②見慣れぬ品々
(困ったな……替えの下着なんて持っちゃいないし)
恥ずかしさに苛まれて俯き、涙ぐむモルフに同情しながら、しかしリチャードはどうしたもんかと困り果てた。見慣れぬ建物の中で、屍体を貪る悪鬼を二体討ち倒したは良いが、まさか若い娘の着替えまで担う事になるとは。だが、森や草原の真ん中ではなく、ここは建築物の中なのだ。探せば何か見つかるかもしれない。
「……まあ、今はとにかくここを離れよう。あんなモンの傍に居たくないだろ?」
彼がモルフにそう促すと、彼女は涙を拭きながらこくんと頷き、彼の服の裾を握り締めながら立ち上がった。しかし、やはり若い娘らしい羞恥からか、やや内股気味で足取りも危なっかしい。そんなモルフにやれやれ、と思いながらリチャードは先に立って歩き始めた。
「……化け物は、居ないか……」
ギイッ、と軋む扉を片手で開け、奥に視線を漂わせて警戒するリチャードは、中に何も潜んでいない事を確認してから踏み込む。その向こうは誰にも使われていない部屋らしく、グールが獲物を食い散らかした後に残した残骸の類いは、一切見当たらなかった。
リチャードと共に部屋に入ったモルフだが、やはり着衣の汚れを気にしてか部屋の一角に身体を預け、すんと黙って無言のままである。
そんな彼女を気遣いながら、リチャードは部屋に残された家具らしき様々な物の中に、何か使える物は無いかと物色してみる。
(……ふむ、注射器に……錠剤……か?)
机の引き出しを引いて中を確認していくと、医療品が次々と見つかり、何かに使えるかもと思いながら入れる袋を探し、肩提げカバンを発見して中身を確かめてみるが、
「……いや、これは……何処製か判らないが、何なんだ?」
カラフルな印刷を施された掌大のボール紙の箱が出てきては、読み取れない字で内容物が表記されていたり、筒状の蓋付き容器に詰め込まれた透明の液体等、彼の見た事のない様々な品に困惑してしまうが、今はモルフの着替えを見つけるのが先。そうこうしている内に、引き出しの一番下から透明なセロハンに包まれた白い布を見つけ、取り出してみる。
「……うん、まあ……いや、たぶん……下着だな」
流石に疎いリチャードにも判るが、五角形に近い柔らかな紙製のそれは、入院検査の際に支給される使い捨ての下着にそっくりだった。但し、男性用か女性用かは、判らないが。
「……これに着替えておきな、俺は部屋の外に居るから」
見つけた戦利品をモルフに差し出すと、リチャードはさっさと部屋の外に出た。そうして暫く待っていると、衣擦れの気配と共にモルフが着替え始め、やがて部屋の中から彼女は姿を現すと、
(……あの、その……ありがとう、ございます……)
今までより更に小さく、そして消え入りそうな声で彼に礼を言うと、深々と頭を下げた。
「いや、そんな……まあ、困った時はお互い様だって。ほら、それじゃ行こうか」
(……はい、宜しくお願いします……)
当座の問題が解決し、お互いに気は晴れたものの、まだ気を抜ける状況ではない。それは二人とも同じであるが、リチャードとモルフは再びグールに遭遇しないよう祈りながら、その建物から脱出した。
林を抜け、森の中の道を歩き、二人は漸くジルデアンタ村を見下ろす高台まで辿り着いた。だが、リチャードの予測通り……その村は彼が知るどんな村より貧相で、文明文化の類いは一切見当たらなかった。
「……なあ、あそこは電報局なんて……無いか」
電報局どころか、電線一本すら見当たらない村を眺めながら、リチャードは諦めと共に歩き始める。
(……リチャードさんの言うのが何か判りませんが、村には定期的に馬車が来るだけです……それも週に一度だけですが)
相変わらず小さな声で話すモルフを伴いながら、リチャードは広がる畑を抜ける道を進み、そして村を囲う粗末な木の塀を通り抜けて、村の中に辿り着く。
「さて、これからどうしたもんか……そう言えば、モルフさんと同行してた連中は、先に帰ってるのかい?」
(……さあ、どうでしょう……もしかしたら、そうかもしれませんが……)
とにかく座って休みたい、そう思いながらリチャードはモルフと共に住居が並ぶ道を歩き、彼女に案内されながら村で一番大きな建物へと向かった。
その建物は、ジルデアンタ村に唯一有るという、集会所を兼ねた交易場だった。村で採れた作物や価値の有りそうな物は全てここに集められ、週に一度やって来る馬車に乗った商人に買い取られ、数少ない収入として村を潤すそうだ。
「……なあ、モルフさん。この村の住人は……」
見慣れぬ格好のリチャードを見て、村の人々はデルベトポリの兵士が来たかとざわついたが、モルフが取り成して次第に平常心を取り戻した。だが、リチャードの言葉は全く理解されない上、村の住人が喋る言葉は彼にも一切判らなかった。見た目の人種として余り違いは無さそうにも関わらず、その言語は記憶の片隅にも無い。
「……じゃあ、どうしてモルフさんは俺の言葉が……理解出来るんだい?」
出会った当初から彼の言葉を理解しているモルフを不思議に思い、疑問を口にするリチャードだったが、返ってきた答えは彼を更に混乱させた。
(……その、私は……理解しているんじゃなくて、勝手に判っちゃうんです……)
モルフ曰く、彼女は生まれた時から様々な能力を備えていたそうだ。その一つが相手の話す言語を理解し、同じ言語を使って答える能力だと言う。しかし、その反面、彼女は大きな声で話す事は一切出来ず、小さな囁くような言葉しか口に出来なかった。
(……それと、物に違う何かを付け加えたり出来るみたいなんですが……自分でも良く、判らなくて……)
村の交易所を出た二人は、彼女の住む粗末な家で話をした。家といっても、物置小屋に毛が生えた程度の小ささで、水も村共有の離れた場所の井戸から汲まないと手に入らず、家財らしい物はこれまた小さなベッドと二段しかない引き出し程度、そして煮炊き用の薪を使う竈だけである。
「……じゃあ、どうやって暮らしているんだ?」
(……ここから離れた所に、その……リチャードさんが居たみたいな場所が、沢山あって……そこに宝探ししに行く人達について行って……荷物を運んだり……)
彼女の説明によれば、戦争が終わって暫く経った頃、突如として何も無かった山中や森の中に、【迷宮】と呼ばれる奇妙な場所が次々と現れたらしく、そこを目指す人々の雑用係が、今の彼女の仕事だとか。
(……噂を聞き付けて、集まって来た人達は……デルベトポリとは違う国の人も沢山居て……言葉が判らない方も多いんです……)
要するに、唯一の補給地点として機能しているジルデアンタ村で、彼女が通訳しないと食料すら手に入らない。だからモルフを雇わないと探索にすら行けないが、かといって腕力の無い彼女は他に重要な役柄には就けない。無論、彼女に乱暴な真似をして追い出されでもすれば、馬車で一週間掛けないと次の場所に辿り着く事も出来ない僻地に取り残される。謂わば、陸の孤島と化しているジルデアンタ村では、余所者はモルフを介さないと【迷宮】を目指せない、と言う訳だ。
「なら、もう少し羽振りの良い生活だって……」
その【迷宮】で、探索者がどのような宝を見つけて戻って来るのかは知らないが、仲介役や荷役を兼ねるモルフは、金を稼いで然るべきじゃないか。そう疑問に思ったリチャードだったが、その謎は直ぐに解けた。
少しだけ身体を休められたリチャードは、探索に出た同行者が戻っていないか確かめに行くモルフに、付いて行く事にした。そして、彼女はたまたま交易に来ていた商人と取り引きを終えた同行者と再会し、その報酬を得る事が出来たのだが……
(……まあ、ともかくこれからの事を考えないと、いつまでも彼女の世話になりっ放しに……)
交易所に置かれた椅子に腰掛けながら、モルフと四人の探索者達を遠巻きに眺め、リチャードはそんな事を考えていた。だが、五人の様子が何かおかしい。いや、正確にはモルフが相手している四人の様子が、だ。
どうやら報酬の分け方になり、代表者の男とモルフが話し合う脇で、仲間の三人は笑いを堪えながら成り行きを見守っているようだ。
(……何が何なんだ? くそ……俺にも言葉が判ればいいのに……)
事情が理解出来ないリチャードは、歯噛みしながら見ているしかない。そして、男の持っていた袋からジャラジャラと貨幣が現れ、それを五つの山に分けながら男がモルフの前に積み上げた貨幣の量は、誰が見ても明らかに少な過ぎる。
だが、モルフが見た目で異議を唱えると男は薄笑いを浮かべながら、一度全てを一つに纏めてから再び、五つの山に積み上げる。しかし、自分達には三枚づつ分けるのに、彼女の方には一枚づつしか寄越さず、時には素早く順番を飛ばす悪さを、平気でモルフの目の前で行うのだ。
何故、どうして反論すらしないのか、そう頭に血を昇らせながら見ていたリチャードだったが、後先考えず怒鳴り込む訳にもいかない。やがて、分配を終えた四人から逃げるように交易所を立ち去るモルフの後を追い、外に出た彼は彼女の元に辿り着いて問い質した。
「……なあ、一体何が有ったんだ? あいつら、どう見てもキチンと分け前を取り分けたようには見えなかったが……」
そう指摘するリチャードの前で、立ち尽くしたままモルフは黙って立っていたが、何も言わないまま自分の家に戻っていく。彼女と共に家に着いたリチャードが、再び同じ質問をしようと口を開きかけたが、ポタポタと涙を流しながら告白するモルフを見て、声が出せなくなった。
(……わ、私は……数が判らないから……)
(……皆さんより、私が少ないって言っても……どうしてそうなのか、言えないから……)
(……だから、だから……っ!! ……言えなくて……)
えっ、えっ、と嗚咽しながら泣きじゃくり、狭い家の真ん中でモルフは涙を流しつつ説明した。何の事も無いと言えばそれだけだが、彼女は数を知らなかった。自分が騙されていたとしても、それを相手に訴えたり論破出来るだけの、ただそれだけの知識すら持ち合わせていなかったのだ。
そう理解した瞬間、リチャードは何も言わずに彼女の細く頼りない身体を抱き締めてやった。そうしながら頭を撫でてやると、モルフは泣きながらリチャードにしがみ付き、落ち着きを取り戻すまで泣き続けた。
(……お鼻が、痛いです……)
それから暫く経ち、自分がリチャードにしがみ付いて泣いていた事を知ったモルフは、慌てて彼の身体から離れると必死になって涙を拭き、そして恥ずかしそうに呟いた。




