたり…そういう大変なことがあったら…私が出来ることなら何でもするから…ちゃんと…分かりやすく伝えてほしい…」
「分かったよ」
ジーンはリツを抱きしめたまま横になった。
「この方が楽だろう…?」
「うん…」
ジーンはリツに体を密着させて首の後ろに口付けをする。ゆっくりお互いの魔力が流れる。もっと触れたいのを我慢してジーンはリツに慎重に触れた。
「ジーン」
「うん?」
「ありがとう…」
「いや、触りたいから触ってるだけだ」
ジーンの言葉に小さくリツは笑う。いつになく魔力が揺らいでいるのを感じた。側にいると少し安定する。仕事の合間に様子を伺いに来た方がいいかもしれないと思って、それは過保護だとエストリエに笑われる気がした。しばらく横になってリツを抱きしめていたが、そろそろ仕事に戻る時間だった。ジーンが起き上がると、リツも起き上がって再びココアを飲んでナッツをつまんだ。
「ゆっくり休んでいるといい。また後で来るから」
ジーンはそう言って部屋をあとにした。
***
「リーが消えても銀の枝は特に騒ぎにもなっていませんでしたよ。少女のうち何人かは喜んでいたくらいで。恐らく、嫌な目に遭ってたんでしょうね」
ジーンの仕事部屋に来たストラスはそう言ってタブレットをスライドした。
「フィルミリエでしたっけ。開発の方も順調で製品化に向けて着々とプロジェクトが進行中です。わざわざ、アスモデウス元帥が自慢してきましたよ」
ストラスの言葉にジーンは苦笑した。とりあえず上機嫌で何よりだ。それにサキュバスの女性も自信を取り戻したようで、意外なことにアスモデウス元帥にその後も定期的に呼ばれていることが分かった。
「で…リーのねぐらに仕掛けてきたカメラなんですが…ちょっと、この映像を見て貰えますか?」
ストラスのタブレットをジーンは覗き込む。リーが消えて二日後の映像に巨大な人影が映っていた。部屋のサイズから言っても三メートル近くある。
「例の、ラファエルが言ってた繁華街で騒ぎを起こした奴とサイズ的には同じですよね」
「…アスモデウス元帥も驚きの巨軀だな。リーが統率していたのか?頭を失ったら次の頭が出てくるのか…それとも瓦解するか…」
「報復しに来ますかね…」
「ガブリエルが痕跡を消したから可能性としては低いと思いたいところだが…で?ストラスのカメラとやらはこいつを追跡しているんだろう?」
「えぇ。それはもちろんですよ」
カメラと呼んでいるがそれはストラスの使い魔の一種だ。半分が機械で半分は悪魔なのだった。悪魔なのに身体に部分的に機械を取り込んだ変わり者だ。
「異世界の悪魔たちの口にするサタンとやらが見つかれば話は早そうだが…いったいどこにいるのか…」
「本当にこの世界にいるんですかね?」
「さぁね…魔力量の強い相手に片っ端から攻撃を仕掛けるのは止めて欲しいところだな…さて、セラヴィの案件を片付けるか。ハルはどうしたものか…」
ジーンの言葉に不意にストラスは笑った。
「子どもは苦手ですか?」
「……」
ストラスの面白そうな顔にジーンはムッとした表情になる。答えないかと思ったが、ストラスの主は不本意そうに口を開いた。
「子どもの目は時に本質を見抜く…リーの記憶はガブリエルが消しているが、我々の正体に気付いたとき…それを思い出さないかが…心配だな」
ストラスは真面目な顔で主を見つめた。
「ハルの養父も相当ロクでもないが…リーは恐らく…イチカの代替品としてハルを選んだんだろう。どこか顔立ちが似ていないか?あの二人は」
ストラスはハッとする。そういう視点でハルを見てはいなかったが、姉妹のように見えたのはそのせいだったかと思い至る。
「まだ十三なのにあの子は蹂躙される恐怖と誰かを刺す手応えを知ってしまった…本来なら知らなくていい経験だ」
ジーンはどこか憂鬱そうにつぶやいて、イチカとハルのいる部屋の方向に目を向けた。社長はイチカに何でもないことのように言ったが、リーが二人の身体に刻んだ痕跡は魂に暗い色を流し込んでいる。リーが死んでもこの痕跡は消えない。ルシフェルの方が強いからたまたま影響を受けないだけで、一生残る痕跡かもしれなかった。
「ストラスはルイに痕跡を極力残さなかったんだな…」
主に言われて不意を突かれたストラスは一瞬素の表情を晒してしまう。慌てて表情を取り繕ったが主に見られた後だった。ストラスは咳払いをした。
「そりゃ…これから…リツさんの使い魔にするのに、俺の手垢がベタベタついてたら嫌でしょう」
「リツとキスしておいて何を言ってるんだ」
魔力を吸い取った際にも痕跡を残さなかったはずなのにと、ストラスは主の涼し気な顔を見返す。怒ってはいない。強いて言うなら何かを試すような表情を浮かべていた。
「あんなに一気に魔力を流し込むからですよ。あれは不可抗力です。だからキスにカウントされても困ります」
「まぁな。それでも…リツが生命維持を優先してくれて私はどこかホッとしたんだ。他ならぬお前に頼んで、魔法陣も発動しなかった…私は快楽を共有するつもりはないが、緊急事態に的確に対応できるストラスをリツが受け入れたことに、どこかホッとしたんだ」
「…もしかして…わざと…試したんですか?」
主の表情は読めない。
「いや、意図せずそうなった…と言うべきかな。だから先に言っておく。リツの命を優先するならお前は何をしても構わない。私に遠慮して失うくらいなら、そんな遠慮は不要だ。魂に痕跡を残しても構わない」
ストラスは主の強い魔力を感じて目を逸らせなかった。そうして主自らが言葉にして伝えてきた内容に柄にもなく動揺した。そんな事態は起こらないに越したことはないが、起こった場合に対応するのはお前だと明言されたにも等しかったからだった。
「責任重大ですねぇ…」
仕方なくそう言うと、主は笑った。
「当たり前だ」




