⑦夜に歩く者
幾つもの森を抜け、小高い丘を越えた先に広がる廃墟の町。戦時の混乱の最中、本隊からはぐれた兵士達が偶然見つけ、その存在が明らかになった。しかも、その町には誰も見た事の無い様々な物資や機械が、手付かずのまま放置されていた。
噂を聞きつけ、一攫千金を狙う者がその町に足を踏み入れたが、その多くは戻らなかった。戻って来た者は皆、彼等は魔物に食われ果てたと告げて身を震わせた。やがて誰とも無く廃墟の町は【迷宮】と呼ばれるようになった。
そして、その【迷宮】に物資を求めて何度も訪れる者を、人々は探索者と呼んだ。自らの命を顧みず足を踏み入れ、見た事も無い貴重な物資を持ち帰る。だが、彼等と全く違う動機で【迷宮】に挑む者も居た。リチャードとモルフの二人は、そんな限られた極一部の者と言えよう。
……闇に閉ざされた廃墟の一室で、リチャードとモルフの二人は、奇跡的に温かい食事にありつけた。そう、火を使わずに、しかも安全に。
「うーむ、これはちょっと味が薄いかもな……」
(……そうですか? 私は丁度良いですけど……)
温めて最初に食べたのは、野菜とベーコン入りパスタ。やや白みかかったスープに沢山の具とマカロニが浮かび、なかなかのボリュームである。但し、リチャードには若干薄味に感じられ、別添えの塩を数回振り掛けた。
しかし、モルフにはたまらないご馳走で、一口含むとえもいえぬコンソメの芳醇な旨味、そしてベーコンや野菜から染み出た脂や様々な味わいが実に芳しい。
だが、まだ他にも温かい料理が待っている。パスタだけで腹を満たすのは勿体無い。そんな選ぶ贅沢が許される食事は、モルフの記憶に一度も無かった。
「……これ、ちょっとだけ辛いな」
(……えっ? そ、そうなんですか……)
だが、リチャードの言葉に一瞬怯み、口元まで近付けていた豆と鶏肉の載ったスプーンが、宙に停まる。だが、トマト(これも彼女には未知の食材だ)の食欲を掻き立てる匂い、そして他の具材から立ち上る芳香は、戸惑いを打ち消すに相応しい魅力で溢れていた。
……ギュッ、と目を閉じながらモルフはスプーンを含み、熱さに耐えながらほふほふと息を吹いて口の中を冷やし、料理を少しづつ噛み締めていく。だが、確かにリチャードの言う通り、ピリピリと刺激を感じる程度の辛さは有るが、決して食事を中断したくなる程では無い。それに、豆のホクホクとした食感と、鶏肉の安定感に満ちた味は、今まで食べた辛味の有る料理の中で最高の組み合わせだった。
(……ふわぁ……あったかくて、おいしいですぅ♪)
「うん、そうだな……まあ、なかなか旨いな」
そう言い交わしながら、ふと眼に入った牛の絵が描かれた缶詰めが気になったリチャードは、試しに開けてみるかと缶切りは無いかと探し、いやこれもと思い蓋の上にリング状の突起、そして矢印と番号の組み合わせを発見し、試しに指示通り引っ張ってみる。
「……おっ、こうやって開けるのか」
パシュッ! と小気味良い音と共に缶の蓋が反り上がり、中から黄色い中身が露出する。スプーンの端で取り出して少しだけ齧ると、それはチーズである。そして突如閃いた彼は、これを入れてみたらパスタが旨くなるかも、とモルフに勧めてみる。
(……でも、十分美味しかったんですが……)
彼女はそう呟いて、少しだけスプーンでチーズを取り出し、パスタに混ぜてから口に含んだ。
(……あ、コレ凄く美味しい♪)
そしてモルフは少しだけ、また少しだけとチーズを入れては食べ、また入れてを繰り返す。
「……その位にしておこうか?」
(……ふにゃっ!?)
リチャードからストップが懸かるまでモルフはチーズを堪能し、こうして彼女は牛の描かれた缶詰めが神の与えし慈しみだと理解した。
「うん、なかなか良かったな」
(……そうですね、美味しいものが沢山有りました!)
リチャードとモルフは温かい二品と、チーズ等の副菜を添えながらクラッカーを堪能し、締めのコーヒーで程好い満足感に浸っていた。有難い事にお湯も適量手に入り、おまけに砂糖と粉末ミルクまで有った為、モルフは初めて飲む苦いコーヒーをゆっくり味わえた。
(……あの、リチャードさんはいつも、こんな美味しいものを頂いていたのですか?)
砂糖と粉末ミルク入りのコーヒーを啜りつつモルフが尋ねると、リチャードは暫く考えてから答えた。
「……いや、いつも乾燥野菜のごった煮と小さなコンビーフ、それに野戦窯で焼いたパンを二個ってとこだ。ま、ごった煮だって何時煮込んだか判らん冷たい奴だがね」
彼はそう言うと、ちょっとだけモルフから離れてから懐に手を入れ、残り少なくなったタバコ缶から一本取り出し、マッチを擦って火を点けた。
「……戦争が始まってからは、何を食べたかなんて、いちいち覚えてないさ。直前に食ったのは思い出せるが、昨日何を食ったかなんて……」
そこまで話しながらモルフを見ると、彼女は悲しそうに顔を伏せつつ、呟いた。
(……恥ずかしい話ですが、私はこんなに美味しいものは食べた事、今まで無かったです……)
そう告白するモルフを眺めながら、リチャードはそうだろうな、と思う。田舎の村に生まれ、どんな暮らしをしてきたかは粗末な家を見れば何となく判る。数を知らず、身寄りの居ない彼女が独りで生きていくには過酷な世界だ。
「……ま、誰にだって負い目や悲しい事はあるさ。俺も戦争が無かったら今頃は……」
モルフとは反対側の虚空に紫煙を吐き、そんな事を何となく呟いてから、リチャードはふと考える。戦争が始まって二年間、ただ生きるだけで必死になってきたが……途中で離脱するとは思っていなかった。但し、今の自分が果たして生きているのか、それとも死後の世界をさ迷っているのかは、判らない。
「……そうだな、きっと大学を出て……銀行にでも勤めていたかもしれないな」
(……ダイガク? ギンコウ……それは、どんな所ですか?)
リチャードの言葉に首を傾げながらモルフが尋ね、彼はどう説明したものかと思案する。
「……大学ってのは……難しい勉強を……ふむ、勉強って判るかい、モルフは」
(……ベンキョウ……ですか? いえ、良く判りません)
正直に答えるモルフに、こりゃ海を知らん奴に教えるのと同じだなぁ、とリチャードは頭を掻いた。
「まあ、そうだな……数を覚える為には、その意味を知らなきゃ判らないだろ? それを知るのが勉強さ」
(……どうやって知るのですか?)
そうモルフに返されてリチャードは暫し考えてから、糧食の中に食べ残したパスタを見つけ、スプーンの先で選り分ける。
「……いいかい? これがイチ、次を足してニ……」
(……いち、に……)
「……これで、ジュウだ」
(……じゅう、ですか……)
ゆっくりと話しながら二人で数を数え、十個まで数えてリチャードはモルフの反応を見ると、
(……ふわあぁ……)
どうやら限界らしく、大きく欠伸しながら目を擦っていた。眠気に負けそうなモルフをこれ以上起こし続けるのは、流石に酷だろう。そう思い彼女に寝るかと尋ねると、半眼のままコクンと頷いた。
(……横に並んで寝てた筈だよな、確か……)
リチャードは毛布にくるまりながら、ぼんやりと考える。手に入れた糧食で腹を満たした二人は、食後の穏やかな時間を利用して数の勉強に費やし、睡魔に負けたモルフと毛布にくるまって別々に寝た筈である。
だが、今はどうなっているのかと言うと、毛布越しにモルフが彼の身体にしがみついている。やれやれと思いながら、彼女の身体に毛布を掛ける為に身を起こすと、
(……パルモ……)
モルフは切なげに、ぽつりと呟いて直接抱き付いて来る。すると左右に束ねた髪がリチャードの鼻先をよぎり、その拍子で少し酸っぱい匂いが彼の頭の中をくすぐった。
お互い、風呂と無縁の日々だ。きっと二人共汗臭いのだから、気にしても仕方ない。そう割り切って再びモルフの身体を離そうとした瞬間、彼女が寝惚けながら寝返りし、リチャードの頬骨を肘でしたたかに打った。
「……あがっ!?」
(……ごめん……)
彼が反射的に声を上げると、モルフは小声で謝ったが起きる気配は無い。まあ、そんなもんである。
(……やれやれ、参ったな……)
そう心の中で呟いてリチャードは自分も寝よう、と毛布を首元まで上げたが、小さな音を聞きつけて息を潜める。
……カリカリ、カリッ。
(……はあ、役に立たない方が良かったんだが……)
戻る際、ドアの前に砂利を撒いておいたのが幸いし、何かが砂利を踏み締める音が響く。相手はまさか、砂利が警報代わりで撒かれているとは知らないだろう。
(……わざわざ、相手が寝静まるまで待っていたような奴だ。グールみたいな知恵の回らない化け物じゃないな……)
リチャードは自分の被っていた毛布をモルフに掛け、ショットガンとライトを手に取ると、反対側の非常扉からそっと出た。




