⑥業火
火は人類が発見した事象の中で最も古く、そして変幻自在に形を変えながら常に身近にある。時には獣や闇を遠ざけて安息を与え、またある時には調理や道具の加工にと活用されている。しかし、火は遠い過去から容易く生き物の命を奪ってきた。
リチャードが世界大戦に召集されて暫く経ったある日、小隊の仲間と夜間の見張りをしていた。春先ながら夜ともなれば冬かと思う程冷え込んだが、敵に見つけられない為に火を焚く事は出来ない。暖房器具一つ無い荒れた地で、只ひたすらに朝が来るのを夜通し待つしかなかったのだ。
「……おい、酒は無いか?」
「有る訳無いだろ……」
眠れぬ寒さに堪えかねて兵士同士がそう言い交わす中、リチャードは眼を凝らしながら見張っていた。
「おい、そんなに根詰めてるといざって時にヘタるぜ」
その背中に仲間の一人が声を掛ける。既に参戦して一ヶ月が過ぎていたが、リチャードはまだ新参扱いである。だが、戦場で生き残る事は死ぬより難しく、死ぬ事は誰にでも簡単に出来る。新参も古参も関係無く、その時が訪れればあっという間なのだ。
「……眠れないんですか」
「……まぁな、でもそれは向こうも同じじゃねぇか……」
やや古参の兵士はそう言うと這いながらリチャードの横にやって来て、鉄製のヘルメットを被り直しながら座り込む。
「……お互い、夜の定期便(睡眠を妨げる為に撃ち込む砲撃)が五月蝿くて寝てられんさ……」
彼がそう言った瞬間、敵陣地から砲撃の音が響き、暫く後に自分達の塹壕手前に次々と着弾して地響きと土煙が上がる。そしてリチャードの前に石粒がパラパラと降り注ぐが、二人は苦笑いしながらタバコを咥え、何も言わず火を点けるだけだった。
「……向こうも、攻め手に欠けて困ってるのさ」
「……新型兵器が投入されたりは、しないもんですかね」
「そりゃあ……判らん。何せここの陣地は縄張りを主張する程度の意味しかないし、近くに重要な街道やら都市が在る訳じゃない。犠牲を払ってまで取り返す程じゃないさ」
その兵士はタバコを吸いながら淡々と話し、リチャードは彼の口から吐き出される煙を眼で追いながらその話を聞いていた。
「……ああ、そう言えば……ドイツ軍も【戦車】を繰り出してきたらしいが、我が軍の戦車の相手じゃなかったらしいぜ?」
「……戦車、ですか?」
「ああ、無限起動で塹壕をものともせず進んで、大砲や機関銃を撃って侵攻する鉄の箱さ」
リチャードは彼の話を聞きながら、そんな物まで投入されたら大変だな、と他人事のように思い、もしそんな物が攻めて来たらどう立ち向かうべきかとぼんやり考える。
「……走れなくなるように、太い丸太でも沢山並べたらどうですか?」
「……丸太を? うーん、そりゃ面倒だろ。第一、呑気に並べてりゃ機関銃で撃たれて死んじまうぜ」
そう言い返されてリチャードは確かにそうか、と別の案を考える。深い穴を掘って行く手を遮るとか、死角から爆弾を投げて無限起動を破壊する、といった誰でも思い付きそうな事しか思い浮かばなかったが、
「……まあ、ここに戦車が来る事は無かろう。ドイツ軍も俺達以上にジリ貧だろうし、そんな切り札を使ってまで攻略する程の場所じゃないさ……」
漸く眠くなったのか、古参の兵士はそう言うと塹壕の壁に背中を預け、そのまま静かに寝息を立て始める。
「……戦車か、そんな物が出て来るようになったら……生き残れるかな」
一人残されたリチャードはそう呟いてみるが、その声に答えは返ってこなかった。
カチカチッ、という硬い物が打ち合う小さな音がリチャードの耳に届いた時、彼は自分が寝ていたと気付き頭を振って眠気を払った。
(……何だ、あの音は……)
自分以外起きている者が居ないかと、リチャードは頭を出して周りを見ようと塹壕の縁に手を掛けた瞬間、誰かの腕が伸びて彼の襟元を掴んで力強く引き戻した。
(……死にたいのかっ! バカ野郎!! )
そう囁かれながら土の上に転がされた時、漸く相手が古参の兵士だと気付いたリチャードだったが、何か言おうと開きかけた口を掌で覆われて声が出せない。
(……生きていたいなら、今は黙ってろ……)
相手にそう凄まれて、リチャードは小さく頷きながら耳を澄ます。すると、またあの小さな音が何度か塹壕の外で鳴り、その音に呼応するように遠くから同じ音が響く。
(……あれは、ドイツ軍の夜戦部隊の合図だ……連中、あの音だけでお互いの場所と確認をしてんだよ……)
暗闇に包まれた塹壕の中で、古参の兵士はそう言うとリチャードの口から手を離し、黙ったまま短剣をライフルに装着して彼にも倣うよう指図する。
(……いいか、合図するまで絶対に動くなよ……)
そう言ってリチャードを塹壕の壁に背中を押し付けるよう命じ、自分も同じ姿勢でライフルを抱えて不動のままじっと待つ。
そして暗闇の中、息を潜めて二人が待っていると、塹壕の向こう側から自分達の真上を木製のハシゴが静かに伸び、反対側へと掛けられる。それが敵側の侵攻だと知ったリチャードだったが、隣の兵士は動かない。そうしてじりじりと焦りに悶えながら待つと、ハシゴの上を敵の兵士達が渡り始めていく。
(……焦るな、今は黙ってろ……)
やがて何人かの敵兵がハシゴを渡りきったその時、不意に銃撃の音が鳴り、敵側の奇襲が始まる。
(……いいか、奇襲ってのは奥に進ませて十分に引き付けてから反撃するもんだ。焦って撃っても、相手は直ぐに逃げ出しちまう……)
古参の兵士は冷徹にそう言ってリチャードを抑えると、ゆっくりと塹壕の縁から奇襲する敵兵の背中を狙い、ライフルを構えて引き金に指を掛ける。
「……いいぞっ、若造!! ぶっ放せ!!」
そう叫びながら引き金を引き、敵兵の背中に真っ赤な穴を開ける。その銃声を合図にリチャードはショットガンを構え、暗闇の中にうっすらと見える敵兵目掛けて引き金を引いた。そして薄墨色の白みかけた空が霞む程の光が銃口から迸り、闇に溶け込む黒服の敵兵が蹴飛ばされたように塹壕へ落ちていった。
「まだだっ、どんどんぶちかませ!!」
「判った!」
素早く装填と射撃を繰り返す古参の兵士に鼓舞されながら、リチャードもありったけの弾を全て使い果たすつもりで撃ち続ける。敵兵も自分達の夜襲が思わぬ横槍で崩され、塹壕の中に落ちる者すら出る。
これなら勝てる、そう安堵しながら塹壕の壁に背中を押し付けつつ弾を装填するリチャードだったが、視線の先に居た古参の兵士が振り向いて何か言いかけたその瞬間、一筋のオレンジ色の炎が伸びて彼の身体に絡み付く。リチャードは一瞬何が起きたのか理解出来なかったが、自分の周辺に馴染みの無い燃焼油特有の鼻をつく臭いが立ち込め、突然現れた炎の正体が敵側の火炎放射器の仕業だと判った。
「……ッ!? ……ッ!!」
「う、うわああっ!!?」
ボオオオッ、と激しい音と共に上半身を燃やされた兵士が何か言おうとしたが、熱と炎に遮られて何も聞こえず、彼は立ったまま絶命してしまう。リチャードは何も出来ずその場から離れるしかなかったが、髪の毛と肉の焦げる嫌な臭いが鼻の奥にいつまでも残った。
一夜明けた朝、夜襲に失敗した敵兵の死体を集めて捨てる陰鬱な作業を終えたリチャードが、燃え死んだ古参兵の亡き骸を死体袋に入れ、後方に送り出す準備をする。焼死した人間の処理は誰が行っても酸鼻を極める嫌な作業だが、彼に窮地を救われたリチャードは進んで行った。
「……死ぬなら焼け死ぬのだけは、真っ平御免だな……」
無惨に焼け焦げた死体に、防臭剤を振り掛けてから袋に入れるリチャードの肩越しに仲間が話しかける。
「……俺は、死にたくない……」
「俺だってそうさ……でも、銃で頭をふっ飛ばされた方が楽じゃねぇか?」
「……そうかもしれない、でも……」
リチャードは上手く言えない思いに口ごもるが、相手は余り深く考え込むなよと言って肩を叩いてから立ち去っていく。
(……もし、火炎放射器しか無かったら、俺は果たして使うのか? こんな風に相手を燃やしてしまうのに……)
命を奪う手段に隔たりは無いにも関わらず、リチャードは死体袋を見詰めながらそう思い詰めた。
「……リチャードさん、どうしたんですか」
「ああ、大丈夫だ……ちょっと、昔の事を思い出してただけさ」
アンに背後から声を掛けられて、リチャードはふと我に返って答える。そして、火炎放射器を持ち上げた彼は少しだけ考えてから、
「……ミリオ、悪いがこいつも運び出してくれ」
リチャードは火炎放射器を誰かに持ち去られたくなかった為、拠点に運ぶようミリオに声を掛ける。彼がそれを掴もうとすると、ゴブリンの一人が足早に駆け寄って手伝いを買って出る。
「……おれ、もつ。どこ、はこぶ……?」
「うあっ!? あ、ああ……だったら向こうの……荷車までかな」
「にぐるま……?」
「あー、判ったよ……着いてきなって」
たどたどしい共用語で話すゴブリンに驚くミリオだったが、仕方ないと言いたげに先導していった。




