1話
唐突だが、少し難しい話をしよう。人生の良し悪しというのは、一般的に何を基準にしているのだろうか。まぁ、人によって答えは違うだろうし、正直なところ大体の人は皆こんなもんだって思いながら生きている。俺もそうだ。
幼い頃に父親を亡くして母子家庭ではあったものの、まぁ物心がつく前の事だ。それに、それでも何だかんだ普通の暮らしは出来ていたし、大きな不満があったわけでもなかった。今この瞬間までは。
「………」
言葉が発せない。部屋を包み込む炎は、既に逃げ場が無いのだと悟るには十分だった。それを抜きにしても、目が覚めた時には既に煙を吸ってまともに身体が動かせなくなっていた俺には、脱出なんて厳しかったかもしれないが。その上、もう目前まで火の手が迫っていて。
先に煙で中毒死してたほうが楽だったんだろうなぁと。少しずつ薄れる意識と後悔の中、俺は身を焼かれる熱に包まれた。
熱い。ただただ熱かった。真っ暗な視界の中で、全身を焼く感覚だけがした。とても熱くて、苦しい。ただ、体の感覚は無くて。でも何故かこの熱は外からじゃなく内側から全身に広がっているような気がした。どっちにしろ、苦しいことに変わりはないが。
その熱に苦しんでいると、ふと声が聞こえてきた気がした。ぼんやりと、何を言っているのか正確に聞き取れた訳ではないが。
「………氷身…が…でも…この体温では………氷を持って………」
「ノ………ノイ………聞こえ………!」
知らない声だ。まさか、あの火事の中生きていたんだろうか。ただ、あの感じだと氷で何とかなるような火傷じゃない気がするんだけど。そんな風に思っている間に、また意識が遠のいていく。あぁ、でも何故だろう。知らない男性が呼ぶ知らない名前が
「ノイン!」
俺の事なんだろうと言うのは、分かってしまった。
ゆっくりと目が覚める。目に入ったのは知らない天井と、とても医療用とは思えない半透明な天蓋。何となく力が入らなくて体を起こす事は出来なかったが、目だけを動かして周りを見る。そして、ベッドの傍には知らない男性が椅子に座ったまま眠っていた。綺麗なスーツを着込んだ、金髪で端正な顔をした男性だった。誰だろう、と思ったのと、その男性が目を開いたのは同時だった。
「っ………ノイン!体は!?大丈夫かい!?」
知らない名前を呼びながら、その男性は誰かの小さな手を掴む。それは5歳にも満たないであろう、小さな手だ。そして、それが俺の手だと言うのに気が付くのは難しい事では無くて。
夢だと思うにしても、握られた手から伝わる温もりは偽りだとは思えなくて。
何となく、この人が誰なのかが分かってしまって。
「父………さん?」
発した声はたどたどしく、俺の知ってる声ではなかったけれど。そんな言葉に男性は驚いた表情を浮かべた後、更に俺の手を強く握って微笑んだ。
「ノイン………君が無事で………本当に良かった………」
何が起こったのか。それを説明することが出来る奴は多分いないだろう。いるなら説明してほしい。
火事に巻き込まれたと思ったら、知らない場所で知らない白髪の4歳の子供の体になって、知らない家族がいた。おまけに、ベッドに寝た切りの俺の世話をしに来たメイドが何処からともなく水を桶に湧かせたり、聖女を名乗る女性が俺の様子を見に来たり。
ただ、一応ある程度の情報は分かって来た。まず、俺があの男性の息子であることは間違いないらしい。そして、その男性が貴族である事と、俺は生まれた頃から何かしらの病に侵されていたこと。そして、その病は数日前の容態の急変と共に、突如として完治したということらしい。
病に伏せていた俺の体は、まともに他人とやり取りする事すら出来なかったらしく、俺の意識のまま話しても全く疑問を持たれなかった。災難なもんだなぁ………と思いつつ。
「氷身病は完治しているようです………まさか、自然治癒するなんて………これは奇跡なのでしょうか………」
「奇跡でも何でもいい。あの子が無事なら、それでいいんだ」
父と聖女がベッドの傍で話している。母は俺と一つ違いの妹を産んだ後、俺と同じ病に掛かって亡くなっているらしい。母子家庭だった俺とは真逆だなぁと思いつつ、もし母親が居ても本当の母親の事を忘れられずに素直に受け入れられなかったから、ある意味では幸運だったかもしれない。
窓から見た外の景色は、目が覚めてからずっと変わり映えしない吹雪。氷身病というのは聞いた事が無いが………まぁ、何となくろくでもないもんだとは分かる。その名前を口にする時、誰もが苦々し気な表情を浮かべているのだから。
「ノイン君?」
「………なんでしょうか」
聖女が俺に声を掛ける。銀色の髪をした美しい女性だったが、それを見てやっぱりここは俺の知る世界ではないのかもしれない、という推測は確信に近くなっていた。まぁ、メイドが水を湧かす時点で薄々気が付いていたが。
「手足は動かせる?小さな動きでも良いんだけど………」
「こう、ですか?」
俺は言われた通りに腕と足を動かす。少し不慣れと言うか、上手く動かす事は出来なかったけど、それでも問題なく手足は俺の体として動く。それを見た聖女は小さく微笑んだ。
「もう大丈夫。ありがとう」
そう言って、聖女は再び父と話し始めた。後遺症が何だと言っていたから、内容が分からない訳じゃないが………
「あれだけの長期間手足が凍っていたのに、後遺症が無いなんて………良い事ではあるんですけど、少し不自然さを感じてしまいますね」
「あの日の異常な発熱が関係してるんだろうか………」
手足が凍る?それは病気じゃなく怪我とかの部類じゃないのか。とはいえ、長期間というのも不自然な話だし………内容からして、本当に手足が………いや、名前からして身体が凍ってしまう病なのかもしれない。ただ、さっきの異常な発熱というのは心当たりがあった。
あの日俺を蝕んだ炎。まさかあれが………なんて一人で考えているうちに、二人が再びこっちに戻って来た。
「ノイン、立てるかい?ゆっくりでいいから」
「やって、みます………」
毛布を退けて、ゆっくりと体を起こす。そして、ベッドから出て足を降ろした。父が心配そうに俺の体を支えるが………特にバランスを崩したりすることもなく、俺は体を起こすことが出来た。
「………ノイン。君が無事で本当によかった。今まで何もさせてあげられなかった分………これから、一緒に思い出を作っていこう」
「………うん」
取り敢えず………まだ詳しい事は分からないが。俺にとっては初めての父が出来た。




