再びリツ&宮森の場合
常務室でガブリエルとリツは後からやってきた警察官に秋村を拘束した際の状況を説明し、リツとイチカはようやく念願のラザニアを食べていた。サラダもついている。デザートはパウンドケーキだったので、リツはジーンに残しておこうと思った。やがて花咲が姿を現す。花咲は明らかに疲れたような顔をしていた。
「ガブリエル、ジーンからも言われてたと思うから…お願い」
「なーんで僕なのかなって思ってたけど、見たら納得。悪魔の魔力で満たされ過ぎると、確かにバランス崩れちゃうね、今はまだ。これはリツの調整でも追いつかない…愛され過ぎるのも考えものだねぇ…留守にするからって注いだのはいいけど、多過ぎたんだな。辛かったでしょ」
花咲はソファーに陣取った胡散臭い相手にすぐさま警戒した表情を浮かべたが、しばらくガブリエルの姿を見つめて、やがてその顔は驚愕のそれへと変わっていった。
「いいねぇ、そのドブネズミを発見したみたいな顔から一気に不死鳥くらいにレベルが上がる感じ」
ガブリエルはニヤリと笑って胡散臭い色眼鏡を外した。その下から現れた意外と真面目な顔付きの男性を見つめて、花咲はそれでもやや緊張したようにその隣に座った。心なしか顔が赤い。
「あの…よろしくお願いします…女の子じゃなくて…ごめんなさい」
花咲の言葉にガブリエルは笑う。
「美人は大歓迎だよ。おいで。ハグだけで大丈夫かと思ったけど、ちょっと時間がかかりそうだなぁ。休憩時間も終わっちゃうから、キスするよ?あんなことがあった後でゴメンね。大丈夫そう?」
花咲はやや戸惑いを見せたがこくりと頷いた。リツは思わず反射的にイチカの目元を覆ってしまった。リツ自身も背を向ける。それを確認してからガブリエルが本当に花咲と口付けを交わしている気配が伝わってきた。逆に気配を読んでしまって気まずい。花咲の息遣いもやけに意味深でリツはすっかり困ってしまった。早く終わらないだろうか。
「もういいよ、大丈夫だよ」
ようやくガブリエルの声に促されて振り返ると、目を閉じてガブリエルの腕に抱かれた聖女がいた。花咲の姿が転生前の姿に戻っている。
「ほえーめっちゃ美人じゃん」
イチカが感激した声を上げた。なんと儚げな美人なのかとリツも感動する。一瞬ガブリエルの姿が天使のそれに見えてリツは目をしばたいた。
「どうした?ほれ直した?」
ガブリエルはニヤッと笑う。すっかりいつもの調子に戻っている。リツは一瞬見せた聖画のような光景は何だったのだろうと思った。程なくして花咲の姿も元に戻る。ゆっくりと目を開いた花咲の頭をガブリエルが撫でる。花咲のどこかうっとりとした表情にリツは何故か心がざわついた。
「…ありがとうございました」
花咲はガブリエルの腕から身体を起こすと礼儀正しく一礼をする。
「調子はどう?大丈夫そう?」
ガブリエルは何事もなかったかのように言うと立ち上がった。
「さてと、店で働いてる半分に怒られるから戻らなくちゃな」
「半分?」
リツの不審そうな声にガブリエルはふふんと笑う。
「そりゃあね、書き入れ時の時間帯に店を留守にする訳ないでしょ?でも、むこうよりこっちの半分の方が今日は役得って感じかな。美人とたっぷり濃厚なキスしちゃったしね」
もう一度花咲の頭を撫でるとガブリエルはドアを開ける。そうして運悪くそこに戻ってきた社長と宮森に会ってしまった。
「あ…どうも。失礼したね」
ガブリエルはそう言ってすり抜けようとしたが、宮森が低い唸り声を上げた。
「ちょっと止めて誠司、話は聞いてたでしょ?この人に唸ったってしょうがないよ」
社長の言葉に宮森は不服そうな顔で相手を睨むとすたすたと常務室に入ってきた。そうして花咲を抱きしめて身体を擦りつける。
「悪かったね、協力してもらってるのに。花咲さんにマーキングしてるんだよ。君の匂いがついたから。本性が獣だから、どうしても気になるんだろうね」
「ちょっ…先輩っ…!」
花咲が赤くなって慌てた声を上げる。ガブリエルは横目で見ながらそちらに手を振った。
「ま、いい女だったから、ちょっと楽しませてもらっちゃったよ。天使にだってそれなりに気晴らしは必要だからね」
社長に向かって囁くと、ガブリエルは去ってゆく。社長も常務室に入ってきてドアを閉めると、イチカが駆け寄った。
「ソーシ、ちゃんと留守番してたぞ?天使のラザニアめちゃくちゃ旨かった」
抱きついたイチカの頭を撫でて社長は微笑む。
「暮林さん、ありがとう。何やら騒があったって聞いたけど、ガブリエルと暮林さんのお陰で花咲さんも無事だったようだし、本当に助かったよ」
社長はまだ宮森に身体を擦りつけられている花咲の方を見て苦笑する。花咲は時計を見て言った。
「先輩っ…もうデスクに戻らないと…遅いって言われちゃいます」
「楓…本当はキスしたいのにこれでも我慢してるんだよ。せっかく整った魔力のバランスを崩したくないから」
宮森はどこか不満そうに言ったが、ようやく腕を離して花咲を解放した。花咲は一礼すると常務室から小走りに出てゆく。不意に宮森がリツの方を見たのでリツはリツで嫌な予感がした。
「暮林さん…魔力を分けて下さい…」
懇願するような表情を浮かべて宮森はリツの方に忍び寄ってきた。社長が肩をすくめる。
「程々にしないと、常務に叱られるよ?」
するりと跪いた宮森はリツの両足に絡みつくようにして太ももに頬を寄せてきた。人の姿のくせに行動が獣化していることにリツは焦る。こんなところを誰かに見られてはたまったものではない。だがすでに宮森はうっとりしたように目を閉じて鼻をヒクヒクさせながら、足に抱きついて離れなかった。
「ちょっと午前中働かせ過ぎたのと…最近聖女の魔力に触れてたから、純粋な悪魔よりも暮林さんの魔力が気持ち良く感じるようになっちゃったんだろうね…早く花咲さんに今後どうするか決めてもらわないと…僕の使い魔から暮林さんの使い魔になっちゃいそうだよ…」
社長が呆れたように言いつつも勝手に常務室の冷蔵庫を開けて中を物色し始める。炭酸水を取り出した社長は、もらうよと言ってゴクゴク飲み始めた。飲みながらも合間に社長はイチカとキスをし始める。確かに離れていた時間が長かったとはいえ、皆自由過ぎる。
「社長!いちゃいちゃするなら社長室に行って下さいよ!」
リツが声を上げると社長はキスを止めて、まだ足元に絡みついている宮森に目をやった。
「誠司を置いてくと、万が一暴走したときに困るから一応監視の意味合いも兼ねてここにいるんだけど。そりゃ僕だって、早くイチカともっと触れ合いたいよ?置いて行って大丈夫?獣化しちゃっても対処できる自信があるなら、二人きりにすりるけどさ?」
「…止めた方がいいと思うぞ?」
社長に抱きついたイチカが真面目な顔をしてリツの方を見た。何か湿った感触を感じてリツは下を見る。すでに遅かった。獣のザラザラした舌がリツのふくらはぎを熱心に舐めている。ゾワッとして、リツは慌てふためいた。
「ちょっと宮森さん!しっかりして下さいよ!」
だが獣化した宮森にその声は届かない。社長がのんびりと言った。
「万が一ストッキングを破ったりしたら、そのときは弁償するからさ…誠司?舐めるだけにしなよ?甘噛みもダメだよ?いいね?」
「甘噛み?その牙で甘噛みとか、甘噛みのレベルじゃないからっ!」
グルルと低く喉を鳴らす獣に巻き付かれたまま、リツは叫ぶ。
「猫の状態であちこち舐められたときは、けっこう気持ち良かったけどなぁ」
イチカが笑いながら言ったが、リツは半分くらいしか話が耳に入らなかった。後で冷静になってから、恋人を使い魔に舐め回されても平気な社長はどういう神経をしているのかと思ったが、ジーンは黒木以外の使い魔をリツに会わせることもなかったので、社長の行動が悪魔にとっての常識における正常な範囲内の行動なのかどうかの判断すらつかなかった。どちらにしても人の姿で大型獣に舐め回されるのは命の危機を感じる、そうリツは思ったのだった。




