ジーン&リツの場合 41
アルシエルはやきもきしながらルイの夢の領域の手前で逡巡していた。無理矢理入ることも出来るが、それではルイの意識に傷がつく場合もある。そうして結局動けずにその場で浮かんでいるうちに、下の方から近付いてくる気配があった。
(アルシエル!!)
目の前に飛び出してきたのはリツだった。純白の花嫁のような衣装を身にまとっていて美しかった。
(リツ!!すまなかった)
アルシエルは思わず頭を下げていた。およそ今まで生きてきて誰にも頭を垂れたことのない彼が初めて自分の意思でそうしていた。
(アルシエル…?やめて…顔を上げて)
リツはアルシエルの側に飛んでゆく。アルシエルはリツを抱きしめた。
(本気で嫌がっていると…思っていなかったんだ…浅はかだったよ…本当にすまなかった)
(うん…後になってからそうなんだろうって気付いた…王子に言われたの。痛いときは痛いって…ちゃんと口に出さないと伝わらないって)
(王子…?何かあったのか?)
(魔法陣から血が出て…それでストラスが連絡を取ってくれて…)
(痛くしてしまって…手荒にしてすまなかった。魔法陣の方は…大丈夫なのか?)
途端に心配そうな表情になったアルシエルに向かってリツは微笑む。アルシエルはリツを優しく抱きしめたまま、ホッとしたように囁いた。
(愛想を尽かされて…戻らなかったら…どうしようかと思った…)
(アルシエルの隣以外に…私の居場所はないのに?)
そう言ったリツの頭をアルシエルはそっと撫でた。もう一度抱きしめる。アルシエルの姿でリツを抱きしめると、本当に小さくてすぐに壊れてしまいそうだった。
(リツ…現実に…戻ろうか)
二人は更なる上空を目指して飛び立った。
***
リツが目を開けるとリビングの天井とエストリエの顔が見えた。心配そうなエストリエの顔がホッとしたようにリツを見下ろす。
「リツ…良かった、目が覚めて」
「エストリエ…ジーンは…?」
起き上がると程なくしてリビングにジーンが入ってきた。エストリエは眉をピクリと上げた。
「我が君、リツとは…ちゃんとお話したのかしら?」
「エストリエ、大丈夫。夢の領域で話をしたから私、戻ってきたの」
「リツもね…我慢しちゃダメよ?男ってしょうもない意地を張ることもあるから…嫌だったら本気で噛みついたっていいのよ?そうすれば少しはこっちの痛みも分かるでしょ?」
「エストリエ…悪魔になったら私の前でも堂々と嫌味を言うようになったな…」
ジーンがやや眉をひそめてエストリエの顔を見る。エストリエは勝ち誇ったように艶やかに微笑んだ。
「あらだって、我が君はストラスとは違って女の姿で誰かに抱かれたことなんてないでしょう?うちの人だってしょうもないところはたくさんあるけれど、少なくとも痛みについては我が君よりも共感度は高いと思っているわ。それにリツの性格だとそういうとき我慢しちゃうってことも、容易に想像がつくから…次からは気を付けて下さいね?」
エストリエの言葉にジーンは思わず額に手を当てる。身に覚えがありすぎて返す言葉もなかった。
「…アスモデウス元帥に…会ったの。でも大丈夫。追い払ってきたから」
「は?あの元帥を?リツが?」
ジーンは起き上がったリツの顔をまじまじと見つめてしまった。狙った獲物は決して逃さない元帥を引き下がらせることが出来るのは自分以外にはいないと思っていたせいでもあった。我が主はストラスの貞操を守っているのですか?と囁かれたのを思い出す。まったく嫌な御仁だ。
「フィランジェルのフリして…ラファエルの名前を出してちょっと脅したら、そそくさと逃げ帰って行ったんだけど…ストラスはキスはされちゃったから…もしかすると影響が出てるかもしれない…」
そのとき唐突にゲストルームの扉が開いてルイが走り出てきた。
「エストリエ…!どうしよう。僕じゃ無理!」
遅れて顔を赤らめていつになく色気がだだ漏れのストラスが現れる。ルイの首には歯形がくっきりと残されていて血までにじんでいた。
「…ったく…噛んだら噛んだで血の影響が出るんだな…あの悪魔は血の一滴に至るまで、それしか考えてないのか…ちくしょう」
「あらあら…まったく、しょうもない人ね。いっそのこと元帥に抱かれてきたら良かったかしら?」
エストリエの顔を見たストラスはチッと舌打ちをして近付いてくる。
「そりゃないだろ。女の姿になってあの元帥のねちっこい愛の囁きに耐えるのは屈辱以外の何物でもないんだよ!」
「…私とリツがいるのに、女の姿が屈辱だなんてよく言えるわよね…でも、そうよねぇ…あなたはリツやルイとは違って流動的じゃないから…」
「え?私?」
リツはそこで何故自分の名前が出るのかと首を傾げる。
「あら、だって、リツは男の子の姿に変えられてもあまり抵抗なく受け入れていたじゃない。ルイだって夢の中じゃ女の子にもなれる。あなた方って、そういう所が似てるのよ。自分の性別には正直なところあまり拘りがない…」
言っている間にもストラスはエストリエの服の中に手を差し入れて怪しげな動きをし始めた。
「ちょっと、こんなところで堂々と始めないで。ホラ、寝室に行くわよ?この人、こうなっちゃうとダメなのよ。まったく…どうして元帥の血の影響の後始末を私がしなくちゃならないのよ。ルイ、一つ貸しにしておくわ。後でたっぷり血を飲んであげるから覚悟しなさい!」
エストリエはそう言うとストラスを連れて二階へと消える。今の今まで気配を消していたケビンが床下から姿を現してニヤニヤ笑いながら言った。
「魔界の国王陛下まで黙らせる姉さんなんて、なかなかいないよな。こっちは見てるだけで退屈しないぜ。ルイ、その首見せてみろよ」
ケビンはルイの首を覗き込むとぺろりと一舐めした。傷が消え去る。ルイは首に触れて驚いた顔をした。
「ケビンって色んな力持ってるよね…」
ルイの言葉にケビンはニヤリと笑う。褒められると嬉しいのは人と変わらないようだ。
「まぁね…でも、お陰で胴体バラバラにされてもなかなか死ねないから、ダンピールの中でも気味悪がられて遠巻きにされてたけどな。この家の住人はみんな変わってるから、俺がいても変な目で見たりもしないし、ま、気楽だよ…でさ、国王陛下。さっきまで動揺してたのか、いつになく魔力が不安定だったんだけどさ、そろそろ家の守りの魔力を強化してくれない?気ぃ回して、補い過ぎてちょっと疲れてきた…」
ジーンはハッとした。ケビンの魔力が入り込んだ場所に自身の魔力を重ねてゆく。ケビンは、はぁぁと大きなため息をついた。
「小娘一人にそんなに動揺するって敵にバレたらまずいよ?ま、個人的にはそういうのは嫌いじゃないけどさ」
ケビンはルイに後ろから覆い被さるとそのまま再び足元の影に消える。
(ちょっと疲れたから休むわ…おやすみー)
床下からケビンの声が響いた。




