イチカ&ハルの場合
「なるほど、それでは届け出もされていないということですね。虐待の発覚を恐れて口をつぐんでいるというところでしょうかね」
電話で樋口巡査部長と話しながらジーンは、少女を拾った経緯をざっくりと話してハルの養父母である本間夫妻の情報を集めていた。すでにハルの身体に残る虐待の跡を含めて報告は済んでいる。セラヴィ株式会社は虐待から逃れてくる転生者のために一次避難用のシェルターも設けていた。最初はそのシェルターの方にハルを預けるつもりだったが、ハルがニンフと離れることを嫌がったので、急きょ自宅の一部屋をシェルターとして遡って差し込み登録をした。時空管理官のエストリエは、ホッと一息ついてカフェインレスコーヒーを飲んでいたが、ジーンは仕事部屋から出てくるとリビングでため息をついた。今日は珍しく在宅で仕事をしていると思ったら、どうやらリツが不調のようだった。
「女の子なんだから、そういう日もありますよ。でもそれでリツを有給にしちゃうなんて、我が君は配慮がありますね」
「…そうでもしないとリツは、鎮痛剤を飲んででも出社すると言いそうだったからな。魔界は皆、気軽に生理休暇を使うのに、この世界ではセラヴィ株式会社ですら使いにくいものらしい…感覚の違いか?まったく…女性の体を何だと思っているんだ」
「何となく…大っぴらに言いにくいものではあるとは思いますよ?それなら病欠にするってリツだって言ってたじゃないですか。結局のところ病気でもないのに大袈裟なって…同性だって軽い人には共感しにくいものなのかもしれないですし」
「どこか悪い所がある訳でもないのに、リツは症状が重いようなんだ。少し眠りの魔力を強くして眠らせてきたが…なんだ?何か変なことを言ったか?」
エストリエが微笑んだのでジーンは眉をひそめた。エストリエは首を横に振る。
「優しいなと思っただけですよ…相手の痛みに寄り添えるのは良いことだと思いますけど?」
仕事モードのときのエストリエは丁寧に話すと、ジーンは思った。使い分けているのだろう。
「エストリエも無理はするなよ?」
「まだ何の変化も感じてはいないので大丈夫です。それに私は魔界の法で動きますから、ご心配には及びません」
***
社長は出社していたが、最短距離で繋いだこともあり、イチカは家にいた。そうして何だかんだでハルの面倒を見ていた。ニンフもハルに寄り添っている。リーとの経緯を知っているだけに、ジーンはあまりハルに近寄らないようにしていた。ガブリエルも自身の忘却術が一部効かなかったことに首をひねっていた。それにニンフを見抜いた目は、そのうちジーンの正体をも見抜くかもしれないと思うと、どこか落ち着かなかった。ハルを傷付けたリーも悪魔だ。ジーンと違う世界の悪魔とは言ってもハルには同じものに映るかもしれない。それに社長を狙っていると思われる悪魔たちも凶悪だ。先に出会った知能の低い悪魔たちも、あれはあれで厄介だったが、戦闘能力の高い悪魔の方が面倒だった。社長には今日もラウムが同行している。エストリエも定期的に周辺に近付く悪魔がいないかどうか、チェックを怠らないようにしていた。
「ただいま戻りました」
ルイを送った足で買い物に行ったらしいストラスが帰宅する。何やら普段は買わない類のスナック菓子やらグミなどを買ってきたのを見ると、ハルに与えるのに買ってきたであろうことは明白だった。そのときインターホンが鳴って魔界の子ども服のサイトから購入した服が届く。さすがに家にある服のサイズを変えてもハルが着るには少し大人向けのデザイン過ぎたので、イチカの服もついでに一緒に選ばせてハルの服と購入したのだった。
「イチカ!ハル!服が届いたぞ」
ストラスが上に向かって叫ぶと、二人が駆け下りてくる足音が聞こえた。ジーンが仕事部屋に引っ込むのを見てエストリエは苦笑する。気を遣い過ぎだと思った。ストラスの方が見た目は屈強だし怖そうだ。やってきた二人はキラキラした目で段ボール箱を開け始めた。
「誕生日でもないのに服を買ってもらえるなんて、俺しあわせだなー」
イチカがニッと笑う。イチカもハルの前ではうっかり銀の枝のことを言わないように気をつけていた。
「新品の服…!買ってもらうの初めて…」
ハルは自分が選んだ服を大事そうに抱えて、少し離れてしゃがんでいるストラスを見た。ストラスは首を横に振る。
「お金を出したのは俺じゃなくて、セラヴィ株式会社の常務だよ。仕事部屋に引っ込んだけど、お礼を言いたいなら行ってきたら?」
イチカとハルは指差した部屋の方に行って、イチカが礼儀正しくドアをノックした。開けて顔を出したジーンは二人の少女に抱きつかれた。
「ありがとう!嬉しい!」
「ありがとうございます!」
驚いた顔をしたジーンを見てストラスはニヤニヤ笑う。
「服が届いたんですよ。エストリエがちょっと時間を操作したので三日前に出荷したことになってまして、すぐに来ました」
「そうか、良かったな。そんなに喜んでくれるとは思わなかった」
恐る恐るという風にハルの頭をジーンは撫でた。ハルは照れたように笑う。
「ついでにおやつも買ってきたから、好きな物を食べるといいよ」
ストラスが言うとハルは目を輝かせた。年相応の子どもの顔で笑い合う二人を見て、ストラスはホッとする。大人に怯えるかと思っていたがそうでもなさそうだった。ハルがトイレに行った隙にストラスはイチカにハルがこの家にいる大人を怖がっていないか聞いてみた。イチカは頷いた。
「うん、大丈夫そう。タバコはダメだけど、誰も吸ってないよね?」
ストラスは慌てた。
「いや…滅多に吸わないけど…稀に吸ってることがあるわ俺。ベランダでだけど。別に吸わなくても問題ないから止めておく」
「あとはまだ…全部は聞けてないけど…何となく…ハルの目は…楓と似てる気がする…リリスを見られてる気がするんだ。何となく…なんだけど」
ハルが戻ってきたのでイチカは話を止めた。イチカは段ボールを持ち上げた。
「色々着てみよっか」
イチカとハルはまるで仲の良い姉妹のように笑い合いながら二階へ上がって行った。




