◇ 19 ◇
毎朝、目が覚めるたびに憂鬱になる。
優しかったお母様は、もう夢の中にしかいないのだと思い知らされる瞬間。そして鏡の前に立つたびに惨めな気持ちが湧きあがる。
ああ、なんて醜い……。
あまり自分の姿を見ないように化粧品を塗りたくる。懸命に厚塗りをしたところでたいして代わり映えがしないことはわかっているが、これは私の唯一の鎧だった。
身支度を終えると、階下に降りてカーテンをあける。湯を沸かし朝食の準備、家族のスケジュールを確認、時間が余れば書類のチェック。仕事がひと段落ついた頃、通いのハウスメイドがやってくる。いつもの慣れた仕事なので、辛いとも思わない。
普段はここで仕事を引き継ぎ、昨夜の余り物の朝食を持って引き上げる。屋根裏部屋で一人別の食事を食べるのも慣れっこ。なのに今日は、何故か家族の朝食の席に座るように言われている。
(……いったい、どういう風の吹き回しかしら)
ほどなくして、家族たちがやってきた。一緒に朝食をとるように命じてきたのは父だ。いつもどおりしかつめらしい顔で、しかしどこかこちらをうかがうように、時々視線を送ってくる。
反対に義母はみるからに機嫌悪く、わずかたりとも私を視界に入れようとしなかった。本来いるべきではないふさわしくないものが、大事な家族の団らんの席にいる。それが不愉快でたまらないと、一言も話さずに雄弁に語っていた。
しかし最もわからないのは妹のソランジュだった。こんな時いつもなら失礼極まりないことをあれこれ喋っているはずなのに、今日は黙って食事を口に運んでいる。
「それで、どうなんだね」
父が自ら話しかけてきたのはいつぶりだろう。そんな驚きで固まっていたので、つい反応が遅れた。しかし普段ならそれだけでイライラしだす父が、静かに私の回答を待っている。
(……どうって、なにが?)
戸惑っていると、父がさらに話しかけてきた。
「未だ婚約が決まりはしないものの、今日が三度目の面会だ。しかも今回はお前を領地に連れて行って下さるという。次から次に相手を変えるハイロス様にしては、ずいぶんとお前に目をかけて下さっているじゃないか」
「ふん、そんなもの!」
義母が遮るように口を挟んだ。
普段は父に逆らわず、これでもかと猫なで声を出している彼女にしては珍しい。
「決まっているじゃありませんか。ただの気まぐれ、それだけです。そうよね、ソランジュ?」
子息の気持ちを妹に聞いてもわかるわけないと思いながら、もぐもぐと口を動かした。さあ、これからしばらくは目の前の親子の独壇場だとうんざりする。
しかし意外な事に、話を振られた妹は返事をしなかった。視線すら動かさず、朝食を食べる手もあまり進んでいない。すぐに話に乗ってもらえると思っていた義母は当てが外れ、くやしそうに私を睨んだ。もちろんこの一連の流れは、彼女の中では全て私のせいなのだろう。
「そういえば耳にしたのだけれど、最近レドマンド伯爵領では妙な事が起きているそうです」
お義母様は気を取り直して、話題を変えた。
娘と違い、夫は妻に顔を向けている。
「なんでも領地内のとある場所で、しょっちゅう事故が起きているとか。恐ろしいわ。きっとこれからもっとよくないことが起きるにちがいありません」
恐ろしいと言いながら、お義母様の目はなにかを期待するようにらんらんと光っていた。父はなにを馬鹿なことを、と一笑したが義母は止まらなかった。
「いいえ、きっとなにかあるんですよ。私にはわかります! 第一、レドマンド伯爵領は大きく豊かな土地だけれど、その他の領地は持っていないんですよ?」
「それがどうしたのだ。豊かな土地を治めている事に変わりはないだろう」
「だとしても、結局伯爵家を継ぐのは長男ではありませんか。ハイロス様はたしかにいい男ぶりで実家は裕福ですが、受け取れる領地はありません。いずれは貴族籍を抜ける人間、私たち貴族階級とは違いますよ!」
私はすっかり呆れてしまった。あれだけ子息とソランジュを結び付けようとしていたのに、旗色が悪くなった途端に大した言い草だった。レドマンド子息はたとえ無一文だったとしても、この人たちよりずっと価値があるというのに。ただでさえ重い気分が、さらに悪くなって席を立った。
「出立の準備が終わっておりませんので、先に失礼いたします」
とたんに義母が目を吊り上げなにか言いかけたが、父がそれを軽く制した。許しもえずに途中で退席するなんて、以前だったら手を上げられていてもおかしくない。しかし父は、もしかしたらソランジュではなく私が伯爵夫人の座に収まるかもしれない、と考えているのだろう。
(愚かな人たち。私はただの練習台にすぎないのに)
いずれ子息が私との関係を解消すれば元に戻るのだろうが、今だけでも彼らの機嫌をうかがわなくていいのはありがたい。生みの母のものを勝手に処分された怒りはまだ収まっていないから。
悔し気に睨んでくる義母をしり目に、悠々と退席するのは存外気分がよかった。
「ま、待って。お姉様……」
廊下に出て、屋根裏部屋に向かおうとすると背後から声をかけられた。
珍しいこともあるものだ。ソランジュが廊下まで追いかけてきて、私を呼び止めた。
彼女には先日、街の衣裳店ではっきりと苦言を呈した。今でも間違ったことを言ったとは思っていない。だけど家に帰ればまた私が悪者にされ、家族たちから非難を受けるのだろうと覚悟していた。しかし予想に反して父や義母から責められることはなかった。おそらくだがソランジュが黙っているのだろう。
彼女が私との諍いを言いつけないのは初めての事かもしれない。
わざわざ引き止めておいて、ソランジュはもじもじとうつむいている。
「なあに。用がないなら行くわよ」
「……マティアスのことを、怒ってるのでしょう?」
予想外の言葉に、思わず目を見張る。
今さら彼の名前が出てきたことに驚いた。マティアスは私の幼馴染であり、母親同士が友人だった。二人は私たちを結婚させたがっていたが、結局彼は美しく明るい性格のソランジュに惹かれていった。
「怒るもなにもないわ。昔の事よ」
「あ、あれはどうしようもなかったのよ! 彼がどうしてもっていうから。お姉様は気にしないと言っていたけど、本当はずっと恨んでいたのね。だからこの間はあんな……」
正直に言えば、彼が妹と婚約した時には少しの寂しさを覚えた。
しかしなにもかも、もう終わった事だ。
むしろいまだにその話を持ち出して感傷にひたられている、今現在の状況の方がずっと不愉快だった。
「もうその事は、怒ってないと言っているでしょう」
「だったらなんで、そんな……」
「そんな?」
「う、その……。今までは、だって……」
ソランジュの声がだんだん小さくしぼんでいく。なんでもはっきり口にする彼女にしては、本当に珍しい。最近の彼女は珍しいことばかりだ。
「終わったのなら行っていいかしら? もうすぐ迎えが来る時間なの」
妹はまだなにか言いたそうだったけれど、あまり時間がないのも本当だった。少しだけ彼女を待ったが、結局何も言いそうにないのでそれ以上は打ち切った。
そうだ、私はもう変わると決めた。
偽りの家族を諦めると、思いのほか足取りは軽く晴れやかだった。




