⑲いざデルベトポリへ
デルベトポリの【忍耐の甲冑】を身につけた騎士を屠ったリチャードは、ほぼ相討ちの状態だったにも関わらず、現場で受けたアンの適切且つ迅速な手術により快癒した。その時の記憶が無いのは、投与された薬品の強い副作用だったにせよ、助かったのは事実である。
どのようにしてかは判らないが、傷は癒えた。だが今まで負った事の無い大怪我が一日掛からず治るなぞ、流石に信じられないリチャードはアンに尋ねてみる。一度はやんわりとはぐらかされたものの、彼が更に尋ねると妙に周囲を気にしながらリチャードの手を掴み、普段使っていない部屋に彼を誘った。
「……私のデータに記録されている先端医療技術の中に、細胞を培養する方法があります。それを貴方に施したのです。それが、これです……」
「……おい、何を始める……!?」
そう言いながらリチャードの前で彼女は野戦服のボタンを外すと、腹部に納められた収納カプセルを取り出して見せた。外見は只のアルミ缶に過ぎないが、彼女曰くその中にリチャードの培養細胞が詰まっていると言う。
「……これが有れば、リチャードさんはどんな傷を負っても回復出来ます。但し、脳細胞だけは再生させられませんので、頭は必ず守ってください」
「そりゃありがたいね、しかし……そんなもん、いつの間に作ったんだ?」
アンは収納カプセルを元の位置に戻し、野戦服のボタンを閉めながらそっと呟いた。
「……それは、秘密です」
リチャードは、自分の身体の一部分を大事そうに抱えているアンを少し恐ろしく感じたが、それも彼の事を考えて行っているのだとすれば、感謝しておくべきだろう。
「何にしても、助けてくれてありがとう」
リチャードがそう礼を言うと、アンは恥ずかしげに俯き、いえ、当然の事ですと答えた。
デルベトポリの兵士を敗走させてから三日後。リチャード達は三度目の兵士達を、【迷宮】の西側で迎えた。撤退する兵士達にアンは書簡を託し、デルベトポリ側にある情報を伝えたからである。
「……リチャード・ハイマンと申す者は何処であるか」
返信の書簡を携えた伝令兵が馬から降り、定めていた待ち合わせの場所までやって来ると、肩に提げた鞄の中から蜜蝋で封じられた書簡をリチャードへ差し出した。
「……自分だ。こんな僻地に遠路遙々ご苦労様、良ければ休んでいくと良い」
書簡を受け取りながら伝令兵に声を掛けると、相手はむすりとしたまま、
「……ご配慮有難いが、我が兄は二回目の出兵から戻らなかった。だから、余り長居はしたくない」
そう行って踵を返し、馬に跨がって廃墟を後にした。
「……どうやら、一度デルベトポリに行かないと駄目みたいだな」
リチャードは書簡の封を切り、中に納められていた書面をアンに翻訳して貰いながら内容を確かめると、腕を組みながらそう呟いた。
書面には、【迷宮】が依然として自分達の領内に有る限りデルベトポリの物であり、その中に隠されている物資の全ての所有権はデルベトポリに有る、と記されていた。無論、リチャード達が再三に渡り探索を阻害してきた理由(自分達が先に見つけたから所有権は我々に有る、と主張したのだが)をデルベトポリ側は撥ね付け、またいずれ討伐隊を準備して平定する意図に変わりは無いと断じたのだ。
「だったら俺達も一緒に行っていいよな?」
(……リチャードさんが良ければ、お供します……)
ミリオとモルフは当然のように同行を申し出るが、リチャードは首を横に振る。
「いや、君達は残ってベリテさん達と【迷宮】を守ってほしい」
(……そ、それは……どうしてですか?)
「な、何だよ! 俺達は仲間外れって事か!?」
モルフはそう尋ね返し、ミリオも彼女の反応を見てリチャードの思惑に憮然とするが、
「……アンさん、ワイルズさんは身重なんだろ?」
「はい、彼女はベリテさんの子を身籠ってます」
二人の言葉に居合わせた面々は互いに顔を見て、様々な反応を示す。
「……いや、ああ……彼女は、確かに俺の子を宿してる」
「……どうして、お判りに?」
(……えっ? そ、そうなんですか!?)
「へぇ~! おめでたじゃん!! ……何だか悔しいんだけどよ」
そう言いながら、しかし場の雰囲気は和らぎモルフとミリオは二人を祝福し、ベリテとワイルズの二人ははにかみながらその言葉を受け入れた。
「そんな訳で、ベリテさんはワイルズさんと必ず残らなきゃならんし、二人を守る為にモルフさんとミリオは残るべきなんだよ」
「……そういう訳で、私達二人だけでデルベトポリに行くべきなんです」
リチャードの言葉を訳しながら、アンはそう言ってその場を締め括った。
「……しかし、あの二人がなぁ……」
「男女が一つ屋根の下に暮らせば、成り行きでそうなる事もあるでしょう」
アンからコーヒーを受け取りながら、リチャードがそう呟くと彼女は平然と答える。
「彼女の基礎体温と行動パターンから、私はそう判断しました」
「……君、いつの間にそんな事調べてたの?」
「私は地下施設内の温度センサーを常に監視していましたし、同様に室内に居る人間の表面体温から体調も把握しています。リチャードさんは私と接する際の体温変化が……」
「あー、判った判った……君は優秀だよ、常にね」
彼女の言葉をリチャードは頷きながらはぐらかすと、アンは少しだけ口元を歪めながら、
「……私にも、受胎機能が有ればよいのですが」
「……ふぉっ!?」
そんなとんでもない事を口走るものだから、リチャードは危うくアンに向かって飲みかけたコーヒーを噴きそうになった。
「……物理的に細胞培養槽が有れば、受精卵を入れておいて……」
翌朝、妙な事を呟くアンを伴いながら、リチャードはデルベトポリへと出発した。無論、目立つ野戦服からありきたりな平民の服に身を包んだアンは、何処から見ても普通の娘にしか見えなかった。
見送りに来たモルフとミリオには【迷宮】の監視を、そしてベリテとワイルズの二人には地下施設の物資を定期的に村へ納めに行って欲しいと言付け、
「何かあったら、村のマーシュを頼ると良い。彼女は我々の意向を、随分と理解してくれているからね」
「……済まない、我々のような元は敵だった者に……」
「ま、気にするな。過去の事は過去に流せ、さ」
リチャードがベリテにそう付け加えると、彼はリチャードの手をしっかりと掴み、我が恩人と言いながら握り締めた。
「……デルベトポリは、急速に勢力を拡大した国だ。迷宮とは違い、国内では十分に兵力を蓄えているから、油断するなよ」
「ああ、そうだな。ま、危なくなったらさっさと逃げて来るさ」
二人はそう言葉を交わし、リチャードはアンと共に山を抜ける林道を進んで行った。




