④行って戻るだけ
翌朝、昨日と同じ服装で歩くリチャードは振り向いて、後ろから付いて来るモルフに告げた。
「……いや、付いて来なくて平気だぞ」
(……いえ、付いて行きますから!)
そんな押し問答を繰り返しつつ、ジルデアンタ村を出た二人は森を抜け、林を横切り山に入り、やがて【迷宮】の付近に辿り着いた。そこは二人が出会った建物と違う場所に在り、既に捜索者達が何度も足を踏み入れているらしい。【迷宮】と呼ぶから紛らわしいが、どうやらその周囲に点在する様々な変わった町や建物の廃墟を纏めてそう呼んでいるようだ。
「ふむ……先行者が居るなら、そんなに物資が見つからないかもな」
(……いえ、そうでもないですよ? 強い魔物も居て、多くの探索者が返り討ちに遭っていますから)
彼が物資、と言った途端、モルフが饒舌になった所から見て、彼女が昨夜の物資開封で味を覚えたのだろう。何となく、以前より表情に喜怒哀楽が増えた気がする。
「じゃあ、期待出来るか……でも、付いて来る代わりに離ればなれになるなよ?」
(……はい、それは判っています……)
それまでずーっとそうするつもりなのか、モルフは彼のコートの端をギュッと握り締めてから、大丈夫だと言いたげに力強く頷いた。
「そうか、なら心配するのは止めよう」
(……ええ、任せてください)
「それと、帰ったら数のお勉強するぞ」
(……ええぇ!?)
そんなやり取りを交わしながら、リチャードとモルフは尾根を越え、【迷宮】が見下ろせる開けた場所に着いた。そして、その景観は……
「……そ、そんなまさか……有り得ないぞ!?」
(……どうしたんですか、リチャードさん……?)
彼が狼狽えるのも仕方がない。何故ならば、彼の視界一杯に広がる景色は……
「……どう見てもヨーロッパじゃないか!!」
……そこは、巨大な鉄塔や架線が引かれた鉄道が敷かれ、赤く錆びた廃工場やガラスの割られた家屋、そしてクレーン車やトラックが横倒しになり塞がれた道路が伸びた、どう見ても近代的な設備が広がる風景だったのだ。
(……我々は魔物が蔓延るので【迷宮】と呼んでますが……リチャードさんは、見覚えあるんですね)
「……は、ははは……何だよ、そう言う事か。なあ、モルフさん! 俺はただ回り道してヨーロッパに戻って来てただけじゃないか! あー、何だよ驚いたなぁ……」
そうは言ってみたものの、彼も自分の目で見ている景色を疑う訳ではない。だが、どこか不自然で落ち着かない。もし、ここがヨーロッパなら住んでいる町の人々は何処に居る? どうして車が横倒しになっていたり、汽車がレールから脱線している? そして……あれだけの規模で起きていた、第一次世界大戦はどうなった?
「……驚いたけど、おかしい……何かが、おかしい……」
気付けば勝手に足が動き、みるみる内に近付く景色は確かに近代的な設備が豊富に有る。ジルデアンタ村等、足元にも及ばない。しかし、彼の足は次第に鈍り、遂に立ち止まってしまった。
「……何だ、この死体は……どうして、鎧なんて着ているんだよ……」
彼の目の前に転がるそれは、銀色に輝く磨き抜かれた鋼鉄の鎧を纏い、傍らに転がる剣を死の間際まで放さなかった探索者の亡き骸だった。しかし、兜を被っていた頭は無惨に踏み砕かれ、潰れた拍子に飛び散った肉片や頭骨の内外で、蛆虫達が盛んに動き回っている。
(……リチャードさん、ここは確かに……その、ヨーロッパと言う似た所かもしれません……でも……)
「いや、いいんだ……少し混乱しただけさ……」
モルフが彼の手を握ると、僅かに震えている。そんな手を彼女が両手で握り締めると、少しだけ震えが収まった。
「……ありがとう、でも……もう大丈夫だ」
(……そうですか、お力になれれば……嬉しいので……)
リチャードが礼を言いながら手を放すと、モルフは満足げに頷いた。そんなやり取りを交わしつつ、先ずは手近な場所を物色してみるべく、大きなコンテナに見当を付けた。
リチャードは慎重に薄暗いコンテナの中を覗き見て、潜む魔物が居ないようだと確認してから一拍置き、良しと身体を滑り込ませ……たが、
(……モルフさん!? いつの間に……)
(……だって、外で待つのも不安でしたし……)
文字通り、背後からピッタリと身を寄せるように付いていたモルフに気付き、慌ててついリチャードが振り向くと、目と鼻の先の左右で違う瞳と目が合った。
(……まあ、いいか……)
だが、とにかく今は探索が先である。ショットガンを構えながらコンテナの床に転がる木箱や、その先に並ぶドラム缶の陰を覗き込む。しかし、そこにめぼしい物は見つからなかった。
「……まあ、最初から物資が見つかる筈も無いな」
(……もう少し、人が暮らしていた所を探してみましょう……)
「よし、そうするか……」
リチャードが落胆しながら外に出ると、モルフは鉄塔の見える塀に囲まれた建物を指差し、その提案に彼も乗る事にした。
「……さあ、ここを潜って……気を付けろよ」
(……はい、判りました……や、何とか抜けました……)
赤錆びた有刺鉄線を広げ、人一人抜けられる隙間を設けてモルフを通したリチャードは、向こう側に彼女を待たせる形になりながら、自分はどうやって抜けるか思案する。と、塀に沿って行けば小さな亀裂に辿り着けそうで、そこから入ろうと彼女の方を向いた瞬間、
「……モルフッ!! しゃがめっ!!」
(……えっ、きゃあっ!?)
と、一瞬の隙を衝いて見慣れぬ強靭な腕が伸び、彼女の身体に絡み付くと軽々と拐った影が走り出す。その影は小柄なモルフを軽々と抱えたまま、大きな廃墟の扉に向かって駆けていく。
「くそっ!! 今、撃ったら巻き添えか……」
だが、素早く照準を合わせながら引き金が引けず、か細い悲鳴と共に連れ去られるモルフを目で追う事しか出来なかった。そして全速力で走り出し、塀の切れ目を乱暴に蹴って拡げると、焦る気持ちで割れ目に身を投じ、転がりながら反対側へと抜けたリチャードは、開いたままの扉目掛けて走り出した。
(……はぁ、はぁ、はぁ……)
必死に駆けて漸く辿り着いた扉の前で、リチャードは暫く時間を掛けて息を整えた後、暗い室内に目を慣らす為、薄目になりながら一歩踏み込んだ。
(しくじったな……一瞬しか見えなかったが、アイツは人間じゃなかった。なら……彼女を拐って食うつもりだとすれば……)
リチャードはそう思案しながらショットガンを構え、全神経を耳に集中しながら慎重に進む。その建物は二階建ての横長な構造で、その中央に階段が上下に伸びている。二階建てで、上下に……?
(もし……獣が獲物を捕らえたら、安心して食える樹の上か、巣穴が有る地下……か)
人を軽々と拐える膂力ならば、樹に登るのも簡単だろう。だが、今はモルフを抱えて逃げている。ならば、地下に潜る方が簡単だろう。彼はそう思い、上下に伸びる階段を下った。
カビ臭さに噎せつつ、しかし急ぎながら階段を降りる。淀んだ空気に混じり、錆びた金属と湿気を含んだコンクリートの臭い、そして……
(……やはり、そうか……)
そして、やや薄くであるが、モルフの柔らかな匂いを嗅ぎ取り、安堵と危機を同時に感じながら小走りになる。そして、一番奥に非常灯の緑色の光に照らされた扉が小さく開いていたが、
(……やっ、……んんぅーっ……)
そこからモルフのくぐもった声が漏れ聞こえ、その足取りは一気に速められる。そして、足で蹴破る勢いで開いたその先では……無数の人骨が散らばる凄惨な部屋の真ん中で、無惨に引き千切られた着衣を僅かに纏ったモルフが、猫背で灰褐色の肌の屈強な何者かに組み敷かれて白い四肢をばたつかせていた。無論、一切の躊躇無く後頭部に狙いを定め、リチャードは引き金を絞る。
……バオォンッ!! と狭い地下室に轟音を鳴り響かせながらショットガンが火を噴き、撃ち終えると直ぐ距離を詰めた彼はモルフの安否を確認すべく、頭を失いゆっくりと身体を弛緩させる略奪者の身体を、乱暴に蹴り飛ばした。
「モルフッ!! 大丈夫か!?」
(……はっ、はっ……はっ……うぅ……)
弱々しく呻きながら瞑っていた目を開き、モルフはリチャードの顔を見た。上着を襟元から一気に引き裂かれながら、ほぼ半裸に等しい姿で懸命に捩り、必死に抵抗していたのだろう。手足のあちこちに擦り傷を負いながら我が身の貞操を守っていたモルフは、彼の顔を見ても暫くは身動き一つしなかったが、
「……り……りちゃ……? あああぁ……っ!!」
やっと、我が身の安全を理解出来たようで、声にならない声で大きく叫ぶと涙を零し、彼の身体に抱き付いた。
「……あっ、ふえっ……こ、わ……かた……」
「ああ、そうだな。悪かった……」
「……こわ、かた……よぅ……」
どくどくと血を流し肉塊と化していく魔物の傍らで、リチャードはモルフを落ち着かせる為にじっとしていたが、
「……さあ、替えの服を探しに行こう。とにかく、これを着て……立てるか?」
(……うん、うん……だい……じょぶ……)
彼が着ていたコートを肩に掛けてやり、少し視線を外しながらベルトを締めて前を綴じると、小柄な彼女の身体はすっぽりと足首まで収まってしまう。
「まだ、力が入らないか……」
(……だいじ……ょぶっ!?)
仕方無いな、と彼女の身体をひょいと横抱きにすると、モルフは目を丸くしながら驚くが軽々と持ち上げられてしまう。
(……やっ、あの……これ、はずかし……)
「……無理するな、まだ腰が抜けてるだろう?」
そんな言葉を交わしながらリチャードが扉を抜けて廊下に出ると、彼女は諦めて身を委ねた。
さて、どうしたもんかね……と、一階まで戻ってきたリチャードだったが、
(……もう、立てます……だから、降ろして……)
耳元でモルフにそう囁かれ、ならばと彼女をゆっくりと降ろしてやったが、
「……リチャードさんっ!! ホントにっ!! 怖かったんですからっ!!」
しっかりと自分の両足で立ったモルフが、両拳を握りながらポカポカと彼の身体に次々と振り降ろす。
「なっ!? やっ、ちょと待てって……」
「……次は無いですからっ!! 絶対ですよ!? ダメです!! 二度と無いですから!!」
どうやら思いの丈を全てぶつけたかったようで、火のように怒り狂いながらモルフは感情をぶち撒け続けたが、激情はそう長く続かなかった。
(……ホントに、ホントですからね……?)
「ああ、判ったよ……約束する」
(……二度と、置き去りにしないで……くださいね……ふぅ)
漸く気持ちが鎮まったのか、最後にそう告げるとモルフは静かに息を整えた。
二人が知る由もないが、リチャードとモルフが足を踏み入れたそこは、工業地帯に併設されたビジネスホテルの跡地。そこが何故、他の地域と同じように廃墟と化したのか……それはともかく、
「……おっ、これはまだ着られそうだな……」
ビジネスホテルの一室とは知らず、リチャードは引き出しに詰め込まれたバスローブを手に取り、モルフの方に差し出そうとしたが、
(……リチャードさん……それ、前がヒラヒラしてて……その、隠せません……)
小柄な彼女が羽織るにしても、タオル生地のそれは丈がちょっと短かいようだ。なら、他を探すかと引き出しを幾つも開け閉めしていると、従業員が身に付けるタイプの制服上下が見つかった。
(……うん、これはいいです……どうですか?)
着替えの間、彼女に背を向けて待つリチャードだったが、声を掛けられて振り向くと、白いシャツをピシッと襟までボタンを締めて、アイロンの効いた黒いズボンのちょっと凛々しい姿のモルフが、背筋を正して立っていた。
(うーん……可愛らしさの欠片もないな……)
(それで……あの、どうですか……)
まあ、非常時に求めるもんじゃないか、と思いながら心の中で呟くと、見透かされたようにモルフが小声で問い質し、
「ああ、似合ってるよ……うん」
言い繕うように答えるしか、リチャードの選択肢は残されていなかった。




