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999人目の恋人は、どうやら僕が大嫌いなようです  作者: 葵 れん
二章 

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17/20

◇ 17 ◇

「はは、そ、そうですね……」


 ブライム氏は目を泳がせ、なにか言い逃れる方法はないかと模索しているようだった。しかしレドマンド子息の視線は、何かを促すようにじっとみつめている。ブライム氏はいたたまれなくなったように咳ばらいをした。


「わかりました。……私も少々熱くなってしまったようです。お嬢様」


 複雑そうな表情で私にペコリと頭を下げる。

 不当に詰め寄られたことを過ちだったと認めてもらえ、かなり気分がよくなった。

 しかし子息はピクリと眉を跳ね上げた。


「……『も』? 君は彼女にも非があったと言いたいの?」

「いや、それは言葉のあやというか……ひっ!?」


 子息は相変わらずの笑顔ではあるけれど、その奥の瞳は全く笑っていない。

 そのことに気がつき、ブライム氏は震えあがった。


「もちろん違います! 一方的に私が悪かったです! すみません、お嬢様!!」

「は、はあ……」

「どうかお許しください!!」


 レドマンド子息だけが、満足そうに頷いている。


「契約をすると伝えていたけど、まだ正式な書類を交わす前でよかったな」

「え!? それはいったい……」

「うーん。あなたは少し、僕が考えていた人物とは違ったみたいだ」


 ブライム氏は露骨に狼狽えた。


「待ってください、謝れば許すと言ったではないですか! だから私は……」

「誰がそんなことを言ったの? ずいぶんと認識が甘いね。会話でも、商売でも」

「なっ……! ご、誤解ですレドマンド様! そうですよね、ソランジュ様!」


 名前を呼ばれ、それまで静かだった妹が顔を上げる。その表情はどこか不安げに見えた。いつでも自分の魅力に自信満々だった妹は今、初めてその確信が揺らいでいるのかもしれない。


「あ……。そ、そうです。ハイロス様、この方は悪気があったわけでは……」

「謝るのは君もだ」


 レドマンド子息はきっぱりといいはなった。


「ヌエラが優しいのはよく知っているけど、だからといって甘えすぎてはいけないんじゃないかな。いくら仲の良い姉妹でも、先ほどまでの言い草は一線を越えていたよ」

「そ、そんな。だってお姉様が……」

「大切な恋人の妹と思って多めに見ていたけど、それが本当に君のためになるか疑わしくなってきたよ」


 妹は自分が何を言われたかもわかっていないような顔だった。

 ブライム氏が不可解そうな顔で眉を寄せる。


「……え……? お二人は恋人同士なのですよね」

「やれやれ、あなたは人を見る目すらないんだね」


 彼は私をごく自然に抱き寄せた。

 抵抗する間もないほど、あっという間の事だった。


「どう? こうしてみたら、一目瞭然だよね」


 誰かに抱きしめられるなんて、いつぶりのことだろう。

 最後にぬくもりを分けあったのは、母が亡くなるまえのことだ。あの時のお母様の柔らかな体とは全然違うけど、自分より大きなものに包まれているという感覚は同じだった。

 なんだか不思議な気持ちで見上げると、子息と目があいにこりと微笑まれた。

 心臓がドキリと跳ね、我に返る。


(さ……さすが希代の遊び人……!!)


 あまりにもさらりとした手際に、ついのまれてしまった。

 一方でこれまで恋人のような顔をしていたソランジュは、面目丸つぶれだ。それに青い顔をしているのはブライム氏も同じだった。


「ま……まさかあんな美人を目の前にして、こんな田舎くさい厚化粧女を……? い、いえ、申し訳ございませんでしたぁっ!!!」


 これまでで一番大きな謝罪の声だった。

 彼が大きな図体でぺこぺこと謝るものだから、彼がずっと抱えていたカバンがずり落ち、中身が床に散らばった。


 ガシャーン!


 途端にいくつかの宝石やら書類やら、ずいぶん古びた本のようなものが床に転がり出る。


「うわああっ! た、大変だ!!」


 ブライム氏は顔色を変えると大慌てで荷物を拾い集めた。そのあまりの必死さは、少し滑稽で笑いを誘うほどだ。

 レドマンド子息はその宝石の一つを拾うと、じっくりと眺めた。


「これは……」

「まあ、素敵!」


 光り物に弱いソランジュが息を飲んだ。


「信じられないぐらい綺麗ですね。見てください、お姉様よりずっと似合うでしょう?」


 彼女はちらりとこちらを見ながら言った。その視線はこれまでの優越感に満ちたものというよりは、必死になって自分の居場所を守ろうとしているように感じる。

 妹の言うとおり、たしかに大げさなほど派手なネックレスを胸元にあててみせた姿は華やかさがあった。彼女の容姿なら、これよりさらに大きく輝きの強い宝石だったとしても、決して見劣りすることはないだろう。

 もし私が自分を練習台だと知らず、本気で令息に好意を寄せていたら、辛さのあまりこの場にいることはできなかったかもしれない。


「やっぱりレドマンド家の一員になるには、こうしたものもきちんと似合わないと! 隣に連れて歩くのは誰が相応しいのか、今からでもようく考え直した方がいいのではないですか?」


 普段なら気に障る発言も、今は不思議なくらいなんとも思わない。

 どうしてだろうと考えて、気がついた。レドマンド子息は妹がどのように挑発しようと、同調して貶めてくるようなことはしない。そうわかっているから不安にならないのだ。出会ってまだそれほど経っていないのに、ずいぶんと彼を信頼している自分に驚いた。


「たしかにきみに似合っているかもね。でも、それが伯爵家に相応しいかどうかはわからないな」

「え? それはどういう意味ですか」


 子息はしげしげと手の中の宝石を見つめると、ブライム氏に向き直った。


「ところでブライムさん。さっきまで一緒にいた女性は、夫人ではありませんよね?」

「なっ、そ、そんなことが今、問題ですか?」

「あなた自身は結婚指輪をしているにもかかわらず、あのように他の女性と親密にしているだなんて。正直目を疑いましたよ」

「くっ……。た、たしかに彼女は妻ではありませんが……。それの何が問題だというのです!? 別に犯罪を犯しているわけではなし、レドマンド様とは関係のないことではありませんか」


 子息はふうむと首をかしげる。


「犯罪ではないね、確かに。だけど一番身近な人間に誠実でいられない人が、果たして信頼に足る人物なのだろうか」

「な、なにがおっしゃりたいのですか?」


 なにか後ろ暗いことがあるのか、自称貿易商の男は目を泳がせた。


「ドレスの事はわからないけど、石の事なら少しはわかる。……これ、ただのガラスだよね?」

「ええっ!?」


 それまでうっとりしながらネックレスを持っていたソランジュはギョッとした。


「カットはいいし、素人ならぱっと見わからないだろうね。それで、このガラス玉を誰にいくらで売るつもりだったの?」

「そ……それは、ただの見本です! お返しください!! ……きょ、今日はこれにて失礼致します!!」


 半ばひったくるようにネックレスを取り返すと、ブライム氏は脱兎のごとく逃げ出した。あとに残されたソランジュは目を丸くして呆然としている。


「ああ、行っちゃった。君がとても気に入ったみたいだから、プレゼントしようかと思ったのに」

「ハ……ハイロス様、人がお悪いですわ!」

「この際だから言っておくね」


 ぴしゃりとした物言いに、妹はビクリと黙り込んだ。

 レドマンド子息は責めたり声を荒げたりせず、淡々と伝えた。


「ずっと気になっていたのだけど、君に名前を呼ぶことを許したことはない」

「へ……」

「自分で気がついてくれると思ったんだけど。君は少し人との距離感を考えた方がいいね」


 ソランジュはしばし絶句したあと、ギロリと私を睨んだ。


「……ひどいわよ、お姉様!」

「わ、私!?」

「お姉様がハイロス様に、あることないこと私の悪口を吹き込んだんでしょう!? そうじゃなきゃこんなのおかしいわ! こんなの、こんなことって……!!」


 なるほど。彼女の中の私は、ありもしない悪口でも吹き込むような人間らしい。自分に自信があるのは悪いことではないが、こんなふうに妄想を作り出してしまうほどでは害になる。


(――これは、はっきり言うべきね)


 これまで蔑まれ、裏切られ、とっくに愛想は尽きたと思っていた。それでも自分から嫌われるとわかっていることを口にするのはまた別だった。

 だけどいい加減、変わるべきだ。

 私もソランジュも。


 不安な気持ちを後押しするように、子息の手のひらが私のこぶしをぎゅっと握りしめた。

 ああ、味方がいるって。一人でも気持ちをわかってくれる人がいるって、こんなに安心できるんだ。

 初めて、少しだけ妹の気持ちがわかった気がした。


「ソランジュ。さっきの宝石、模造品でもよく似合っていたわ」

「なによ、お姉様まで馬鹿にして!」

「いいえ、あなたなら本物の宝石だってとても似合っていたと思うの。本当よ」


 妹はようやくもらえた温かい言葉に、思わずホッとした顔をみせる。

 だけど、と私は続けた。


「レドマンド子息の隣は、たんに宝石が似合うだけじゃ不足なの」

「なんですって?」

「知識も教養も、いざという時彼を支えられるだけの強さもなくちゃ。なにより彼を本気で愛し、大切にできる気持ちがないなら、隣に立つ資格はないわ」


 妹に諭しながら、だんだん自分の考えが形になっていくのを感じた。そうか、私は自分が思っているより、ずっと彼に好意を持っている。いや好意というより、尊敬の方が近いかもしれない。

 それはこれまでソランジュの容姿に目がくらみ、無責任に言いなりになっていた人達に対する不満の裏返しでもあった。


「はっきり言うわ。あなたにはそのどれもが足りてない。ただ表面上の美しさはいずれ枯れるものよ」

「なっ……!」

「目を覚ましてもっといろいろな事を学びなさい。若い今なら、まだ間に合うわ」


 今の妹はなにもかもが未熟すぎた。

 だから私は、きっぱりと宣言する。


「あなたに彼は、渡せない」


 妹の瞳に、ぶわりと涙が盛りあがる。

 ドキリとした。

 これまで周囲の同情をひこうと瞳を潤ませている姿はいくらでも見てきた。だけど目の前の涙だけは、なにかが違って見えたから。


「……お……お姉様のくせに……。お姉様のくせに――っ!!」


 妹は階段を駆け下り、店の外に飛び出した。

 まるで泣き顔をみられまいとするように。

 これまで涙を見せびらかすようにしてきた妹の、初めての姿だった。


「……ソランジュ……」


 まだ少し心臓がドキドキしていた。

 だけどずっと彼女に思っていたことを、ようやく口にすることができた。


 ふと見ると隣のレドマンド子息が顔に手をやり、うつむいている。


「ええー……。ずっと塩対応だったのに、なんで急にそういうこと言ってくるわけ……? もうこれって事実上のプロポーズでは……?」


 なにやら呟いているが、どうしたのだろう。

 チラリと見えた横顔が赤い気がしたが、まあ気のせいか。


(私、この人にはもっと幸せになってほしい)


 ソランジュを恋人にして、好き放題に振り回されては可哀想。そんな気持ちで、どうせいずれ振られるのだからと関係を了承した。

 だけど今はもっと、それ以上の気持ちで彼の事を見守っている自分がいた。


(ソランジュより、もちろん私なんかより、ずーっと素晴らしい相手にめぐりあって欲しいわ!)

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