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残星の指輪  作者: 藤宮ゆず
1章
5/15

5 サロン①

 高層ビルの最上階、高級ホテルも入るこのビルで、この階だけは完全にオーナーのプライベート階。エレベーターにこの階のボタンは無く、特別なIDを持たなければたどり着かない。出入りを許されるのはオーナーの他にたった五人ほど。


 エレベーターを降りると赤い絨毯の敷かれた廊下が続く。紫苑(しおん)は昨夜ボロボロになった制服ではなく、用意しておいた新品の制服を着込んでいた。きちんと磨いたローファーでその絨毯を一歩一歩踏みしめる。柔らかなセピア色のライトが空間を照らし、廊下には価値のある絵画や壷が飾られている。


 一番奥の部屋の前で立ち止まる。ノックをしてアンティークのドアノブを回す。デジタルと最先端で凝り固めたこのビルの、この部屋だけはアナログとノスタルジーが残っている。


 今では流通しない木材のデスク、ガラスシェードのシャンデリア、深いブラウンのソファー、全て貴重な調度品だ。ここはホテルの初代オーナーの書斎をそのまま模した特別な部屋。そして今はあるメンバーが管理を託されている。


「紫苑、おはよう」

「おはよう」


 ソファーでゆったりとコーヒーを嗜む男は鶴谷真一郎(つるやしんいちろう)。紫苑の分のコーヒーカップも用意していた。彼の向かい側に座る。


 彼は名家に生まれ、容姿、勉学、運動、芸術、あらゆる分野で類いまれなる才能を持つ。そして昨年大学に首席入学し、今年学部の中で一番人気のゼミに所属した。微笑みの貴公子の名に恥じぬ彼は幾多の幸運に恵まれながらも、いつもある悩みに苛まれている。


「真一郎、お前また徹夜して焙煎したのか」

「コーヒー豆を触っていると気が紛れるんだ」


 紫苑は注がれた湯気の立ち上るコーヒーに角砂糖三つとミルク並々注いだ。


「ああ、せっかくのコーヒーの香りと深みが……」

「私はコーヒーより抹茶派なんだ」

「その二択にはなかなかならないと思うけど」

「それより、昨日例の場所に行ったぞ」


 すると真一郎は申し訳なさそうに、長い睫毛を揺らして伏し目がちに話した。


「聞いたよ、随分な騒ぎになったようだね。頬に擦り傷が残ってるじゃないか。首にも。治せなかったのかい?」


 昨晩ある程度の傷は治したが、擦過傷は放置していた。この程度は数日すれば治る、こういう傷に魔力と時間を割くのは勿体ない。


「魔力節約した」

「手を出して」

「いい」

「だめだ。体を張って探してくれているんだ、僕の魔力くらい遠慮しないでくれ。さ、手を出して」

「……分かった」


 紫苑は手首を出す。真一郎は自分とはまるで違う骨張った手で、紫苑の脈に強く触れるよう掴む。彼のさらさらした前髪が揺れた。


 触れた部分から体に魔力が流れ込んでくるのが分かる。瞬く間に擦り傷が治癒していく。こういうことができるのは家族でも恋人ではない。単に真一郎が主で、優しくて、紫苑が従属するトラだから。


 トラが主から魔力を得るには直接の肌の触れ合いが必要となり、特にトラの首、手首、または心臓など、生命力の強い部分に直接触れることで効率的に魔力を受け渡しができる。


 手首を離されると紫苑は雑に袖を直す。


「千春の血松石は見つからなかった」


 そう告げても真一郎は落胆しなかった。


「いいさ。無理はしないでくれ。魔法使いのせいで君に怪我でもあったら、僕は悔やむに悔やみきれないよ」


 紫苑は再びコーヒーカップを手に取った。


(真一郎は優しい。生来そういう生き物なんだ)


 ぬるく甘いコーヒーを飲み干した。


「ところで、そこで面白い奴と会ったよ。私と同じトラだと思う」


 彼は今日初めて瞳に興味を煌めかせる。


「へぇ。どんな子?」

「同じ高校、一つ上の男子だ。まだ調べてないけど、多分トラだ」


 すると真一郎は誰もが気を許しそうな微笑みを浮かべた。


「次の土曜日、ここへ連れておいで」




 ※※※




 金曜日の爆発から土日が明け、教室に入るなり早々に氷叡(ひえい)に絡まれた。彼はアオトより頭一つ大きいので、肩を組まれると押し潰されそうになる。柑橘の爽やかな匂いと、その奥に甘い残り香。いかにも女子のときめきそうな香水を付けている。


「おいおい見たぜーネットニュース」


 アオトは氷叡を押し退ける。


「何の話だ」


 ごまかしてはみたものの、すでに見抜ききっているようだった。


「つれねーなー、あのガス爆発お前の仕業だろ。地中のゴミから湧いたメタンガスの爆発ってあるが、おおよそ魔法使いのトラップ踏んだな。でもどうやって生き残った?」

「俺の力じゃない」


 それは事実だった。


(あれは指輪の力だ。この指輪の後ろには誰かがいる。それは俺に魔法を与え、いつも守ってくれている)


 アオトは魔法使いではない。でもある時から誰に教えてもらう訳でもなく、魔法を使えるようになった。力は生前祖母から貰ったものだった。


 素材は鋼鉄、色はシルバーのシンプルな指輪で、細やかな彫刻が施されている。価値はそれほど無いが、歴史が古く、幕末貴族の質流れ品だという。金銭的価値は無くても、祖母が握らせてくれたこの指輪はアオトにとって大きな意味を持つ。この指輪を小さい頃からお守りとして、細いチェーンで首からぶら下げていた。


 それでもそれまではただの指輪だった。でも四年前の事件から()()が目覚めた。危険なことが近付くと襟首を引いてくれたり、この前の爆発でも紫苑と一緒に守ってくれた。


「じゃあ探し人はいたか?」

「いやそれも……え?」


 探し人がいるなんて誰にも相談していない。氷叡は意味深に笑みを浮かべていた。


「なんで俺が人を探してるって知ってる?」

「さぁ」

「占いか?」

「かもなー」

「嘘だ、お前誰かを占うの好きじゃないだろ」


 氷叡はニヤリと笑った。


「じゃあ俺の勘」

「またそれ」


 彼はのらりくらり質問から逃れると、アオトの首元を指差した。アオトは目を見開く。シャツの下にはチェーンに通した指輪がある。


(見えないようにしてるのに)


 立入禁止区域といい、指輪のことといい、この男は何であらゆることを知っているのか。そういえば氷叡のことは魔法使いであるということ以外知らないと、今思い知らされた。いつも上っ面な会話をして、自分の本質は見せない。


 席に座ると、勢いよくドアを開ける女子生徒が現れた。


「アオトいるかー!」


 道場破りのごとく現れた彼女は数日前に出会った美少女だった。教室が何事かとざわつく。ズタボロになっていた制服は新品で戦いの面影もなく、擦り傷も何もかも消えてあの夜が嘘のようだった。


「紫苑?」


 彼女の名前を呼んだのは氷叡だった。紫苑は怪訝そうに眉をひそめ、次いで目を見張って髪をなびかせながら駆け寄った。両耳のアメジストのピアスが光る。


「氷叡か。久しぶりだな」

「お前は相変わらずだな」

「どういう意味かは聞かないぞ」


 アオトが口を挟む間も無く二人の旧交が温められていく。

 しかしすぐに氷叡は顔をしかめた。


「アオトに何の用だ?」


 紫苑がアオトに向き直る。


「元気そうだな。お前今週の土曜日暇だろ」

「なんで暇確定なんだよ」

「ちょっとサロンに面貸せ」

「サロン?」


 一体何のことかアオトには分からなかった。


「おい紫苑、なんでコイツをサロンに呼ぶ。コイツは魔法使いじゃない」

「知ってる、もう調べた」


 不意に声をひそめ、アオトと氷叡にのみ、それを告げた。


「だとしたら()()の可能性がある。真一郎が呼んでんだよ」


 まただ。それはこの前も聞かされた謎用語、トラ。あと真一郎も誰だか分からない。

 一方で氷叡は一人全てを理解したように「そうか」と一言だけ呟いて追及しなかった。


「お前も来るか?」


 紫苑は氷叡も誘ったが、遠い目をして顔を背ける。


「俺はいい。あそこは好きじゃない」

「そうだな」


 氷叡には無理強いせず、アオトの肩に手を置く。


「それじゃ、アオトは土曜日の朝十時、駅東口だぞ。制服着て来いよ、あと靴も磨け。寝癖は絶対直してこい。じゃな!」

「あ、おい!」


 アオトに有無を言わさず、紫苑は勝手に話を進めて去っていった。


 せめて連絡先を交換すればよかったと思うが、その一週間アオトが紫苑と校内で出会うことはなく、結局土曜日呼び出された場所で交換することになった。教師は無視できるのに、こんな時はすっぽかすことのできないのがアオトだった。


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