③初めての晩餐
見知らぬ廃墟同然の建物の中から抜け出し、ジルデアンタ村に二人が戻ったその日の夜。
折角収入を得たのだから、その金を出して世話になったリチャードの為に何か買う、と言い張るモルフを宥め、今夜は持ち出した物品の中から何か食おうと提案した彼に、
(……申し訳有りませんが、それはちょっと……)
彼女はそう言いながら幾つかの品を恐々と眺め、潰れた虫でも見る目付きで視線を逸らす。きっと、悪鬼の類いが徘徊するような場所の物は、恐ろしくて手も出せないのだろう。
「……でも、これなんか食べ物が入っているかもしれないぞ? ……たぶん、だが」
そんな彼女を前にリチャードは、肩提げ袋からガサガサと振って三つの品を取り出し、印刷されている文字を読み解こうとしてみる。だが、彼の知識の範囲外の文字である。しかし、厚いセロハンで包まれた茶色の袋や、缶詰めとおぼしき物はたぶん食べ物に決まっている。但し、週に一度の馬車が唯一の交通手段。そんな田舎にどうしてそんな異物が有るのか、考えてみれば不自然極まりないのだが。
「……ま、開けてみれば判るさ、きっと……」
そう言って携行ナイフでビッと切り、茶色の袋を開けてみると、
(……っ? それは何ですか?)
それまで視線を逸らして唇を閉ざしていたモルフだったが、次から次に出てくる物に興味を引かれたのか、つい尋ねてしまった。
現れたのは、透明のセロハンに包まれたカサカサと鳴るクラッカー状の物。濃茶色と緑色の平べったい不透明な袋詰めの何か。赤い印刷と緑の印刷が捺された四角いブリキの箱と、似たような小さな二つの箱。不透明なセロハン状の袋に入った長細い物、そんな物が次から次に出てきたのだ。
「……食糧……かな?」
(……リチャードさんも、判らないんですか?)
今までの言動も何処へやら、といった勢いで自信無さげに答える彼の後ろから、モルフは興味津々といった体で身を乗り出して手に取ってみる。各々は見た目と同じ重さだったり、小さい割りにずっしりと重かったりと、中身の正体は判り難い。
「……いや、これはきっとクラッカーだよ」
(……クラッカー、って……何ですかね?)
しかし、唯一それかもしれないと思いながら、リチャードが封を切って取り出したそれは、正方形の端々が砕けて粉々になっていたが、確かにクラッカーっぽい。だがそもそもクラッカー自体を知らないモルフは、木の皮だと言われれば信じてしまいそう。
ごくり、と生唾を飲んでからリチャードが口を開け、思い切って小さな欠片を食べてみる。すると、サクッとした軽い歯触り、そしてオートミールに似た味に一安心である。但し、そんなに旨くないが。
「……まあ、食えるか……」
(……ホントですか? じゃあ、一枚だけ……)
リチャードに釣られてモルフも半分に割り、それを口に入れて咀嚼してみる。そして、モフッモフッと噛み砕いてゆっくりと飲み下し、数少ない家財の木のコップに注いだ井戸水を一口啜ってから、
(……そうですね、まあ……食べられますね……)
あんまり美味しくなさげに無表情のまま、呟いた。
期待を裏切られたモルフの表情を眺めながら、重苦しい心境のリチャードは挽回するべく、新しい一袋を開封してみる。と、中から溢れ出たのは茶色い汁。慌てつつ、これまた数少ない家財の木皿に開けてみると、ドロリとした粘度の高い何かが茶色い塊と共に転げ落ちた。
「……ん? こりゃ……肉だな」
リチャードがその塊の匂いをスンスンと嗅いでみると、どうやら畜肉のようである。そして、ドロリとした物の正体は、煮込まれた野菜の成れの果て……に思える。そして、封の中から現れた白いフォーク(頼り無げな軽さだが強度は有りそう)を手に持ったリチャードは、毒は無いだろと思いながら食べてみた。
「……やや、脂っこいな……まあ、食えるよ」
先程のクラッカーよりは塩気もあり、何より肉や野菜がちゃんと入った味もする。そう思いながら彼は勧めてみようとモルフの方を見ると、
(……お、お肉なんですか!? そ、そんな……)
何と、彼女は突如(小声で)そう叫びながら居ずまいを正し、モニョモニョと現地のお祈りらしき文句を呟いてから、リチャードからフォークを借りて掴むと、
(……ふぅ、落ち着こう……うん、大丈夫……)
何故か深呼吸までした後、白いフォークの先に肉の塊を刺し、ゆっくりと口に入れて噛み締める。そして、ギュッと目を瞑りながら舌に全神経を集中し……
「……ふおっ!! すごくお肉ですっ!!」
「なっ、何だよ急にっ!?」
今の今まで一度も聞いた事の無い程の、ハッキリと判る声でモルフは叫んだ!!
(……あ、私とした事が……取り乱してしまいました)
(……取り乱すと、叫べるのか?)
突然間近で叫ばれたリチャードは驚いたものの、彼女が肉に感激した事に変わりは無い。まあ、そんなに旨いモノとは言えないが、
(……何だか判りませんが、お肉と野菜……うんうん、これは確かに……)
どうやら、それなりに満足はしているようである。旨いとは一言も言ってないが。
「なあ、これをコイツに浸してみなよ、案外食べられるぞ」
(……むん、そうですね……)
二人で、そんな風にクラッカー的な何かを煮汁に浸して口に運び、まあ酷くはないと感想を言い合ってみる。
と、ここまで来れば怖さも半減である。思い切って全ての中身を出してみる事に決め、リチャードとモルフは大きめな木皿に他の袋を全部開けてみた。
「……あー、これは判る。こりゃソーセージだ」
(……何ですか、それ……)
「……これはお粥、かな……」
(……お粥は判ります、でも……どうやって中に入れたのでしょう)
「……おっ、これは当たりだな。チョコとジャムだ」
(……全く、判りません……)
「うーん、何だこの粉……舐めると甘いな」
(……っ!? ……っ!!?)
「あ、こりゃ黒パンか」
(……スンスン……酸っぱそうな、匂いです……)
そう言いながら、リチャードとモルフは沢山の食品を並べ、そして味わった。彼には珍しくもない食品も多かったが、その大半を味わう度にモルフは一大事。
「……ソーセージっ!!」
プリッとした歯応えと共に肉汁の旨味が溢れ出て、モルフの記憶に全く無い豚肉由来の濃くそして円やかな滋味は彼女の畜肉に対する畏れを払拭した。たぶん。
(……これは、甘いお粥なんですね)
甘く味付けされた米の粥は、モルフの記憶の中にしっかりと刻まれた。但し、彼女の住環境では米を食べる習慣は無い。
「甘ーーいっ!! リチャードさん甘いですぅーーっ!!」
チョコスプレッドとアプリコットジャムは、モルフの理性を崩壊ギリギリ手前まで追い詰めた。いや、普通のチョコとジャムだが。因みにクラッカーに塗って食べたら両方ともバカ旨だった。クラッカーが普通に食えるようになった。
(……ほわぁ、水に溶かすと美味しい♪)
甘い粉(オレンジジュース・パウダー)は、井戸水を果実水に変えた。何の変哲も無い只の井戸水が、である。奇跡としか思えなかった。
(……酸っぱい! ……あ、慣れてくると美味しい……かも?)
黒パンは一口目はキツかったが、モルフは似た系列のパンを知っていた為、直ぐに受け入れられた。
……その後、小粒のカリカリしたチョコを頬張り、モルフは溶けた。バターやクリームチーズに感動し、パンとクラッカーを山程食べた。そして最後に歯磨きガムを噛んで、泣いた。
(……もう、食べられませんんぅ……♪)
小さなベッドに横たわりながら、幸せそのものな表情で眠るモルフの寝顔を見つつ、リチャードは決心した。
……あんな悲しい顔で泣くモルフは、見たくない。数をキチンと教えて、誰にも騙されないようにしたい。そして、もっと喜ぶ顔が見たい。
彼は、これから先も【迷宮】に挑む事にした。それでモルフに満足な暮らしをさせてやり、そして受けた恩に報いてやるのだ、と。




