⑫宿屋で一夜
夜の襲撃を退けたリチャードとアンは朝を迎えた後、ガンク達アーカイバの間者二人と暫く街道を進んだが、
「そんじゃ、この辺りで俺達は失礼するぜ? あんまり詰め過ぎても厄介モノに思われるからな」
ガンクはそう言って手を振り、エルデも無言で頭を下げる。どうやら初見の接触を試みた段階で、彼等の職務は一先ず終わったようである。
「まあ、これで手切りとなっては折角の縁が途切れちまうしな。何か有ったら気兼ね無くガンクの穀物商を訪ねてくれ」
その屋号が彼の表向きの看板らしく、ガンクは目立たん店だから注意して探してくれと言い残して去っていった。
「……何だか騒々しい奴だけど、妙に憎めない男だったな」
「リチャードさん、わざと三枚目を演じている可能性も有りますから」
「疑い始めたらキリがないけどねぇ……」
彼等を見送ったリチャードがそう言うと、アンは相変わらずである。しかし、自分の大雑把な面を補佐してくれている事は彼も十分理解していたので、敢えてそれ以上何も言わなかった。
アーカイバの首都に近付き、リチャードとアンの歩みは森の中より次第に早くなる。道は適度に整備され、少しづつだが行き交う者とすれ違う回数も増えていった。
「ガンクの話によれば、アーカイバの主要な産業は一次生産品が多いようですが、最も盛んなのは各地から物資を集めて商い、それらを行き渡らせる物流業だそうです」
アンの説明を裏付けるように、大きな荷物を載せた馬車が頻繁に行き交い、街道も人々と馬車を分ける石畳敷きの立派なものに変わっていく。少しづつ近付く町からは沢山の竈の煙が立ち上ぼり、好景気に後押しされた人々の喧騒が離れた町の外にまで届きそうである。
「おっ、どうやらそれなりに大きな町みたいだな……これでやっと宿泊が出来るって訳だぁ!」
「リチャードさん、お疲れ様です。今夜は宿に泊まって疲れを取りましょう」
幾ら慣れていようと、やはり野宿ときちんとした宿で過ごす夜は比較にならない。アンの言う事に強く同意しながらリチャードは荷物を背負い直し、町と外を分ける獣止めの柵を避けながら関所の門をくぐった。
漸くベッドの上で寝られると喜びながらリチャードは宿を探したが、その町の宿屋は何処も旅の商人で埋まっていた。
「……そう仰られましてましても、部屋はどれも一杯でして……」
「……勘弁してくれ、ここでもう五軒目なんだが」
「しかし、お客様……ご存じのようにベルデトポリの侵攻が一段落着いたお陰で、止まっていた物流が一気に回り始めましたからねぇ。暫くは機を逃すまいと行商人も盛んに動いてますので……」
また空振りか、と肩を落とすリチャードだったが、宿の主人が彼の後ろに立つアンの姿に気付き、リチャードに声を掛ける。
「……そちらは、奥様ですか?」
「えっ? え、えぇ……まあ、そうですが……」
「……ふむ、そうですな……実はご覧のように一階の食堂も開店以来の盛況振りでして……」
それがどうした、と言いたい気分のリチャードだったが、彼女の出で立ちと服装をちらりと見た主人は少し考える振りをしてから、
「……何かと人の手が足りないのですが、もし宜しければ……奥様のお力添えが得られましたら、お部屋を用意出来ない事もないんですが……」
「つまりそれは……彼女に働いてくれと言いたいのか?」
流石のリチャードも彼の狙いに感付き、面倒事になりそうだと断るつもりで口を開きかけたが、
「……旦那様、私は嫁ぐまで家業の手伝いをしていましたし、ご心配には及びませんが?」
まるで女優のようにすらすらと架空の人物像を演じながらアンはそう話し、そっと両手を胸の下で重ね合わせながら懇願する。
「……ご厚意に感謝いたします。それでは早速支度しますので、着替える場所をお借りしたいのですが……」
「あっ、はい……それでは手狭ですがお部屋にご案内しますので、お二方ともこちらへ」
主人が先導して宿の裏口に回り、建物の外に出て隣の離れまで二人を連れていく。そこは主人の住まいと従業員の宿舎を兼ねているらしく、宿屋と違い軒下に野菜袋がぶらさがっていたり木箱が積まれていたりとやや粗雑な雰囲気はあるが、中から子供の声や食器の重なる音が鳴り、何処か温かみのある生活感に満ちていた。
「……こちらです、一先ず奥様にはこちらで着替えて頂き……」
「それでしたら、奥様と呼ぶのはお止めください。私の事は気さくにアンリと呼んで貰えば良いですから!」
リチャードは何も言わずアンことアンリの発言に耳を傾けていたが、
「……旦那様、これも良い家庭を営めるようにお祈りしていた神様のお導きですわ♪」
と、弾むような明るい声で言うものだから、彼は込みあがる笑いを抑えるのに必死だった。
こうしてアン、ではなくアンリとして働く後ろ姿を眺めながら、リチャードは宿の主人に懇願される。
「もし宜しければ、これからも奥様に働いて頂けないでしょうか!?」
「んん~、それはちょっと……難しいですね……」
アンの働き振りは、正に縦横無尽だった。拳銃の代わりにお盆を片手にテーブルの間を走り、グールを屠るように酔っ払いの手をやんわりと払いのけたと思えば、厨房から出来上がったばかりの料理を載せて華麗に運び、食べ終わった食器を山のように積み上げながら揺らしもせず引き揚げて行く。
「彼女ばかり働かせても申し訳ないから、自分も何か手伝わせて貰えれば……」
「いや! 大丈夫ですよ!! あれ程のお働きを見せられては、その……」
「……ああ、それならそれで構わないが」
リチャードの提案に言葉を濁す主人に、余計なお節介なのだろうと引っ込める。この数日ですっかり見慣れた筈のアンの現地風の姿だが、エプロンを掛けバンダナで緩く髪の毛を纏めた彼女は、眩しい位に明るく朗らかな新妻そのものに見えた。
「いやはや、本当に助かりました! 何せあれだけ動ける方に手伝って頂けると、こちらもあれこれ指示せずに済みますし、気遣いの然り気無さ一つ見ても本当に長く働いていたように自然で嫌味一つ御座いません!」
「……ああ、そりゃよかった……」
うーん、と唸りたくなりながらリチャードは主人の感謝を受け入れ、しかし本当に多才なものだとアンの働き振りに見入ってしまう。そんな彼の視線を感じてかアンが振り返り、こちらが赤面してしまいそうな位の笑顔で応じた。
夜も更けてあれだけ居た泊まり客も次第に部屋へと引き下がり、アンの任された仕事もやや暇になり始める。そして彼女に宿屋の主人が丁重に礼を言い、僅かながらほんの気持ちですと小さな包みを手渡される。それが数枚の硬貨だとアンは理解し押し戻そうとするが、主人は頑として受け取らなかった。
宿屋の離れの一室に戻った二人は、主人の計らいから大きなタライ一杯の湯を貰い、そのお湯で長旅の汚れを落とす事にしたのだが。
「いや、俺は何もしていなかったから君が先に使えばよいさ」
「何を仰有います、私こそ皆様と違い汗もかきませんからリチャードさんがお先に」
並々と温かな湯を張ったタライを前に、リチャードとアンは互いにそう言って譲らない。リチャードにしてみればアンが労働の対価を得られるのは当然であるが、新陳代謝による汚れとは無縁な自分よりリチャードを優先するのは、アンにとって当然の事だった。
「……君も相当頑固だな」
「リチャードさんも、余り意固地にならなくて宜しいのでは」
先程までの柔らかな笑顔から一転、無表情でリチャードを促すアンに対し、彼もきっぱりと自分なりの主張を押し通そうとする。そうしてタライを隔てて二人は睨み合いながら暫く黙ったが、
「……でしたら、一緒に使いましょう」
「ああ、それなら問題は無……ぃえ?」
アンがそう唐突に提案し、途中まで同意しかけながらリチャードは返答に詰まってしまう。確かにアンは人ではない上に、その淑やかな雰囲気とは全く違い人に似せた偽い物である。だが、視覚的には理想的な女性の特徴を兼ね備えた減り張りの有る外見で、共に湯を使うとなれば意識するなと言われても到底無理なのだ。
「まあ、君がそう言うなら……」
「ご理解頂ければ宜しいと思います。それでは失礼させて頂きます……」
リチャードが同意すると、アンは躊躇せず羽織っていた上着を脱ぎ、薄緑色のシャツのボタンを外し始める。リチャードは向き合うのを止めて彼女に背中を向け、自分の着ていた服を脱いで下着一枚の格好になる。
「リチャードさん、お背中を拭わせて頂きますよ」
「いや、それ位は自分で……」
「遠慮は要りません、仮初めながら夫婦なんですよ?」
そう言いながら簡素な薄い生地の下着だけになったアンが手拭いを掴み、リチャードの背中に宛がう。そして彼の抵抗をやんわりと抑えながら固く絞った布を背中に当て、優しく擦り始める。そんなやり取りを交えながらリチャードは視界に入ったアンの滑らかな陶磁器のような白い肌が目に焼き付き、いつまでも頭の中に残ってしまう。
「……明日になりましたら、ガンクさんのお店を訪ねてみますか?」
パチャパチャと残り湯の中で二人分の洗濯物を洗いながら、アンはそう言ってリチャードの反応を見る。
「そうだね、折角だから行ってみるか。でも、本心を言えば余りアーカイバと緊密になるのは避けたいんだがね」
「それも一理有りますが、複数の国家と様々な接点を持っている方が、先の選択を増やせるかもしれませんよ」
ギュッと洗濯を終えた物を絞って水気を抜いてから、丁寧に畳んで次の洗い物を取り出すアンだったが、それが小さな面積の自分が身に付けていた下着だと気付き、リチャードの方をちらりと見る。
「……リチャードさんは、女性の好みはどんな方でしょうか」
「アンさん、もう少し聞き方ってのがあるだろう……まあ、そうだなぁ、うん……」
今更はぐらかす間柄でもないか、と開き直りながらリチャードは少しだけ考えて答える。
「……君のような女性が好きだよ」
「もっと具体的には?」
「……信念をもって行動し、それを常に心掛けて忘れない感じだね」
「……見た目や顔は気になさらないのですか?」
「ああ、余程極端でない限り、醜美がどうとかは気にしないよ。君はそうして見るとすれば、十分魅力的だ」
リチャードの答えに、アンはじっと動かず聞き入っていたが、手に持った下着を静かに畳んで膝の上に載せると、
「……狂おしいとか、身を焦がす程といった人と同じ情動は、私にはありません。ただ、貴方の事を思うと私は……何故人間でないのかと、切実に感じます」
その言葉にどれ程の意味が有るのか、リチャードには良く判っていた。だから彼は、余計な事を口にせずアンの身体を黙って抱き締めた。




