⑤銃口の先
……その時、モルフは初めて銃口を向けた相手がグールだった。無論、それが知り合いの成れの果てでもなく、食欲に支配され灰色に濁った眼で睨むだけの化け物だ。
だが、リチャードに導かれて廃墟の窓から銃口を覗かせながら、スコープ越しに狙いを定めたモルフは、引き金が引けなかった。それまで繰り返し操作法を習い、銃弾を籠めずに何度も構え方を練習し、やがて実弾を発射して標的の真ん中を幾度も撃ち抜けるようになった筈なのに、グールの額を射貫けなかった。
(……どうしてなのか、判りません……)
意気消沈し、がっくりと項垂れながら呟くモルフに、リチャードは仕方ないさと気楽に言いながらタバコに火を点けた。
(……あの、それは美味しいんですか?)
ほわ、と紫煙を吐くリチャードにモルフが尋ねると、暫く沈黙が続いた後、リチャードが答える。
「……味かい? 渋くて苦いな。旨いもんじゃない」
そう彼が答えると、モルフは眉を寄せながら不思議そうに呟く。
(……美味しくなくて、渋くて苦いんですか……)
「ああ、旨くない。まあ、酒もタバコも似たようなもんさ。無くても死なないが、一度味わって慣れると気にならなくなる。あれを撃つのと、大して変わらんのさ」
そう言ってグールを指差し、その指先で狙いを定める振りをしてから再び口を開く。
「……俺は、君より少し大人になってから戦場に行った。それまで、タバコも酒もやらなかったが……初めて人を撃ってから、どちらもやるようになったな」
(……初めて、人を撃った時……どう思ったんですか?)
構えていた狙撃銃を下げ、彼の横に腰掛けながらモルフが尋ねる。彼女は【迷宮】の中から持ち出したやや大きめの野戦服を着ていた為、袖を捲って白い腕を少しだけ出していた。その白い腕を見ながら、リチャードは再びタバコの煙を吸い込んだ後、煙と共に言葉を吐き出した。
「初めての時か。塹壕……って言う弾を避ける為の穴に身体を隠しながら、頭と腕だけ出して……銃を構えていたんだが、目の前から走って敵が近付いて来る足音が聞こえて……銃を撃ったんだ」
「……肩に当ててたストックが派手に当たって、肩が外れたかと思ったよ。それで前を見たら……俺と同じ位の年頃の奴が、胸から血を流しながら膝を着いてた」
「……それで、ああ……俺が撃ったんだ、って気付いた瞬間、そいつは大声で叫んだんだ。たぶん……痛いだとか、死にたくないとか、そんな事だろう」
「……それで、奴はばったり倒れて動かなくなった。その後は夢中になりながら、撃って弾を籠めて、また撃って……ぶるぶる震える指先で弾を落としそうにしながら、何回も何回も……繰り返し、繰り返し……」
そこまで、思い出しながらタバコを吸い込み、紫煙を吐き出しつつ、リチャードは言葉を選びながら話し続ける。
「……その後、ふと気付いた時には何も、感じなくなってた。最初に撃った奴の顔以外は……覚えていない。それからは……神ってもんに祈るのも止めた」
最後にそう言うとリチャードは、ふーっと煙を吐き出してからタバコを靴の裏に押し付けて消し、小さなブリキ缶の中に仕舞う。
(……それは、取っておいてまた吸うんですか?)
「……ああ、これか? 吸い殻は臭うからな。捨てずに纏めておいて、後で埋めるのさ」
リチャードはそう説明してから、何を話していたのかと思い出そうとしたが、
(……そうなんですか、判りました……でも、どうして私に……銃の扱い方を、教えるんですか?)
そう呟くモルフに、まだ言ってなかったなと前置きしてから告げる。
「モルフ、君には銃の扱い方だけじゃなく、もっと自由に生きられる方法を教えてやりたいんだ」
(……自由に、生きられる……方法?)
「ああ、君の居た村があった国は戦争に負けた。だから、相手の国が次の支配者になる……だが、武力さえあれば、それを覆せるんだ」
(……武力、ですか……)
「そうだ、武力だ」
リチャードは視線を窓の外に向け、自分が居た世界では戦争はもっと過酷だった、と彼女に説く。
「……眼に見えない毒の煙は、隣の仲間が血を吐いて倒れないと判らん代物だったな……それに、空から砲弾が落ちてくる」
(……ほうだん、ですか?)
「ああ、凄く大きな銃弾みたいな物で、遠くの敵の陣地から撃ってくるのさ。落ちた所の地面は穴が空いて、そこに人が居れば一瞬でバラバラになる」
(……避けられないんですか?)
「……無理だね。落ちてくる音が独特で判り易いが、何処に落ちるかは判らんからな。精々、塹壕の中で頭を抱えながら、自分の上に落ちてこないように祈るしかない」
リチャードの話す戦争は、モルフが知っている戦争とは全く違った。この世界の戦争は、敵と味方に別れて剣や槍を使って戦い、大将や指揮官がやられたら敗走するだけ。何の前触れも無く殺されたりはしないし、魔導を用いて遠くの敵の軍勢を攻撃しても、そこまで大量虐殺になる事は稀だ。
(……何だか、怖いです……)
「そうか? 手段が違うだけで、やっている事に変わりはないけどな」
リチャードから見れば、剣と銃に違いは無い。どちらも用いれば相手を殺せるし、敵陣地まで攻め込めばやる事は同じなのだ。
(……では、リチャードさんは……どうして兵隊に入ったんですか)
「そりゃ決まってるだろ、国策って奴だ。国を守る為に戦うのが義務だったし、徴兵制だったからな……気付いたら大学から戦場に居たのさ」
そう答えたリチャードだったが、不意に言葉を切って黙り込んだ。そして、モルフが何か言おうとした時、再び話し始めた。
「……大学では、建物を作る勉強をしていたんだが、戦場では壊す方ばかりでね。建物や橋に爆薬を仕掛けて、破壊して敵の侵攻を止めたり……真逆の事ばかりだったな……」
だから、これからは逆の事がしたいのさ、と廃墟の壁を指差しながら、
「……モルタル、コンクリ、漆喰にレンガ……色々な建材を使って、色々な建物が建てられる。頑丈な家を作り、寒さに震えず暑さに屈しない生活をね。だから、今は一つづつ進むのさ」
その言葉と共に、窓の外へと身を乗り出す。まだ春には早い冷たい空気が彼の身体を撫で、ひやりと首筋を嘗めていく。
「……いずれ、もっと大きな敵を相手にするだろうな。俺達が国を手玉に取れるだけの武器を使えば、百万の兵士を相手しても生き延びられる筈さ」
(……そんな事が、可能なんですか……?)
「ああ、出来る。銃が有る、爆薬が有る……そしてもっと強力な武器も必ずある。それさえ有れば……」
(……有れば、どうなるんですか……?)
モルフの問い掛けに、リチャードは力強く答えた。
「……デルベトポリを、屈服させられる」
その日の午後、モルフは狙撃銃でグールを撃った。そして、日が暮れる前に合計八体のグールを仕留めた。遠距離から一発づつ射ち、確実に一体づつ。
「俺より上手なんじゃないか?」
褒めて育てるつもりか、リチャードはモルフの頭を撫でながら笑いかける。
(……いえ、教える方が……上手いんです!)
そう答えたモルフは、もうグールを撃つ事への抵抗感は無くなっていた。
その直ぐ後、モルフは探索者を撃った。リチャードに言われたからではなく、地下施設に近付こうとしていたのを発見したからだ。
……彼女が探索者の頭を撃ち抜いたのは、ミリオが人間を撃つ事への抵抗感を無くすより、遥かに前だった。




