ジーン&リツの場合 43
昼休みが終わりに近い時間だったので、ガブリエルの言ったことに対して聞き返すことも出来ずにリツは悶々としながら会社に戻った。化粧室でぼんやり歯を磨いていると花咲と多田が入ってきた。
「暮林さん?大丈夫?」
花咲にまで心配されてしまう。リツは大丈夫大丈夫と言って微笑んだ。
「常務とは仲直りできたんでしょ?」
小声で花咲に言われてリツは頷いた。うがいをする。
「一つ問題が片付いたら、また一つ別の問題が浮上したって感じ…」
「それ…分かる。今度、もう少し詳しく話そう?何でも抱え込んでちゃダメだよ?」
リツが常務室に戻ると、イチカはいなくなっていた。社長室に戻ったのだろうと思った。成瀬と瀬尾もいない。ジーンはデスクには戻らずにソファーに座っていてリツを手招いた。
「ねぇ…ガブリエルの言ってたことって、どういうこと?私の魂の色が濁るって…私は…悪魔に染められても構わないって思ってる…それじゃダメなの?」
隣に座ったリツがつぶやくとジーンがリツの方を見るのが分かった。いつになく自信のなさげな顔付きの悪魔と目が合ってリツは動揺した。
「いや、最初は…染めるつもりだった…染めても平気だと思っていたんだ。でも…いざ君を抱いて、夜毎魔力を注ぎ愛し合ったら、その輝きを少しずつ翳らせてゆく自分の力が…嫌になった…」
ジーンは己の両手を見下ろす。リツの魂はまだ輝いている。が、最近わずかにその輝きの強さが弱まったように感じていた。
「…私が…リツを悪魔に変えてしまったせいだ…天使の輝きを…私は…穢す…」
「アルシエル!!そんなこと言わないで!アルシエルが助けてくれなかったら、どのみち暮林リツは遅かれ早かれ死んでいたんだよ?翼が焼失したときに!私は納得して悪魔になった。アルシエルともっと時間を共に過ごしたかったから!」
目を見開いたジーン・フォスターをリツは抱きしめる。フィランジェルの姿になったリツはジーンの頭を優しく撫でた。
「フィランジェル…?」
「魂の色の濁った私は嫌?アルシエルは魂の色にも拘るからってストラスも言ってたし…」
「……そういう…訳じゃない…どんな色になっても…フィランジェルはフィランジェルだ」
「だったら、別にいいじゃない。それでも…アルシエルが何かしらの罪悪感に苛まれるのなら…ガブリエルに他に方法がないのか聞いてみてもいいし」
ジーンの髪を撫でていたリツは角のある位置に小さな痕跡を見つけた。隠しているがここがそうだと思って触れていると、ジーンがフッと笑い声を漏らした。
「角…だよね?隠してると…感覚があるの?」
「あ…あぁ…生える直前の状態と同じたからな。止めてくれ、ムズムズする」
「くすぐったいの?」
「あぁ…フフッ」
そのときドアがノックされた。
「入るよーあぁ!?」
こちらの返答を待たずにドアを開けた社長はフィランジェルの姿のリツを見て、変な声を上げた。宮森も凍りついている。
「勝手に開けないでくれますか?こちらはいいところだったのに」
明らかに不機嫌な様子でジーンが告げて、それでも図々しく中に入ってきた二人は、しげしげと天使の姿のフィランジェルを見つめた。
「そっちは巨乳なんだね…なるほど。両方のサイズを楽しめる訳か…小憎い演出だね」
「いえいえ巨乳どころか爆乳ですよ」
「誠司…ところで…巨乳と爆乳って、どこが境界線?」
悪魔とその使い魔が真面目な顔をしてフィランジェルの胸について下らない議論を始めたので、フィランジェルはリツの姿に戻ると声を上げた。
「だから!思ったとしてもいちいち声に出さないで下さいよ!」
「ま、両方のサイズを楽しめるという点においては否定はしないですよ…」
ジーンまでがそう言って、リツの胸を掌で包むと何のためらいもなく揉んできた。
「ちょっと!ジーン!」
リツは急いで逃れようとしたが、ジーンは離さずにそのままリツを触りながら、社長を見上げる。
「何か用ですか?」
「そりゃ、用事がないのにわざわざ様子を見に来るほど暇な訳じゃないよ…リーの居所は突き止めたのかい?」
「あぁ…それなら、イチカの中に微量に残っていた痕跡から、使い魔が辿っているところです。どちらにしても拠点は銀の枝だから、気長に張っていてもそのうち現れるでしょうが…」
「イチカの件については、助かったよ。君が天使の名前を出したときには、正直なところ正気か?と思ったけどね。でも今はこの魔力をイチカの体内に置いておくと僕の好みとはちょっと違うから、やっぱり暮林さんにあげるよ」
社長はそう言うと、そっとリツの頭に触れた。ガブリエルの力だ。リツは特に深い意味も考えずにそれを受け取る。
「…天使と悪魔の魔力を混ぜても、暮林さんは何の拒絶反応も出なくて正直なところ羨ましいよね。堕天使みんながそうかと言ったら、それも違う訳で」
ジーンは腕の中でわずかに光り輝くリツを見ていた。誰かを経由すればリツもガブリエルの魔力を受け取れるのだ。それにリツはそのことに関しては気付いていないのか、気付かないフリをしているのかは定かではないが、ジーンはこれまでの経緯を見て確信していた。
(ガブリエル本人も認めないに違いないが、リツの魔法陣がガブリエルに激しく反応するのは、ガブリエルがリツに対して抱いているある種の感情があるからだ…間違いなくガブリエルはリツを愛している…だが、リツにはその愛を受け止める気持ちはない…そのガブリエルにリツの魂の色を保つのに天使の力を分けろと…中途半端に頼み込むのは…さすがに私でも気が引ける)
なぜよりによってガブリエルの想い人がフィランジェルなのだと思ったが、天使を愛した悪魔の自分にそんなことを言う権利など元よりないこともジーンは承知していた。誰かを好きになることに明確な理由など存在しない。個別に具体例を並べたところで、それは後から気持ちを整理した上で片付けた引き出しの中にたまたま並んだだけの後付けの理由であって、恋に落ちた瞬間の直感的本能的な想いとは趣が違う。この魂が欲しいと渇望した己のそれはもっと汚い欲に塗れた獰猛な獣と同じ衝動だった。あのどこか飄々とした天使の顔の下にもそんな欲望が渦巻いているのだろうか、と想像する。それはあまりに背徳的だったが、フィランジェルを貪るガブリエルの姿をジーンは容易に想像することができた。自分は飢えを満たしたが、あの天使は永遠とも呼べる長い間、その飢えを抱え込んで生きているのかと思うと、同じ者を愛した者同士として、同情ともおかしな情愛ともつかぬ感情が沸き起こったが、彼を憎む気には到底なれなかった。




