リーの場合
「うわぁぁっ!!」
リーは自身の大声に目が覚めた。最近おかしな夢を見る。それに気のせいかもしれないが、誰かに見られているような気もした。そんなはずはない。自分は人ではないのだから、見られていたら確実に気付く。
「ちくしょうっ!」
リーの声に目覚めた少女が怯えたような顔でこちらを見ていることに気付いた。なぜか無性に腹が立つ。リーは最近銀の枝に入ってきた少女を躾けている最中だった。アリアが行方をくらましてから銀の枝は次第に傾きつつあった。目の前の少女は逃げられたアールに少し似ている。そう思った途端にリーの中で沸々と欲望が頭をもたげ、彼は再び少女に覆いかぶさった。アールが逃げてから何もかもがうまくいかない、そんな気がした。そもそもなぜアールは逃亡したのか、その辺りの記憶も曖昧だった。
「い…やっ…やめて…!」
少女はか細い悲鳴を上げる。リーは苛立ちに任せて少女を殴った。
「黙れ、殺されたいか?」
リーは雑に少女を貪った。再び悲鳴が上がる。だがアールのときのように魔力が上がらない。抱く度に吐いて腹立たしいガキだと思ったが、アールを抱いた後に感じる揺るぎない魔力を他の少女ではどうしても得ることができなかった。しかも無言で耐えるアールとは違って、この少女は泣いたり悲鳴を上げたりと、いちいち耳障りでうるさい。
「黙れと言っただろ。殺すぞ」
リーが刃物をチラつかせるとようやく少女はしゃくり上げながらも静かになった。ベッドの脇から注射器を取ると再び少女の顔に怯えが走った。
「別に依存性はない…ちょっと良くなるだけだ」
リーは少女の細い腕に針を刺す。身体のあちこちに残るタバコの火傷の跡はリーのつけたものではなかった。果たして前の飼い主とこちらと、どちらがマシか。しばらくすると少女の目つきが変わった。どこかぼんやりとして焦点が合わない。まるで人形のような。やっと静かになった。
「そうだ…それでいい」
リーは少女の血の味のする唇を舐めて囁いた。
***
気付けばリーはどこか分からない空間に転がっていた。手足は拘束されているのか動かない。どこからともなく、シャワシャワという音が聞こえてくる。聞き覚えのある不快な音は次第に近付いてきた。視界にしみのように見えた大量の点がセミの大群だと分かって、リーはゾッとするあまり声にならない声を上げた。セミに怯えた自分を怪訝そうに見たアールのどこか冷えた瞳を不意に思い出す。その間にもどんどんそれは近付いてきて、大量のセミにリーは覆われていた。無数の昆虫の脚が体中を這い回り、どういう訳か閉じられない口の隙間からも入り込んでくる。喉に向かってモゾモゾと進むセミを吐き出そうともがいたが無理だった。
「クソっ!!」
また悪夢だ。悪態をつきながら起き上がったリーはこみ上げる吐き気にヨロヨロとベッドから起き上がり堪えきれずに嘔吐した。まるでアールのようだと思って笑いそうになったが、そのとき彼は背中に衝撃を感じた。フラつきながら少女が後退る。リーは咳き込んで口から流れた血に気付いた。振り返ると背中にリーの得物が突き刺さっていた。
「このやろう…!」
リーは少女を追いかけようとしたが、どういう訳か突然何かに躓いたように転んだ。そのときになって初めてリーはそこにいる何者かの存在に気付いた。リーの足を貫いてトゲのついた何かが床から飛び出している。足を引き抜こうとすると返しのせいで激痛が走った。
「くそっ!」
悪態をつきながら転がっているリーから逃れようと少女は四つん這いになって逃げ出した。リーは怒りに任せて足を引き抜き少女の首を掴むと壁に打ち付けた。少女は気絶した。
「おやぁ…異世界の悪魔は随分と乱暴だねぇ」
そのとき背後で間延びした声が聞こえた。妙な気配に振り返ると、胡散臭い色付きの丸眼鏡をかけた男が立っていた。ウェーブのかかった銀色の長めの髪をかき上げた男はニコリと笑って指を鳴らす。首を掴んでいたはずの少女の姿は消えて、いつの間にかその男の腕の中に抱き抱えられている。
「な…お前…何者だ…悪魔か?」
「えぇ?悪魔に見える?この僕が?別に名乗るほどの者じゃないよ。天使と悪魔の代行サービス?うん、そんな感じ」
一人悦に入ったように笑いながらそう言った男を殴ろうとしたリーは胸元に衝撃を感じた。心臓を突き破り再びトゲの生えた何かが飛び出ていた。ゴボゴボとリーの口から血が溢れ出す。慌てて心臓を再生しようとしたが、魔力不足で元通りにならなかった。
「あー自業自得ってやつだよ。可哀想な女の子に酷いことするから…取るに足らない弱い存在だからって好き放題してると、思いもよらないところから制裁を加えられるっていう、いい例だね。君がせめてもう少し紳士的にこの子に接していたら、監視はあくまで監視のままで任務を終えるハズだったのにさ。ま、でも、いっか。これで始末する手間も省けたし、こっちの世界に差し込みしてないから、君が消えたところで事件にもならないしね…って聞いてる?あれ?もう聞こえてないか…」
倒れ込んだ相手の目にすでに光はなかった。ガブリエルは魔力で死体を燃やし尽くすと少女の記憶を消した。ここに置き去りにする訳にもいかないので、とりあえず連れてゆく。相手を刺した記憶も手酷く扱われた記憶も消した。この少女が経験した銀の枝の記憶など不要だ。
「君は…ニンフ…だっけ?監視だけ命じたって言うから、どんな弱い使い魔なのかと思ったけど、強いじゃん。それに愛嬌もあるし」
ニンフは少女の唇の横を舐めた。切れて出血していた跡が舐めたところから薄くなる。
「傷も治せるの?優しいね」
ガブリエルはニンフの頭を撫でた。シャワシャワとニンフの喉から声が上がる。
「君の声、なんだかセミみたいだね」
ガブリエルは笑うとニンフと少女と共にその場から姿を消した。




