リツ&花咲またはイチカの場合
その日表立ってジーンが魔界の仕事に着手していたのを目撃したリツは、セラヴィ株式会社の転生者案件の他にも同時進行でジーンが魔界の仕事をこなしていることをついに知ってしまった。パソコン上には幾つもフォルダがあり、リツなどが覗き見ることも不可能な場所にどうやら魔界の情報が保存されているようだった。その内容は時空管理官のエストリエも共有しており、主の命として魔界の各部門に振り分けることもあれば、時折主自らが今回のように直接連絡を取ることもある。ちなみに運悪く主の玉座を任された部下の名はベリアルと言うが、彼は本当に玉座に座って偉そうに自分よりも格上の悪魔たちを睥睨していた。同席するアスモデウス元帥が彼にこっそりと指示を出して、こちらで判断可能なものは処理していたが、時折主の判断を仰ぐ必要のあるものに関しては、返答を保留にし議会を招集すると言って断言は避けた。これだけ自分が貢献しているのに見返りが小悪魔やストラスとのキスのみとは見返りが存外に少ないと思っていた矢先に陛下から直々に声が掛かって、アスモデウス元帥は気分が良かった。近くを通り掛かった女悪魔に声を掛ける。悪魔としては小柄な方で今までは視界に入っても見なかったことにしていた。が、先に言った通り元帥は機嫌が良かった。ようやく視界に入ったことで、この女悪魔がサキュバスなのだと認識した。
「今夜は何か先約はあるかい?」
女悪魔は巨大なアスモデウス元帥を見上げると一瞬恥じらいを見せた。実はこの女悪魔は何度も元帥の視界に入る努力をしては、その存在すら認識されないことを他の女悪魔たちに馬鹿にされていた。サキュバスとしての自信を失い、王宮で働くのを辞めようかと悩んでいた矢先の出来事だった。なぜか不在の時空管理官から連絡が入り、今すぐアスモデウス元帥の執務室へ向かうようにと言われた。よく分からないままに彼女は従った。
「…私のような者に…先約など…ございません」
アスモデウス元帥は遠慮がちなその言葉を聞いて普段なら苛つくところだが、赤く染まり始めた頬と首筋を見ているうちになぜか奇妙な愛しさが込み上げてきた。何度も言うようだが今日の彼は上機嫌で、そして女悪魔は初めて元帥に声をかけられた喜びに打ち震えていた。サキュバスの持てる力の全てを解放して彼女は果敢にも色欲の悪魔を誘っていた。
「君の上には話を通しておこう。こちらにおいで。そんなに顔を赤くして…少し熱があるんじゃないかい。息をするのも辛そうだ。少し私の部屋で休んでいくといい」
アスモデウス元帥は小柄なサキュバスの女性を軽々と抱き上げると、そのまま軽やかな足取りで執務室へと向かった。
***
帰宅して食後の珈琲を飲んでいたジーンは魔界の監視カメラの映像を見て思わず口元を歪めた。無言でストラスを手招きする。後ろからパソコンを覗き込んだストラスは、小柄なサキュバスを抱き上げて執務室に消えるアスモデウス元帥の姿を確認して、眉をピクリと上げた。
「…とりあえず…優秀な部下が陰湿なイジメのせいで退職する事態は回避したな…」
「えぇ?これって偶然じゃないんですか。えげつないことしますねぇ…」
「恋のキューピッドとやらもしていることは大差ないさ。元帥は本来なら建端のデカい女悪魔を選ぶ傾向が強い。が、機嫌がいいときはこうしていつもとは違うものに食指が動く…私は的確に矢を刺しただけだ。いつもとは違う、小柄で可憐なサキュバス…これで彼女も失いかけていた自信を取り戻すはずだ。元帥に抱かれることが夢だったようだからね…」
「夢魔の夢ねぇ…実際に抱かれて後悔しないといいですけど…」
ストラスは肩をすくめてアイスクリームを食べているエストリエを振り返る。エストリエはなによ、と言ってストラスのように眉をピクリと上げた。長年いるとクセが移るのかもしれない。エストリエの隣にはルイがいて同じくアイスクリームを食べていた。
「あの子、エストリエの部下だろう?大丈夫なのか?」
「本当に…ちょっと私が外したら、もう別のターゲットを見つけてネチネチネチネチ…やること陰湿なのよ。サキュバスにだって変身が苦手な子もいる…あの子は少女になる方が得意なのよ。でもなんでよりによって好きになったのがアスモデウス元帥なのかしらね…そこだけは理解不能だわ」
リビングにはリツにイチカ、なぜか花咲が集まって小声で何か話していた。
「でも…好きになることに理由なんてないよね…」
花咲が小声でつぶやく。
「うーん、直感?何だろうね」
「ビビっときて、これだ!って感じ」
イチカが断言する。
「ルイもそっちに入ってきたら?」
エストリエに言われてルイはアイスを口に入れると意味深な笑みを浮かべた。
「女子トークには男子は混ざるなってのが、中学校のルールっぽくてさ。男子は男子、女子は女子で集まってんの。で、誰が好きとか…どこまでしたとかそういう話…退屈。つまんない。刺激がない」
「まぁ、全部経験済みのルイからしたらそうかもしれないけど…適当に合わせておくしかないわね」
「どんな悪夢を見せられるか…とか、そういうトークがしたい」
「だったら、ちょっと来いよ」
ストラスに呼ばれてルイはスプーンをくわえたまま隣に座る。
「リーに主の使い魔がマーキングしてきたから、近々悪夢をお見舞いしてやろうと思ってな。今はリーの周辺に異世界の悪魔がコンタクトを取りに来ないかを確認しているところだ」
「来たらそっちもマーキングするの?」
「だな。で、徒党を組んで何かしでかす前に個別に悪夢で削っておいて疲労してきた辺りで、現実にも攻撃を仕掛けるって訳」
ストラスはニヤリと笑う。
「ねぇ、イチカちゃん、リーの苦手なものか何か分かる?」
ストラスが声をかけると、リツたちと額を突き合わせるようにして話しているイチカが顔を上げた。
「リーの苦手なもの…?うーん、何だろうな。あー小さい子どもとか?あとは…あ!そうそう思い出した!セミ!なんでか知らないけど、地面に転がってたセミがまだ生きててジジっていきなり鳴いたんだよ。それ見てちょっと今まで見たことないくらいにビビって…んで、その後キレてセミを踏み潰してた…何だったんだろうなって思ったから…」
「ふーん、試す価値はあるかな?」
ルイがメモを取る。悪夢の構想を練るらしい。
「虫って何にしてもいっぱいいると気持ち悪いって感覚がね。僕は小さい子が大量にセミの抜け殻集めてたのを見たときも、ちょっとゾッとしちゃったもんなぁ…」
そういう割には楽しそうにルイは笑い出す。
「男子って虫採り好きだと思ってたけど…って、私は全然好きじゃなかったから、仲間外れにされてたけど。木の実を集める方が好きだった」
花咲がぽつりとつぶやく。
「分かる!ドングリとか集め出すと止まんないんだよなーリツは?」
イチカに聞かれてリツは答えに困った。
「…施設の人が…そういうのは持ち込むなって…ポケットを全部ひっくり返して…見られるの。だから集められなくて」
「そっかーあるよな。仔猫を隠れて飼おうとして見つかってぶん殴られたりな」
イチカは屈託なく笑ったが、そのとき風呂上がりの社長が現れてそれを聞きつけて声を上げた。
「なんだって?イチカを殴ったなんて許せないな。そいつにも悪夢をお見舞いしよう!」
「ソーシ、昔の話だよ」
「…昔の話だとしても、私はリツの背中を見た奴の目玉は片っ端からくり抜きたいくらいだ。そうだな…夢の中なら可能だな。施設職員のリストを作って…」
「ジーンも物騒なこと考えるの止めてよ!」
慌ててリツが叫ぶ。遅れて姿を現した宮森が、花咲を手招きした。
「お風呂が沸きましたから入りましょう」
「あ…はい…じゃ、ちょっとお風呂に入ってくるね」
途端に照れたような顔をした花咲は宮森に手を引かれて階段を上って行った。その後ろ姿を見送ったイチカがニヤニヤする。
「いいよな。なんか付き合いたての初々しさみたいなのがあってさ」
「イチカだって大差ないでしょ?」
「んー?まぁ、この姿ではそうなんだけどさ。ソーシと夫婦やってた時間はまぁそれなりにあった訳だからさ」
「なに?マンネリ化してるって言いたいのかい?」
社長がやってきて、イチカにふうっと息を吹きかける。イチカはお風呂から上がりたての状態になりフローラルなシャンプーの香りが漂った。
「もう、お風呂には毎日入って欲しいのに節約生活が身についちゃってイチカは放っとくと入らないんだよ。暮林さんもちょっと言ってやってよ」
「えぇ!?そうなの?まぁ…私も公園の水道で水浴びしてたことあったから…あんまり…イチカに強く言えない…」
「やれやれ、暮林さん、困ったことがあるなら何でも言ってって面談の時に言ったよね?どうして黙ってたの…今更だけどさ。この子はこういう風に、困ってても言えないことが多々あるから、フォスターくんも気をつけないといけないよ?溜まりに溜まって突然爆発して、いなくなったりされちゃうと困るからね?」
社長の言葉を聞いていたジーンはおもむろに立ち上がるとリツの側にやってきた。
「…とりあえず風呂に入るか。社長、入らない場合はこうすればいいんですよ?」
ジーンはリツを抱き上げると、すたすたと浴室に向かって歩き出した。
「ちょっ…下ろして!!」
リツは叫んだがジーンはずるい顔をして顔を近付けてくると口付けで封印した。
「…なるほどねー」
社長が腕組みをして見送る。そうして傍らのイチカを見下ろした。
「一緒に入る?」
「えぇ!?面倒だよ。もうスッキリしてるのに。俺はこの短時間で終わるのが好きなんだ」
「やれやれ…お風呂であんなことやこんなこと、したいのに、いつになったら許可してくれるのかなぁ?」
社長はイチカの頭を撫でて苦笑する。イチカは可愛らしい顔をして社長を見上げた。
「別に風呂じゃないとこで、いっつもしてるだろ?何が問題なんだ?」




