リツ&イチカの場合 3
その後、出社する者と残る者、同行する者に分かれて出発する者たちはそれぞれに家を出た。今日は瀬尾にストラスが同行し、ルイを送ったその足で清葉学園へと向かう。成瀬はひまわりの種からのカメムシにショックを受けたらしく、ジーンの車中でも終始無言だった。最短距離で繋いだので、その気になれば成瀬はすぐにでも瀬尾に会えるようにはなっていた。だが、よほど酷い魔力切れでも起こさない限りは平気だろう。とはいえ、リツも自分が食べているお菓子が突然全てカメムシに変わったら悪夢以外のなにものでもないだろうなと思い成瀬が気の毒になった。精神面でのショックが魔力に影響しないことを祈るのみだった。
「ルイとケビンに何を許可したか知りたいか?」
会社に着くなりそんなことを言われてリツは怪訝な表情でジーンを見上げた。
「…それを私が知ることで…何かいいことでも?」
「悪魔らしく慎重な返し方をするようになったな?いや、別に。強いて言うなら教えておきたい、それだけだ。口付けと、ルイの血を飲んでもいい、それを許可した。血を飲んだ方がケビンのパフォーマンスは上がるし、ルイの欲求も満たせる、ま、悪くはないだろう」
リツはジーンの言葉に引っ掛かりを覚えつつも口をつぐむ。だが結局、我慢出来ずに聞き返してしまった。
「ルイの欲求を満たす…?」
ジーンはデスクでパソコンを立ち上げながら、珈琲の用意をしていたリツに向かって意味深な目つきをして見せた。
「ルイが純真無垢な子どもでないことなど、すでにリツなら分かっているだろう。ルイだってそのうち誰かを支配したくなることもあるさ。悪魔だからな。要するに支配欲を満たすんだ。その際に支配するのがケビンだと、ケビンの能力がルイを底上げし、そのルイをリツが最終的に使い魔にすることで、更にリツの力も揺るぎないものへと変わる…ケビンに言わせるとお互いウィンウィンというやつだな」
ジーンの言葉を聞きながら、リツは支配欲について考えていた。自分は悪魔にはなったが、別に誰かを支配したいとは思わない。ただジーンの隣にいたいと願っただけだ。ルイとの欲望の差に、リツは悪魔としては自分の方がむしろ未熟なのだろうかと、思ってしまった。しばらくするとドアがノックされて、宮森が顔を出し、やや気まずそうに告げた。
「五十嵐警部と樋口巡査部長がお会いしたいそうです」
ジーンとリツが社長室に向かうと、社長と話していた五十嵐警部が片手を上げて合図した。樋口巡査部長は立ち上がるとリツの方に歩いてきて、ふわりと抱擁する。
「あぁ…可愛いフィランジェル…!会いたかった」
リツは思わずジーンの方を見たが、堂々と魔力を掠め取っているラファエルに対してはジーンは何も言わなかった。悪魔には厳しいが天使には甘いのかとリツは釈然としない気持ちのまま、ラファエルに魔力を与える。五十嵐警部は、俺の甲斐性がないばっかりに相棒がすみません、とジーンに対して小さく頭を下げていた。もしかすると相方の態度次第なのかもしれない。社長はなんだかんだ言いながらも、それは悪魔としては当然の権利だと言わんばかりの態度だった。五十嵐警部は元勇者だがそういうところは謙虚だ。樋口巡査部長はキラキラした笑顔を居並ぶ悪魔に向けて光線のように放って、社長は眩しそうな困った顔をしていた。
リツはソファーには座らずに立っていたが、ジーンに手招かれたので座る。すると猫の姿のイチカが素早くリツの膝に乗ってきて甘えた鳴き声を出した。
(今、ちょっとソーシと喧嘩中なんだ。だから…)
(ええっ?なんで?私とジーンが仲直りしたら、今度はイチカが喧嘩してるの?)
(ソーシが分からず屋だからだよ。俺だって複数人でそういうことするのは好きじゃないって言ったら、ドン引きすんだよ。ドン引きすんのはこっちだっつーの!!宮森さんに舐められて気持ちいいって思っちゃったのはお互い猫科の動物になってたから、そのときは猫の習性の方が強かっただけの話で、別に俺だって人間の姿でそんなことしたい訳ないだろって言ったんだけど、理解不能って顔すんだよ…ほんと手に負えない)
イチカの頭を撫でながらリツは内心でため息をついた。そんなリツを見て社長はわずかにスネたような顔付きで言う。
「何となく僕の悪口を言われているのだけは分かるんだけどさ、イチカも強情だよね?そんなに暮林さんがいいの?」
(当たり前だろバーカバーカ!)
ニャアニャア言いながらイチカが応戦する。社長はため息をつくと、五十嵐警部に向き合った。どうやら真面目な話らしい。
「…どうにも、妙な連中が動き出していてね。うちの樋口が元天使の勘を取り戻したから言うんだが、異世界の悪魔たちが再び動き出したらしい。十七夜月が逮捕されてから、しばらくは大人しかったんだが…」
「昨夜も繁華街で喧嘩の通報があって、現場に向かった者が言うには、ボコられた方が、どう見てもあれは人間じゃなかった、と尋常じゃなく怯えているから酒か薬物を使用しているのかと疑ったらしいですが、結局どちらも反応なしだそうで。三メートルはある巨大な男に吹き飛ばされたって…全治二ヶ月だそうです。先ほど現場を見てきたんですが、明らかに人ではない痕跡を感じました…って言っても私の勘なので上に言ったところで取り合って貰えないのは分かっているので、こちらに来てる訳ですが」
ジーンはキーボードを叩いていたが、やがて画面にガブリエルが現れた。寝起きのままなのか髪がボサボサだ。ガブリエルは片手を上げて樋口巡査部長に合図した。
「よぉ、ラファエル、調子はどう?なんか無駄にキラキラしてるねぇ。フィランジェルの魔力でも分けてもらったのか?」
「そうですよ。よく分かりましたね。お肌もツヤツヤで絶好調です!って、そんな話じゃないんですよ。異世界の悪魔の来襲です!」
「いやいや、前から変なのはちらほらしてたよ。ただ互いに繋がってはいなかったのがここ数週間の間に群れ始めたってだけで…ま、目的がなんにせよ、こっちからはちょっかい出さない方が身のためだよ?生身の人間が敵う訳ないでしょ?ラファエルだってその身体は転生してるんだから、勘を取り戻したからって無茶するのはダメだよ?天使の頃とは違うんだから、すぐに壊れる。君はヒーローじゃないんだからね」
「でもっ…!市民の安全を守るのが警察の役目で…!」
樋口巡査部長の言葉をガブリエルは遮った。
「それで自分が死んじゃったら元も子もないでしょ。だからさ、悪魔のことは悪魔に任せておけばいいの。せいぜい俺たちができるのは、後方援護程度」
「えっ?」
なんだかんだで良いことを言っている気がすると思っていたリツは悪魔に任せておけばいいと言われたことに気付いて思わず声を上げてしまった。結局ガブリエルの結論はこちらに丸投げに等しい。それにエストリエや獣化した宮森ですら苦戦した相手にどう戦えというのかとリツは思った。リツは無意識のうちにジーンの方を見る。ジーンは頷いた。
「結論としてはそうなることは最初から分かっていた。問題はどこにおびき寄せるかだ。人目につかない場所の方がいいが、調子に乗って自宅を一区に建ててしまったから、閑静な住宅街で大乱闘を繰り広げる訳にはいかない…」
「あの…異世界の悪魔にも睡眠は必要?」
リツは思わず言ってから、自分の考えが急に幼稚なもののように思えて口をつぐむ。
「基本的には皆同じだと思うが…どうした?」
「…夢の中でなら…戦えると思ったんだけど…それって現実には影響しないから無理だよね、やっぱり」
ジーンは少しの間考えていたが、いや、と言った。
「いや、精神面は乱せるな。結果としてよほどのトレーニングでもしていない限りは魔力も乱せる。現実では群れていても…夢の中でなら引き離せる…それに一番居所を掴みやすそうなのは一人いるな。痕跡を辿れば…」
そう言ってジーンはリツを見つめた。いや、正確にはリツの膝の上で丸まっているイチカを見ていた。
(リーだな…)
イチカの心の声が聞こえる。その声は少し震えていた。リツはイチカの背を優しく撫でることしかできなかった。




