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リツの場合 1

 荒れ狂う嵐の中、稲光に物々しいシルエットを浮かび上がらせる城を目指して一つの獣の影が走っていた。あっという間に城壁を越えて主の部屋へと辿り着く。


「して、調査結果はどうだった?」


 執務室で何やらデータを眺めていた相手が顔を上げた。彼は魔力で身体を乾かし人の姿に戻ると約一ヶ月の身辺調査の結果を報告する。


「調査対象は、月曜から金曜の朝九時から夕方六時までを異世界転生対策本部転生撲滅推進課で働き、週に三日は残業で十時過ぎに帰宅、土日はコンビニでアルバイトをしており、報告書にあるような日々夜の街を遊び歩き…その…淫行に耽るといったような時間は全くありませんでした。それどころか途中からは…水道も電気もガスも止められて…生活に困窮している様子でして…」


 相手の手にあったタブレットがバキリと音を立てて真っ二つにへし折られる。怒る気持ちも分からなくはないが、こちらに持ち込むのは骨が折れたのに、と彼は内心ため息をついた。


「なんだと…つまりは、天界に上がっていた報告書の内容は全て虚偽だった訳か…?」


 怒りをあらわにした相手が立ち上がる。人の姿を保ってはいるが影にはねじ曲がった二本の角が見えた。影の中で巨大な鉤爪のある翼が開く。


「今すぐ調査対象の転生先へ向かう。適当に身分を差し込め」


「えぇぇ…そんな無茶な…」


 相手は情けない声を出したがギラリと光った赤い目がそれ以上の言葉を封じた。


「た、大変です!」


 そのとき執務室の扉が開いて部下が駆け込んでくる。


「天界が…流刑者の翼の保管塔に放火した模様です!」


「畜生!先を越された!ストラス急げ!転生先の時間軸の一週間に差し込みだ」


「わぁぁ、分かりましたから!くっそ!天界め!あぁ、今すぐです。緊急事態が発生しました…至急二名の差し込みをお願いします。一週間前で、そこをなんとか」


 彼は手首の端末を使ってどこかに連絡を取る。小さな画面の相手が眉間にシワを寄せ不機嫌な表情になるのが見えた。この貸しは大きい。


「しばらく留守にする。お前は偉そうに玉座に座って足でも組んでおけ」


「ええっ!?そんなぁぁぁ!お待ちを!」


 情けない声を上げた部下は主の魔術で本人と寸分違わぬ姿に無理矢理変えられる。 


「すみません、よろしくお願いします」


 ストラスと呼ばれた部下は足元に魔法陣を描くと主と共に姿を消した。



***



「おはよう、リツって…あんた昨日よりも酷い顔してるよ?大丈夫?」


 出勤した私の顔を見て同僚の陽咲はギョッとしたような顔をした。目の下のクマを化粧でなんとか隠したつもりだったがバレていた。


「ちょっと、こっちに来て…」


 給湯室に引っ張られる。


「い…いいって…」


「そんな顔のまま隣で仕事される方が迷惑」


 陽咲はそう言って私を抱き締めてくれた。


「誰でもいいから早くパートナーを見つけなさいよ。期限付きの契約を斡旋してるところもあるんだから。いつまでも前世の肩書に縛られてたらやってられないよ?」


 陽咲の魔力が流れ込んでくる。今朝起きたときから続いていた頭痛が少し和らいだ。


「次の給料が出たら…あれを買うから大丈夫…」


「あんな一本五万もするものに頼るのは止めなさいよ。ぼったくりじゃない」


 そんなことは分かっているが、今のところ無駄にエネルギー効率の悪いこの身体で乗り切るには、それしかなかった。


「登録…したけど…前世のせいで…期限付きのパートナーすら該当ナシだった。要するに養いきれないってこと…」


「前世の肩書を非表示にできないかって今朝のニュースでもやってたけど…難しいみたいだね」


 陽咲の前世は目下大人気の妖精だ。しかも私のような札付きとは違って希望転生者だ。長年付き合っていた彼と結婚し、この春に新生活をスタートした。


「はぁぁ…だよね」


 そう、リツこと暮林里津。不人気極まりないこの私の前世の肩書は札付きの堕天使だ。



***



 この世界はいわゆる、あらゆる異世界との交錯地点に位置する世界の一つで、先日見せてもらった異世界の日本という場所と比較的よく似た環境だった。隣接したり一部被ったりする世界が似通った傾向になるのはよくあることだが、向こうとの違いといえばこの世界は異世界の存在を認めていることと、ガスや電気の他に魔力も使えることだった。そうして交錯地点にありがちな、異世界からの流刑者が気紛れに落とされる場所でもある。かくいう私も生まれたときからすでに「札付き」要するに流刑者だった。


(だいたい堕天使っていうのが最悪…せめて天使か悪魔だったら、パートナー候補に残れたのに…それすら希少ではあるけど…)


 視界の端で点滅したボタンを押して呼び出し音が鳴る前に電話に出る。モニターに相手の顔が映った。


「お電話ありがとうございます。こちらは異世界転生対策本部転生撲滅推進課でございます」


 考え事はよそう。まずは目の前の仕事に集中だ。異世界転生なんぞクソ喰らえ。私は柔らかい声を出しながら、異世界に転生した可能性のある子どもを探す母親の涙混じりの声を聞きながら、随時更新されるリストの画面をスライドした。



***



 午前中の仕事を終えて待ちに待った昼食の時間がやってきた。この仕事を選んだのはランチビュッフェが食べ放題だからだ。馬鹿みたいに高い魔力回復薬を買うためには削るものは削らないと生きていけない。私の他にも目の下にクマを作った転生者が何名も働いていた。が、皆一様に私を見ると怯えたように道を空ける。私はモーゼか。と言ってもこの世界に神は存在しないから言ったところで誰にも通じない。

 山盛りよそって、いつもの定位置である端の席に座ろうとしたらすでに座っている人物がいた。新しいスタッフだろうか。それにしては随分と堂々たる寛ぎ方でタブレットを片手に優雅に珈琲を飲んでいた。彼は私に気付くと山盛りの皿を見て僅かに眉を動かした。どうせチビのくせに食い意地が張っているとでも思われたのだろう。


「失礼。ここは君の席だったか。なるほど…ね」


 意味深な笑みを浮かべて立ち上がると、見上げるほどに長身だった。何より私を見ても怯まない。不意に嫌な記憶が過って背中に鋭い痛みが走った。


「おっと…」


 相手の驚いたような顔に何故か既視感を覚えたが、私の視界は一気に暗くなって何も考えられなくなった。



***



「…天使………ェル…そなたを有罪とする。懲役千年の異世界転生及び翼の切断を以てこれを堕天の印とする」


 嫌だ嫌だ。私が何をしたというのか。頼む翼だけは取らないでくれ。ゴリゴリと嫌な音が響く。身体が引き裂かれるように痛い。神は無慈悲だ。目の前に血塗れの翼が放り出される。一枚。再びの激痛。背中が焼けるようだ。ゴトリと重い音と共に二枚目の翼が呆気なく転がる。


「うわぁぁっ!」


 飛び起きると酷い汗をかいていた。視界がぐるぐると回って吐き気がした。目の前に無言で洗面器を差し出される。が、空っぽの胃からは何も出ず、僅かな唾液と血が混ざって掌を汚しただけだった。千年…。今がもうその何年目でどれだけ繰り返したのかも覚えてはいない。どうせここで死んだところでまたすぐに転生して、途切れ途切れの記憶を引き摺ったまま惨めに繰り返すだけの生き地獄だ。


「ハハッ…」


 思わず笑ってしまった。


「何がおかしい?」


 洗面器を差し出した相手がいたことをようやく思い出す。顔を上げると食堂で出会ったあの男が座っていた。やや明るい茶色のウェーブがかった長めの髪に鋭い碧眼。やはり改めて見ると知らない顔だ。


「…誰ですか?」


 さぞや今の私は禍々しい気配を放っているに違いないと思ったが、顔色を変えない相手は冷たい目のまま言った。


「私のことも忘れたか…やれやれ、ここまで記憶の混濁も酷いとの報告は上がっていないのだが。せっかく探しに来てやったのに随分と小さくて脆弱な身体に様変わりしたものだな…」


 ウェットティッシュで掌を拭かれ洗面器を避けられる。


「…そうだな、私は君の魂と古くからの知り合いだった者だ。だからそのよしみで少し魔力を分けてやる…」


 頬に手が触れ、あっさりと唇が重なった。熱いのか冷たいのかも分からないまま一方的に流し込まれる。なのに何故か身体は懐かしいと感じているのが分かった。押し返そうとした手を封じられる。力で敵う相手ではなかった。強引にこじ開けられてなおも注がれる。不意に本能的な恐怖を覚えて、渾身の力を振り絞って相手を振り払う。ずっと頭に残っていた痛みと身体の怠さが見事に吹き飛んでいた。


「少しはマシな顔付きになったか。これでも思い出さないのか?フィランジェル」


「え…?」


 ずっと昔に失った名を呼ばれて心臓がドクリと跳ねた。


「まぁいい、今はまだ思い出さずとも…」


 彼は呟くと名乗りもせずに姿を消した。

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