⑨訪問者
身を寄せるアンの話を聞きながらリチャードは彼女の温もりを感じ、その細やかな動作を服越しに感じながら夜空を仰ぎ見る。煌びやかな星が瞬くその景色は美しかったが、彼の知っている星座や星は何処にも見当たらない。
「……ねえ、アンさん」
「はい、何ですか?」
「君の居た世界の星空と、あの星空は似ているかい」
「そうですね……全く異なります」
そう答えるアンの瞳に星が映り、キラリと反射する。だが、その眼は星の光以外の違う何かを捉えていた。
「……折角の良いムードを邪魔しないでくれませんか、隠れていても判りますから」
「……これは失敬、いやはや……まさかバレるとは思っていませんでしたな」
不意にアンがそう誰かに告げると、やや離れた茂みの向こうから昼間出会った商人風の二人が姿を現す。
「覗きのご趣味なんて、余り歓迎されませんよ」
「申し訳ありませんがね、それも我々の職務の一つなので……」
流暢な共用語でそう答えながら片方の男が立ち上がると、連れも黙ったまま彼に追従する。
「……先ず、非礼をお詫びしておきます。我々はアーカイバの者、とだけお伝えしますが……一先ずそれだけ覚えて頂ければ幸いです」
中年の男の方はそう言うと、リチャード達の反応を窺う。その口振りからそれ以上の情報を与えるつもりはないらしいが、わざわざ姿を現したという事は何らかの交渉を望んでいるのだろう。リチャードはそう理解しながらアンに共用語の擦り合わせを兼ねて尋ねると、
「ええ、リチャードさんの仰有る事と相違ないでしょう。以前より聞き取りは上手になっていますね」
「教師役の君が優秀だからね、俺の上達も早いのさ」
リチャードとアンは相手に悟られぬよう英語で会話すると、向こうは怪訝な顔ながら思惑を察し、
「違う国の言葉でも大抵のは知っているつもりでしたが、耳馴染み無い言語ですな……」
中年の男はそう言って頭を掻き、リチャード達の警戒を解く為か背負っていた荷物を下に置く。
「……デルベトポリとの武力衝突の際、少数の兵で千人近い兵を退けたと聞きましたが、実際に会う時は武器の類いを持つなと忠告されたものです」
「その忠告は的を得ていますよ。私達は貴方の心臓を的確に撃ち抜けますし、反撃させる猶予も与えるつもりはありませんから」
そう言った瞬間、アンの掌中に護身用のUSPが手品のように現れ、その黒光りする銃口を中年男の左胸に振れ無く合わせる。当然ながら銃の威力を知らない彼はその脅威を感じられなかったが、アンの言葉に秘められた殺意がまじまじと感じられたのか、
「判りましたよ、一先ず我々は貴女方の敵じゃありません。大人しく話し合いを終えたら退散致しますから……」
そう言って敵意の無い事を現すように両手を掲げ、焚き火から離れた場所に腰を降ろした。
「……それにしても、聞くと見るとでこうも違うとは……参りましたな」
中年男はそう言いながらアンの顔を眺め、彼女とリチャードを見比べてから、少し考えて再び口を開く。
「……私は、アーカイバから貴方達と交渉をする為に遣わされた者です。まあ、有り体に言えば……デルベトポリと不可侵条約を締結されたと聞き、その真偽を確かめるのも兼ねてやって来た訳ですが」
「……まさか、あの時尾行していたのは、あんた達だったのか」
「いやはや、あの奇襲は報告するのも一苦労でしたよ? 空を飛ぶ奇っ怪な物が、目に見えない何かで国府の壁を……」
「……余り、お話しない方が宜しいかと……」
中年男が身振り手振りを交えながら話すと、傍らの若い男の方が釘を刺す。どうやら二人は上司と部下の間柄に思われるが、中年男の話したがりを若い方が制するのが日常と化しているようである。
「ま、まぁとにかく……お二方がお強い事は良く存じてますよ!」
「そう言って貰えるのは有り難いが、アーカイバと一戦交える気は更々無いし、余り買い被られても困るが……」
困惑しきりのリチャードだが、今は相手の意図が読めない方が難題である。事前に探りを入れた上でわざわざ顔を出し、あんたは強いと持ち上げるのだ。
「……で、一体何の用なんだい?」
堪え切れずリチャードがそう切り出すと、それまで中年男の周囲に漂っていた剽軽者の空気が霧散する。
「……それなんですがね、まぁ……少しだけ退屈なお話に付き合って貰いましょう」
男はそう言って胡座をかき、背負っていた荷物の中から一枚の紙を取り出して広げた。
「……地図か、それも精巧な物だな」
「……人に依っては喉から手が出る程のモノですが、まぁそれはともかく……」
それから男が話し始めたのは、周辺国とアーカイバとの関係性だった。
東側の国境を海に接し、海運で国益を上げてきたアーカイバにとって大陸中央部に繋がる街道を確保する事は、更に国力を増す為に必然だった。だが、その要といえる河川と街道筋をデルベトポリに抑えられてきた為、アーカイバは様々な外交術を駆使して抵抗してきた。だが、軍国化の一途を辿ろうとしていたデルベトポリに思わぬ横槍が入る。それが、リチャード達だった。
「……北は半年以上雪に閉ざされて街道は封鎖されちまうし、迂回して南に下ろうにも距離が有り過ぎましてね。そんだけデルベトポリって国は目の上のこぶだったんですが……」
男はひとしきり話すと、荷物から革袋を取り出して栓を歯で抜き、ゆっくりと中身を嚥下する。
「……はあぁ、そんな訳で……国防を優先すべきか、それとも下手に出てお高い通行料を払うかでお偉いさん方の意見は二つに割れたんです。だが、そんな折りにデルベトポリの軍国主義を真っ正面から叩き割ったのが……」
「……俺達だった、って訳か」
「……左様で」
千人の完全武装の兵を相手にしたのが、たった四人の男女。しかも女性二人はまだ若いと来れば……実際、アーカイバの重鎮達は当初、さぞや強面な百戦錬磨の連中かと思っていたそうだ。
「……モルフが聞いたら気を悪くするな」
「あら、それを言ったら私も気を悪くしても差し支え無いのでは?」
ついそう漏らしてしまうリチャードに、アンはさらりと辛辣な事を言う。
「あっはっはっ! 確かに!! それにしても、今でも信じられませんがねぇ……まさか、そちらのご婦人も大立ち回りに参じていたなんて!」
何処まで知っているのかとリチャードが思ったその時、中年の男は何かを悟ったのかチラリと横に居る若い方に目を向ける。すると相手は頷き、
「僭越ながら、あの時は自分もその場に居ましたので。大したものでは有りませんが、自分も少々魔導を使えますから……」
そう告げてから立ち上がり、少しの間を置いてから掻き消すように姿を眩ませた。
「……えっ? いや……何なんだ、今のは」
「ああ、そちらはああいった手合いを見知らぬようで……彼女は魔導で姿を消したり、ああやって高い所までひとっ飛び出来るんですよ」
男がそう言いながら頭上の枝を指差すと、そこに先程まで居た筈の若い方が器用にぶら下がっていた。そして何事も無かったように同じ場所へ着地すると、
「……そうまじまじと見詰めないでください、恥ずかしいですから……」
消え入りそうな声で囁き、俯いて顔を隠してしまう。
「……失礼した、何せその……」
「見慣れない魔導の術でしたから、そうですよねリチャードさん?」
ぐいっとアンが身体を押し付けながら、リチャードの言葉を遮る。無論、女性だった事に気付かなかったと彼が言うのを防いだのだが。
「……そ、そうだね……ジルデアンタの村には魔導使いなんて居なかったし、初めて見たから驚いたなぁ」
白々しく言葉を繋げるリチャードに、中年男はそうですかと納得しながら頷いた。
「……自己紹介が遅れましたが、私は裏方でアーカイバの対外交渉を務めとるガンクといいます。で、こっちは護衛士のエルデです」
「……ガンク様の目や耳の代わりとして、働いてます……エルデです」
二人がそう身分を明かし、リチャードに向かって何か言おうと口を開きかけたその時、アンとエルデの双方が同時に身構える。
「ガンク様、暫しお待ちを……」
「リチャードさん、今夜はお客様の多い夜ですよ……」
エルデが背負っていた荷物からいつの間に取り出した短剣を構え、アンもスカートの裾に手を潜り込ませてUSPを構える。そして、それが乱戦の始まりを告げる合図になった。




