ガブリエル&ガブリエル
「やぁ、おかえり。ガブリエル」
「ただいま、ガブリエル」
配達に出ていた少し見た目の若いガブリエルが喫茶楽園に戻ってくると、店番をしていた方のガブリエルがそう声を掛けた。ちなみに出掛けた方に大半の恋愛感情を預けている。ガブリエルだから出来る技でもあった。
「それでもあの悪魔にはバレていると思うけどねぇ…」
厨房から三人目のガブリエルが出てくる。こちらは見た目がかなり年寄りだ。彼には欲望を預けている。
「ま、バレてたって直接的に手出ししなければ問題はないんだよ。感情と欲望と…全部をこの身一つに引き受けたら、悪魔の目の前であろうが何だろうが、あの忌々しい魔法陣なんかぶち壊してフィランジェルを抱きしめてしまいそうだからね…」
喫茶楽園の売り上げを勘定しながらガブリエルは笑う。
「抱きしめるだけじゃ済まないでしょ?それでいいの?ガブリエルはさ」
若いガブリエルがウォーターサーバーの水を飲みながら振り返る。様々な年代の自分と会話していると頭がおかしくなりそうだ。
「天使たるものストイックに…と言いたいところだけど…あの無防備なリツの顔を見ていたら…時折、滅茶苦茶にして泣かせてみたいって衝動がね…困ったもんだよ。こっちの気持ちになんて気付いてもいない。昔っからだけど」
売り上げを数え終わったガブリエルは天を仰いでため息をついた。
「…まったく、君はすぐに欲まみれになるんだから。溜まったのをこっちのじじいに少し寄越してよ。何事も時が解決するからさ…」
「あんたは単に枯れてるだけでしょうが。はいはい渡すよ。持ってたって厄介なだけだし」
ガブリエルは年寄りの自分に沸き起こったが欲望を渡すとスッキリした顔付きになった。
「イチカちゃんはあんまり発散に使うとルシフェルにバレそうだから、まぁ…それなら次のメンテナンスの約束が入ってる楓ちゃんかなぁ…あの子はけっこう素質がありそうだし」
「ガブリエル、天使じゃない顔付きになってるよ?下品、下劣、外道…どの表現が的確?」
若いガブリエルが水の入ったコップをガブリエルの目の前に置く。
「おじいちゃんは水道水で大丈夫だよね」
「なんだって?」
「ま、ウォーターサーバーだってタダじゃないし、この人は頑丈だからね、大丈夫大丈夫」
ガブリエルは若いガブリエルの注いだ水をゴクゴクと一気に飲んでため息をついた。
「楓ちゃんが使い魔の女だからって、あんまり調子に乗らない方がいいと思うよ?それよりも、見てよ!この子はどう?」
若いガブリエルがパチンと指を鳴らすと、リツに似た黒目がちのボーイッシュな女性が浮かび上がった。恋愛感情を預けているせいか、どうにもリツ寄りの見た目の女性を拾ってくる。
「うん、ま、悪くはないね」
「魔力切れで倒れそうになってたから、ちょっと介抱してあげたら、連絡先聞かれちゃって。バイトが終わり次第…って言ってたから、もうすぐここに来るよ」
「ガブリエル、ナイスだな」
「でしょ?そろそろ一つになっとく?じいちゃんはとりあえず置いといて」
「そうだね、おいで、ガブリエル」
ガブリエルは若いガブリエルを抱きしめるとその姿は吸い込まれるようにして消えた。
「まったく、じじいには面倒事ばかり押しつけるんだから…」
「だって、年齢が合ってないとまずいでしょ。じいちゃんはこの店のマスターね。マスターは奥で休んでて。高いびきでもかいてなよ」
年寄りのガブリエルが更に老け込む。やれやれと腰を叩きながらマスターは厨房の奥へと消えた。若返ったガブリエルがテーブルのコップを片付けたところで、ためらいがちにドアが開く。先ほどの若い女性が恐る恐るといった様子でこちらを覗き込み、ガブリエルの姿を見つけるとホッとしたように微笑んだ。先ほどは抱きしめて補充しただけだ。少しこの先の展開に期待という余韻を十分に持たせて。
「あの、さっきは本当にありがとう。これは少しだけど…お礼…バイト先のなんだけど…クッキーとチョコレート…嫌いじゃなかったらいいんだけど…」
ガブリエルは笑って、大好きだよ、と言った。そうして小声で、今マスターは昼寝中なんだ、とつけ加える。
「スタッフルームでも良かったら、珈琲飲む?せっかく、珈琲に合いそうな甘い物もあるし。あ、少しそこに座って待ってて」
ガブリエルは言って直前に挽いた豆をセットして慣れた手付きでお湯を注ぎ始めた。女性の顔付きと心拍数からして、何かしらを期待しているのは明らかだった。こうやって配達の最中に気晴らしの獲物はいくらでも狩れる。一度触れ合ってみて合わなければ記憶を消せばそれで済むし、相性が良ければ何度か逢瀬を重ねるのもアリだと思った。それにこの子は今までの中ではけっこうリツに似ている。こんなことをしているとは、さすがにあの悪魔も想像の範疇を超えるだろうし、天使としてはかなりろくでもない部類だが、ガブリエルにとってはこれも生きる上での必要なことの一つなのだった。この世界の空気に触れていると天界のように清いままではいられない。知らず知らずのうちに汚濁が積み重なりそれが欲望となって腹の中に溜まる。天使の彼も例外ではない。だから割り切っていた。丁寧に珈琲を淹れて可愛らしい木のトレーに貰ったお菓子と共に並べる。女性の好みであろう服の色に合わせて水色のカップに淹れた。楓を救った際に貰ったときには何の皮肉かと思ったルシフェルの寄越した魔界の媚薬をほんの一滴だけ垂らす。自分のカップは白だ。
「こっち。少し狭いけど許してね」
ガブリエルは見事に獲物をスタッフルームへと呼び込むのに成功し、そっとその扉を閉めた。しばらくは談笑する声が漏れ聞こえたが、やがてそれは静かになり、明らかに意味ありげな囁き声とかすかな呼吸の音に変わる。厨房の奥で本当に寝たふりをしていたガブリエルが目を開く。意識は繋がっているので扉の向こうのガブリエルが何をしているのかは明確に伝わってきた。やがて女性の小さな喘ぎ声が聞こえてくる。その間にもガブリエルの身体に預けられた重くて暑苦しい欲望はどんどん解消されてゆく。今回の身体は割と相性がいいと彼は思った。
(これは…次もアリかな…)
ガブリエルは微笑む。あの身体は元は何だったのだろう。これほどまでに乱されていてもどことなく漂う気品は、どこぞの王女だったのかもしれない、そう思った。天使に抱かれた王女の甘くか細い声を聞きながら、ガブリエルは目を閉じてその先はひたすら感覚を共有することに没頭した。




