②廃墟の亡霊
不気味な程、静まり返った【迷宮】内。その中に足を踏み入れたデルベトポリの兵士達は、その廃墟の異様さに言葉を失った。母国のどんな建造物よりも更に高く聳え、遥かな高みへと伸びる人口的な建物が、全て半ばで崩れている。もし、それらが全て健在ならば、その中に何れ程の人々が住んでいたのか。そんな神々の国を思わせる精緻な建造物ばかりかと思えば、硬い砕石を敷いて固めた路面の端から雑草が伸びていて、その対比が余りにも彼等の常識とは欠け離れているせいか、ただ見ているだけで圧倒されてしまう。だが、兵士達は物見遊山で此処を訪れている訳ではないのだ。
「……隊列を維持し、常に警戒を怠るな。何時、何が出てくるのか判らんぞ」
無論、誰も緊張感を欠いた会話に集中する事は無い。気を弛めなければ自分達は不意打ちされる事は無い、そう信じながら一歩づつ進む。剣を構え、盾の陰に身を潜めながら、ゆっくりと進んで行く。
「……報告されている化け物とは、一体何なんでしょうか」
緊張に堪え切れなくなったのか、一人の兵士が小隊長に向かって声を掛ける。無論、無駄口を叩くなと怒鳴られても致し方無い状況なのだが、
「……良く判らん。大きさは人を越えるようではなく、ただ獰猛で武器の類いは使わないという噂だ」
小隊長も彼なりに気にしていたからか、街角で聞いた生き残りの探索者が見た話だ、と小声で交わす会話を思い出し、つい口を滑らせてしまう。
「……そうですか。俺はてっきり、人の倍程も有る鬼の巨人や、牛頭の魔物がひしめいてるのかと思ってましたよ」
その誰もが思い浮かべるであろう、典型的な魔境の情景に小隊長も苦笑いし、
「……そんな奴等が居たら、誰も戻ってきやしないだろう。探索者って連中は、敵味方問わず逃亡した兵士の成れの果て、ってものだからな。腕が特別立つとは、到底思えんが……それでも僅かながら戻った者も居る。化け物といっても、その程度だろう」
実戦を経験した自分達ならば、そんな相手に遅れは取らない。そう続けたかったに違いないが、二人はそれ以上お喋りに興じる事は無かった。
変化、と言う程の異常なら直ぐに判る。だが、その変化はゆっくりと忍び寄る夜霧のようだと、気付くのも遅くなる。殿を務める最後尾から、一つ先の立ち位置に居た兵士は緊張感が緩み、不意に尿意を覚えた。だからつい目線が瓦礫の物陰に向かい、そこで用が足せればと意識が向いた瞬間、視界の隅で何かが光った。その直後、
……ヒュバッ、という風を切る音と共に彼の視野は半分消失し、そのまま片眼だけで空、地面、廃墟と次々変わる景色を見つつ、地面に向かって倒れ込む。
「……てっ、敵襲ッ!!」
「何だっ!? 誰かやられたのか!!」
突如、目の前の仲間が頭を半分失って絶命し、それを見た最後尾の兵士が声を張り上げる。直ぐに小隊長が走り寄り、しゃがみ込んで部下の状態を確認する。無論、一目で死んでいると判る程の無惨な姿に眼を逸らし、立ち上がって叫んだ。
「……盾を高く掲げろ! 相手は頭を狙って来る……頭を隠しながら左右に別れるんだ!!」
それを聞いた部下達は雷で打たれたように身を震わせてから一斉に動き出し、通りの真ん中から廃墟の壁際に盾を構えながら身を寄せる。そして、一瞬の沈黙が訪れる。
(……魔導の類いか、きっとそうだ。姿を消して必中の距離まで近付いていたのか? それとも……いや、大型のスリングショットか……?)
その沈黙が続く中、小隊長は分析する。撃たれた部下は即死し、仲間は射たれていない。魔導なら証拠も残らない理由の一つになるが、今はまだ追撃は無い。
「……よし、盾を掲げたまま進め。距離を保って壁際を……」
小隊長は部隊を次の交差点まで進めようと命ずるが、ふと疑問が生じる。何故一人しか倒さないのか。もし、自分が乱戦を狙っていたなら、部隊の乱れが収まらないうちに追撃して来る筈。しかし、今の敵は……
(何かがおかしい……相手は武器を使わず素手で襲い掛かる化け物の筈だ!)
「まっ、不味いっ!! 壁際から離れて今すぐ走れっ……!?」
相手の意図が掴めぬまま、部下達に直感で命令を改めようとした瞬間、各々一個づつ、壁際に置かれた箱状の何かが爆発した。直後、爆音と同時に風を切って無数の鉄球と熱波を伴う衝撃波が到来し、小隊長を始め部下達の全身を包み込む。それが、彼等の見た最期の景色であった。
「……何だ? 廃墟が崩れたのか……?」
西側から【迷宮】に足を踏み入れていたベリテは、南方向で起きた爆発音に身構える。高い建築物に視界を遮られ、状況の詳細が偶発的な事故かすら判らない。
「一旦、兵士全員を呼び戻すべきでは……」
「いや、それは出来ない。偵察を兼ねての進軍なのだ、何も判らず無闇に撤退すれば、全体の士気に関わる」
「……では、静観するしかないですね」
ベリテと補佐官は協議し、各部隊の判断に委ねながら進軍を続ける事に決まる。無論、彼等は部隊の一つが今、壊滅している事を知らぬまま。
「……廃墟が崩壊? それにしちゃ妙だ、建物が崩れたなら白煙が上がるに決まってるが……」
全滅した部隊とは対極を進んでいた小隊長は、地響きと共に舞い上がる煙の色に注目する。だが、廃墟の建物が邪魔をして視界が塞がれて良く見えない。
「仕方ない、誰でもいいから高い所に登って……」
指揮下の兵士にそう命じようと振り向いた彼は、最後尾を進んでいた兵士に忍び寄る影に気付く。だが、影は兵士に近付かず、直ぐに離れて居なくなった。その突飛な行動に胸騒ぎを覚えつつ、無事を確かめる為に歩き出す。
「おいっ、ボーッとするな! 敵が何処に居るか判らんぞ!!」
すれ違う部下達に檄を飛ばしながら小隊長は進み、最後尾の兵士の前までやって来た。だが、何か様子がおかしい。
「……おい、何かあったか?」
「……し、小隊長……幽霊だ……幽霊が来ました……」
「何言ってるんだ! 幽霊なんて居やしないぞ!?」
突如、奇妙な事を言い始める部下に不信感を募らせながら、小隊長が怒鳴り付ける。普段から余り勇猛果敢ではない若者だったが、その慎重さを買って殿を任せたのが間違いだったか。しかも混乱し、譫言まで言っているのだ。
「さっさと行くぞ! ……おい、何で動かないんだ!!」
「……幽霊が、幽霊が……動いたら、全員死ぬって……」
「はあっ!? さっきから居もしないぞ! 幽霊なんて何処に居るんだ!!」
訳の判らない事を繰り返す部下に苛立ち、肩を掴んで無理やりにでも動かそうと強く引っ張った瞬間、足元に纏めて置かれていた手榴弾のピンが、一本抜けた。
「……何かが始まっているようだな。それにしても、化け物にしては知恵が回るのか……それとも、ヒラリエの残党が介入してきたか?」
ズシンッ、と腹に響く地響きが再び鳴り、ベリテは戦闘が次第に近付いている事を知り、術式を施された甲冑の力を解放した。
……今は亡きヒラリエ国との戦争時、デルベトポリの一部の兵士に与えられた術式付与の武具。それらは防御力より攻撃性を重視し高い戦闘力を与える半面、戦意高揚効果が余りにも高過ぎた為、与えられた者は友軍からも恐れられた。
ベリテはその瞬間、視界が歪むと同時に意識が一気に高揚し、握り締めた長めの曲刀の柄がミシリと音を立てる。
「……全員、後ろに下がれ。前には、俺が立つ……」
彼がそう言うと配下の兵士達は無言のまま後退り、補佐官はベリテの意識が黒く塗り替えられた事を理解した。
「……同士討ちに、なる……」




