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傀儡の魔女

作者: 劇鼠らてこ

 ──他人を操ることができれば、その者の人生を思うままに手に入れられる。


 それが頭に浮かんだ最初の一文だった。

 単語の羅列。短文の坩堝。その中で唯一文章としてあったそれは、そのまま私の魔法になった。


 傀儡(かいらい)の魔女。

 万物に憑りつき、意のままに操る魔女の名である。



*



 砂埃の舞う道。太陽光のさんさんと降り注ぐそこを、二人の少女が歩いている。

 両者の手には──水桶。まぁ、なんでもなく、家の近くに井戸が無いので遠くから水を運んできているいたいけな少女二人──つまり私たちである。


「だーぁっは……重い」

「いつものことじゃん。文句言わないで」

「いやいやいや……重いものに重いって言って何が悪いの。文句じゃなくて事実よ事実」

「じゃあ事実も言わないで。余計に重くなるから」

「私が何言ったって重さは変わらないと思うよ……」

 

 炎天下炎天下。そこまでしなくてもいいでしょってくらいの日照りの中で、どてどて歩く。

 幸いなのは、引き摺ろうが揺らそうがなんならひっくり返そうが、桶から水が零れることはないということ。それはお隣、スタスタと涼しい顔で歩いている少女の魔法が原因だ。

 密閉の魔女。

 人は彼女をそう……呼ばない。まぁ、魔女であることは普通隠すものだから。だからそう、魔女界隈では、彼女は密閉の魔女と呼ばれている。

 その魔法はとても簡単。容器から中身のものを零さないようにできる──ただそれだけ。

 でもそれだけの魔法が、今、世界中のどんな魔法よりも役立っている。ありがとうありがとう。


「……いつまで続くんだろうね、この生活」

「次のおーさまになるまで、じゃないの?」

「次の王様になったら、この暮らしを変えてくれるのかな」


 それこそ。

 それこそ、言ったって変わらないことだ。私たち平民が道端で何を言ったところで、王政や国政に変化が出るわけでもない。そういうのは普段であれば私が言うセリフで、彼女のようなクール少女のいうものではない。

 

「だー……ふぅ、へぇ。……で? なんかあったん? 話聞くよ?」

「おばあちゃんが死んだ」

「おぅ、とても重い話」


 ……死など。

 とりわけ、珍しいものでもない。私たちはとても貧しいから、食べ物にありつけない日もある。たまたまそれが何日も重なれば、年を取ってたって取ってなくたって、ぽっくりコロリと死んでしまうのだろう。

 

「薬がね、値上がりしたの。今までの値段では売れない、って。私たちの……お母さんとお父さんと私の稼ぎじゃ、その薬を定期的に買うのは無理で」

「それで死んじゃったワケか。……ま、残念だったね」

「うん。優しい人だったから、もっと働いてお金を稼ごうとした私たちを止めて、そのまま薬を飲まずに死んじゃった」

「それでこうも言ったんじゃない? "私の分、食費が浮くから。それで、少しでも楽してね"って」

「……うん」


 残念ながら、今のこの国において、働けなくなった老人に価値は無い。惨い言い方だけど、事実だ。同時に私たちのような力の弱い少女もまた、働き口の少ない現状にある。

 あるいは魔女であると知られて、それが有用であると判断されたのなら──お城の宮廷魔法使いになる、なんて"大当たり"もあるかもしれないけれど。

 有害である、と判断された時には殺されてしまうのだから、ハイリスクが過ぎるというものだ。


「変わらないのかな、この生活は。お母さんがおばあちゃんになって、お父さんがおじいちゃんになって……その時もこうなのかな。私がおばあちゃんになった時も……」

「まぁ、誰かが変えようと思わなきゃ変わらないだろうね。そして日々を生きることに精一杯な私たちは、誰一人として変えようなんて気にならない。そんなことしてる暇あったら働けー、だし」

「じゃあ、やっぱり」

「変わらないよ。変えようとしなきゃ」

「……そっか」


 そして、変えようとしたところで、私たち平民には無理な話だ。

 徒党を組んでも鍛錬の積まれた兵に阻まれる。何かを画策したところでお貴族様の学者たちに敵うはずもない。

 このやせ細った身体で、この今にも折れそうな手足で、一体何ができるというのか。


「運ぼう。ちょっと遅れてる」

「うぃー……やっぱり重い」

「言って変わらないことは、やっぱり言わない方が良いね」

「それはどっちに対して?」

「……」


 返事は無かった。

 


 *



 ただいま、なんて言って家に入る。

 家。家……あるいはあばら家だ。あばら家でも家は家かもしれないけど。


 そこに住んでいるのは私と母親の二人。

 父親はいない。飲んだくれで母に暴力ばかりを振るっていた父親は、もういなくなった。

 訪れた安寧の時間は、けれどそう長く続くことは無い。飲んだくれの父親が抱えていた借金が私たちに圧し掛かり、日々の生活さえも危うくなった。


 ──だから、立て替えてもらった。

 払えないなら身体で払え、なんてことを言ってきた、父の飲み仲間に。なんてことはない、父は彼からも金を借りていて、彼はその取り立てに来ただけ。だけど、ちょうどよかったから。

 父にお金がないと知っておきながら毎日のように連れまわしていたこと──なんて、欠片も恨みに思っていない。ただ、ちょうど良かったから、彼に憑いて(・・・・・)立て替えた(・・・・・)

 

 父親の借金を善意で肩代わりしてくれる、とてもいい人だった。


「お帰り、シャイネ」

「うん、ただいま、お母さん」


 シャイネ。家名は存在しない。

 今更だけど、私の名前。

 

「今日は遅かったのね?」

「ああ、うん。友達の魔法が兵士にバレかかったから、憑いて誤魔化しておいたんだ。危なかったよ、色々。はぁ、まったく、なんであんなところにいたんだか……」

「それは多分、今王子様が来ているからでしょうねえ」

「王子様? ……って、何?」


 およそ日常では聞かない単語に、脳内に羅列された言葉を探る。

 王子様。オージサマ。おじさま?


「何、って。なに言ってるの、シャイネ。王子様よ。第一王子のメルドオール様。何用かはわからないけれど、今こっちに来ていて、だから護衛の兵士さんがバタバタしてるみたいなのよ」

「メルド、オール……。……え、あの第一王子?」

「どの第一王子がいるのかは知らないけれど、その第一王子様よ」


 それはびつくらぎゃうてん。

 お貴族様だってこの街を認知することさえ嫌がるというのに、その頂点である王族、次期王位継承権第一位な第一王子様が、なんだってここに。


「何の用なの?」

「だから、何用かは知らないのよ。よくわからないけれど、市場を一通り見て、果物をいくつか買っていったそうよ」

「えぇ、なに……? 庶民の味覚調査みたいなこと……?」

「そんなに気になるなら、見てきたらいいじゃない。貴女なら、鳥でも鼠でも、なんにでもなれるでしょう?」


 確かに。

 

 この通りお母さんは私の魔法を知っている。父親は知らなかった。知らせなかった。無論、お母さんにもわざわざバラしたりはしていないけれど、彼女は見抜いてきたのだから仕方がない。

 

 窓の外を見る。

 屋根の縁に止まった一羽の小鳥。


 ──次の瞬間、私はその小鳥になって、見上げてくる私を見下ろしていた。


「いってらっしゃい」


 お母さんに一鳴きを返して。

 私は、大空へと飛び立つ。私が憑依したからといって小鳥から飛び方の記憶が消えるわけでもなし。ただひと時、その意識を間借りさせてもらうだけ。


 飛ぶ。羽ばたく。

 ぐんぐんと高度を上げて、上げて。

 だからすぐに見つけることができた。仰々しい兵士の群れ。トボトボと歩く、非常にやつれた背中の青年。身なりが良いからかろうじて第一王子だとわかるけれど、これでボロ布でも纏っていたら浮浪者にしか見えなかっただろう。

 それくらい、彼はとぼとぼ、よたよた歩いていた。


 王子。第一王子。

 第一王子メルドオール。三人いる王子の中で、放蕩中の三男を除き、それはもうガリガリとしのぎを削りあう長男と次男──つまり継承権争いの最中にいる二人。その一人。

 ……だったはず。平民にはどーでもいい話なので、あんまり詳しくは覚えていない。ただ、いつも水汲みを共に行うあの少女が、第二王子と第三王子にだけは継いでほしくない、みたいなことを言っていた覚えがある。


 より酷い結果になりかねないから──だったっけ。理由は覚えてない。


「メルドオール様、そろそろお帰りになられてはいかがでしょうか」

「……うるさい。俺がいつ帰るかは、俺が決める。そして別に、お前たちが俺についてくる必要もない。帰りたければ帰れ」

「い、いえ。我々は職務ですので……」


 アレが?

 今近くの家の屋根に止まってアレを見ているけれど……え、アレが?

 アレに継いでほしいって……え、アレ? ホントにアレ?


 絵に描いたようなお貴族様というか、権力者じゃん。

 それも自分の立場を理解してない……うぅ、嫌だ嫌だ。お貴族様ってどうしてこう……。あ、王族様か。


「お言葉ですが、メルドオール殿下。あなたは王位の次期継承者。あなたの御身に何かあっては困るのです。王が病に臥せっている今、この国の未来はあなた様にかかっているのですから」


 ──ぴ?

 おっと、思わず鳥言葉が。

 

 それより……今、なんだか良いことを聞いたような。


「ふん……どうせお前も、俺がいなくなった方が楽だと考えているんだろう。知っているぞ、兵士の中に一人、支給された槍ではない……丁度鎧で隠し持てる程度のナイフを持つ者がいることくらい」

「……それは、誰ですか」

「なんだ知らなかったのか? アイツだよ、あの、今果実を買っている……」


 言葉が駆け巡る。

 何ぞかを話す王子たちの声は右から左へ、今私の中を占めているのはある言葉だけだ。


 ──"この国の未来はあなた様にかかっているのですから"。


「取り押さえろ!」

「……ふん」


 ──"この国の未来はあなた様が左右できるのですから!!"


 脳内で勝手に起きた変換など気にはしない。どっちも同じことだろう。

 良い。

 それは、とても良い。


 彼は──この国を変えることのできる立場にいる。であればこれは千載一遇のチャンスだ。第一王子がこんな貧民街に現れる、なんて滅多にあることではないのだから、この機を逃す手は無い。


 だから私は、小鳥のまま、彼を見た。



 *



「……申し訳ありません。御身に凶手を近づけ、あまつさえそれをあなたに指摘される、など……」

「構わん。何もなかったのだから、それでいい。……それより帰るぞ。少し疲れた」

「ハッ」


 背後。

 目をくれることもない市場の屋根から、一羽の小鳥が飛び立っていったことなど、誰も気には留めないだろう。ありがとう、お疲れ様。


 ふと、手に持っていた果実に目をやる。

 萎れた果実だ。そのまま食べるには渋みが強い。一日中水に漬けてやって、それでなんとか食べられる……そういう類のもの。

 けれどそれが、味も食感も何もかも知っているそれが、とてもとても美味しそうに見えた。


 だから、食べる。噛り付く。

 ……当然の渋みが口の中を襲う。


「メルドオール様、それは生で食べるものでは……」

「うるさい。俺が食べたかったから食べたんだ。お前にとやかく言われる筋合いはない」


 渋いし、苦い。

 だけど止まらない。まるで久しぶりに食べた食事かのように、一個、さらには二個目にまで手を出して食べ勧めた。うん、不味い。

 ……なんだろう。

 この身体、妙に……お腹が空いている。今のじゃ全然足りない。


「帰る前に、もう一つ市場へ寄っていく。ついてくるか来ないかは勝手にしろ」

「いえ、ですからあなたを守るのが我々の責務で……ああ、勝手にいかないでください王子!」


 お腹が空いている。

 空いてはいるけれど、それを誰に言ってもダメだ。

 自分で見つけて、自分で見極めて、それでようやく食べることができる。


 今日は、今回は、私の知っている馴染みの店へ。


「はいはい、いらっしゃー……って、うわ、なに、何事?」


 気怠さを隠そうともしない店主。一見ただの少女である彼女は、鮮度の魔女。彼女の売る商品はどれも新鮮で、信頼できる。味が落ちていることもなければ、何かが仕込まれている(・・・・・・・・・・)こともない(・・・・・)。採れたての果実──あと、店頭には出していないけれど、魚や獣の肉まで手に入るのがこの店だ。


「店主。これと、これとこれを貰いたい」

「はぁ……えー、じゃあ40ギルになりますけど」


 目配せ。

 すると、兵士の一人が代金を店主に渡した。……これが権力者。

 まぁ王子自身がお金を持っていない、というのもあるんだけど。


「邪魔をした」

「あー……はい。まいどありー」


 多分、鮮度の魔女はこの青年に私が憑いていることを見抜いたのだろう。

 買った果実のラインナップが完全にそうだったから。でも、何も言わない。何か魔女を示唆するようなことを言ってしょっ引かれては堪ったものじゃないから。

 

 購入した三つの果実。 

 その一つを口にして──幸福を得る。ああ、甘い。美味しい。

 

 私たち魔女が何か取引をするときは物々交換が基本だ。だから貧しい私でもこの果実には時たまありつけている。お母さんに買っていくこともあるし、密閉の魔女にお裾分けすることもある。鳥や獣となって外の世界へ行ける私は、物々交換足り得るものを取ってくるのに非常に向いているのだ。


 しゃく、しゃく、と。

 その甘さを身に染み込ませていると……ふと。


「……兵士長。前方の馬車は、なんだ?」

「馬車? ……っ、お逃げください! 暴走馬車です!」


 先の凶手といい、これといい。

 そしてこの記憶……己で見極めたものしか食べない、というもの然り。


 ひらりと躱す。ただ、躱しただけでは街のどこかに被害が出るだろうから、一瞬だけ馬に憑いて落ち着かせる。


「危ないな」

「チ……」


 それは消え入りそうな音ではあった。お逃げください、という割に逃げ道を塞ぐように立っていた兵士長が、誰にも聞こえないように放った舌打ち。

 

 どうやら。


 第一王子は──あまりにも多くの人に疎まれているようである。



 *



 朝起きて差し出された粥に、毒が入っていた。

 危ない危ない。薬草の魔女と友達で良かった。この微かな匂いを知らなければ、今頃泡を吹いて床をのたうち回っていたところだ。


 世話係を部屋から排斥する。

 昨日までは平気だったのに、もうそんなところまで抱き込まれたか。

 そんな思考が浮かび上がる。そっか、唯一の信頼できる人だったんだ。


 記憶にあるままに己で着替えをして自室を出る。廊下にいる人間は二人。

 一人は掃除をするメイドだけど、もう一人は。


「あぁ、メルドオール様。おはようございます」

「……何用だ、料理長」

「いえ、先ほど出した粥がお口に合わなかったようで……またお変わりになられた"味の好み"を聞きに来ました」


 とすると、料理長はまだか。

 自室へ運び込まれる最中に仕込まれた毒。料理長としては、私の好みを完全に再現した味にしたつもりが、一切の手を付けずに返却されたわけだからなぁ、プライドと、何よりも責任感が許さないのだろう。

 そして、苛立ちも。


「……別に好みは変わっていない。今日は気分じゃなかっただけだ」

「そうですか? 全然、良いですからね。好みの味が変わることは悪いことじゃないんだ、それを完璧に作り上げるのが私たち料理人。ですから、偽ることなく好きな味を言ってくださいませ」

「問題ない。本当に好きな味だ。ただ今日は……どうしても食べられなかった。それだけだ。すまなかったな」


 ただ、これが連日続くようなら考えなければならないだろう。

 毎日毎日捨てるわけにもいかない。そうなれば、今度こそ料理長のプライドを傷つける。

 でも、だからといって解決策は……。


「いうことがあるとすれば、冷めているのがあまり好きではない。厨房へ直接食べに行ってもかまわないか?」

「え、いやっ! それは流石に……王族の方々に見せられるような場所でもありませんし」

「そうか」

「ですが、そうですね。食堂へ来ていただけたら、調理した料理をすぐに持っていくことができるでしょう。王が臥せられてからあまり使っていなかった食堂です、メルドオール様単身で、となると些か寂しい空気となってしまうかもしれませんが……」

「いや、それでいい。すまないな、我儘を言って」

「いえいえ、料理を最高の状態で食べていただきたい、というのが私共の願いですから」


 まだ。

 まだ、料理長は抱き込まれていない。

 

 ……時間の問題だろうが。


「それでは失礼します、殿下」

「ああ」

 

 去っていく料理長。

 空いたお腹は、昨日買った果実で補う。一日経っても鮮度は変わらない。ゆえの鮮度の魔女だ。


 少し、考える。

 毎朝か。それは結構つらいなぁ。

 それに、親しかった人たちが、一人、また一人と侵食されていくのも……心にクるだろう。

 

 寝不足も酷い。昨日よたよた歩いていたのは、体調が悪かったからだ。

 限界が近いのだということがわかる。


 媚び、諂い、こちらに尻尾を振っていた者達も、いつ凶器を隠し持った暗殺者となるかわからない。あるいは当然のように部屋へ入ってくるあのメイドさえも。

 城の中を思い浮かべる。

 ……ない。安息の地がない。あるとすれば、自室に引きこもるくらいか。


 なんて、不憫。

 というかこの王子で本当に国をどうこうできるんだろうか。

 どんどん人が抱き込まれる、って。それってつまり人望ゼロってことなんじゃ。


 この国の未来……大丈夫かなぁ。


 少しばかり、ううん、かなり心配ではあるけれど、一旦意識を体の持ち主に返す。

 まだ私は彼の記憶の照合を深くまで行っていない。料理長やら兵士長やら、関りはあれど深くはない相手であれば問題なかったけれど、これから会いに行くのは病に臥せっている父親、つまり国王様だ。

 そこまで深い関係にあると、中身が違うことがバレてしまう。

 だから、交代。

 私が憑依したままに、王子を王子に戻す。


「──……」


 戻した瞬間、メルドオール王子はバッと自らの体を見た。両手。その両手で自らの喉を触り、口元に触れ……大きく呼吸をする。


「ゆ、め……? にしては、鮮明な……」


 夢うつつ。微睡の中にいただけ。

 あるいは寝ぼけてそれらを行っただけ──そう、処理される。私は傀儡の魔女。操り人形では、人形師の存在を知覚することはできない。

 当然だけど、私の魔法は有害側。バレたら処刑だ。ひぃ、怖い怖い。


「いや……今はいいか。それより、父上……」


 またよたり、よたりと歩き出す王子。

 まともな食事は摂れていない。父親が臥せる前は食堂で食事ができていた──そこまで堂々と暗殺を狙ってくる輩もいなかったのだけれど、食事が各自の部屋となってからは散々だ。料理長のもとより直通で運ばれてくる朝食以外、何者かによって加工されていると見ていい。そんな状況。

 今朝、それさえもダメになったけれど。


 明らかに健康とは言えない体で歩いていく王子は、けれど事情を知らぬ者からすれば、幽鬼のように映るのだろう。その権力が相俟って、奇異の目で──とても自国の王子に向ける目とは思えない目で、遠巻きになって彼を避ける。

 ああ、だけれど、その方が都合は良いのかもしれない。

 心配して近づいてくる者が、凶器を持っていないとは限らないのだから。


 ……それでも、まぁ。

 限界は限界だった。


 がく、と。

 膝から崩れ落ちる王子。あちゃあ、せめて国王様の前までは私が操っていった方が良かったかな、なんて呑気なことを考えていると、流石に、なのだろう。見越していたのかまではわからないけれど、わらわらと人が寄ってきた。


「やめろ! ……許可なく俺に触れるな……!」


 けれど、王子はそれを拒絶する。

 いやいや、気持ちはわかるけど、無理だよ。早く医務室に行った方が良いよ。


 大丈夫大丈夫、今は私がいるから、変なことをしようとしてる奴は追っ払ってあげるからさ。


「殿下? 殿下、どうされたのですか!?」

「近づく、な……俺に……」

「殿下、私です! アンナです!」

「……ア……ンナ?」


 意地でも人を寄せ付けないつもりか、他者を睨んでまで威圧する王子に、それでもと近づいたのは──老婆だった。

 彼の記憶にある顔。……からは、かなり年老いているけれど。

 

 アンナ。アンナ。

 そうだ、メルドオール王子の乳母だった女性。

 

 彼女は王子よりも遥かに小さな身でありながら、彼に肩を貸す。

 そうして、近づきあぐねていた者達や、何かをしようとしていたものたちをキッと睨みつけて、彼を彼の部屋へと運んでいく。アンナが力持ちであるというよりは、メルドオール王子にその程度の体重しかない、というべきだろう。

 どれほど恵まれた体をしていたって、食べていなければ瘦せ細るのも道理だから。


「俺は……父上に……」

「今はあなたのことが先決です! それに、今病で臥せっている国王様の前に、今の殿下が現れてみてください。国王様はあなたの事を心配し、余計に病を深めてしまうでしょう。違いますか?」

「……」


 確かにそうだ。

 病気はその精神状態によって酷く左右される。自分の息子が今こんなにもげっそりとしていて、明らかに尋常ではない様子ならば、国王様の病状は悪化の一途を辿ることだろう。何の用で呼び出されたのかは……あー、「お前の顔が見たい」、か。まぁ元気な王子であれば薬にもなったのかもしれないけれど、こればっかりは乳母が正論。

 安全な食事を求めてあんな市場にまで来ていたのもわからないでもないけど、自分の体力がどれほどないか自覚しておかないとダメだよ。暗殺云々以前に衰弱死しちゃうよ。


「はい、ベッドに横になって……ああ、着替えは後でいいですから。まずは横になって呼吸を落ち着けてください」

「……ああ」


 少しばかり横暴というか乱暴というか、乳母なんて地位の欠片もない立場にあるだけの彼女が、けれど王子をまるで子供のように扱う。扱われる。

 それが、少しばかり気楽だった。彼の記憶の中で、乳母と過ごした日々が想起される。


「りんご、剥いてあげますよ。殿下は昔から皮の無いりんごが大好きでしたからね。ガリユス殿下は皮にも栄養があるから、なんて言って直に噛り付いていましたが……」

「……アンナ。あいつの話はするな。……せっかくの気分が、台無しだ」

「……もう、昔のように……親しい兄弟には戻れないのですか?」

「俺に聞くな。俺とアイツ以外の全てがそう仕向けているのだから、どうしようもないだろう」


 ガリユス。

 メルドオール王子の弟。つまり、第二王子だ。

 王子は今、このガリユスと王位継承権を争っている。


「アンナ」

「はい、殿下」

「りんごは、いい。俺は少し眠る。……誰も来ないよう見張っていてくれ」

「わかりました。では起きた時にお食べくださいね」

「……いいといっているだろうに」


 全身の力が抜けていく。

 緊張と警戒で強張っていた筋肉が弛緩していく。先ほど起きたばかりだというのに、肉体よりも精神が急速を求めていた。

 

 だから、しばし、目を瞑る──。




 ああ、惜しかった。 

 公共の場でなく、衆人環視のもとでなく。誰にも見つからない──王子自身が招き入れる以外に侵入の術の無いそこでなら、彼を殺し得ただろう。 

 暗殺者。

 何を受け取ったか、なりふり構わぬ凶手。


 今の今まで見せていた優しい顔をしまって、冷たく無機質な表情で、大きく高くナイフを振り上げた彼女は──アンナは、既のことで、止まる。

 良心が疼いたか、彼が好むりんごを剥くナイフを使うのを嫌がったか。

 

 当然、そんなことはない。 

 殺すつもりだった。今の今まで、確実に。昔を思い出して、完璧に演じきって、彼を信頼させた。

 眠る王子の胸にナイフを突き立てて逃げる。それをすれば、盗みを働いた事実をもみ消してくれる。甘い誘惑は、情など簡単に破り捨てて、彼女を凶行に走らせた。


 どの道、彼が死んで困る人間などいないのだから、と──言い訳をして。


 ああ、本当に惜しかった。

 その演技はあまりに完璧だった。

 

 ただ、彼女は知らなかっただけ。


「……ふーむ。さて、どうしたものか」


 彼の身に傀儡の魔女が憑依していた時点で──計画など、泡よりも容易く壊れるのだと。

 

 眠る王子を見下ろして。

 老婆の口で喋る。しゃがれた声で、私は喋る。

 

 これは今まで生きてこられたのが不思議なくらいだ。

 どうせ彼が死んでも困る者などいない──なんて、一国の王子が思われて良いことじゃあないだろう。


 さて、はて。

 少しばかり──探りでも入れてみようか、なんて。



 

 *




 城は地獄だった。 

 いつも、どこにいても心休まる時は来ない。誰かが彼の命を狙っている。誰かが彼を排斥せんと動いている。

 メルドオール第一王子。その名は、第二王子の障害でしかない。

 

 ──けれど、時折。

 最近になってから、彼に安息の時間ができた。

 

 疲労が過度に達したのだろう、彼には意識を失ってしまう時があって、けれどどこかで倒れているだとか、誰かに捕まっているだとかではなく、最後にはちゃんと自室に戻っている。

 どことも知れぬ場所で意識を失うことがどれほど危険かは理解していても、その暖かな微睡みに身を寄せてしまうのだ。

 意識を手放している間は、夢うつつである間は、何かとても力強いものに包まれているような感覚がして、暖かな気持ちのまま暗闇を揺蕩える。

 敵しかいない王城で、夢の中だけが彼にとっての安息の地だった。


 メルドオールは夢を見る。

 誰かに抱かれて眠っている夢だ。それは彼に無かった……もう無くしてしまった温もり。

 その誰が誰なのかはわからないけれど、誰よりも近くにいて……でも、誰よりも冷たい心を抱えている。これほどの温もりをくれるのに、その誰かの心は冷たいままだ。

 まるで人を人だと思っていないような、思えないような──悲しい心。


 これが誰なのか、彼は知りたかった。

 


 *



 という具合に色々してみたわけである。

 王子がぶっ倒れそうになれば私が憑依して支えて、悪意に晒されたらその悪意を向けてきた奴を……まぁ、えーと、酷く抽象的に言うと、悪意とか持てない感じ……にして。

 

 さらにはそいつらの記憶を辿って、ガリユス王子というものも理解した。

 生憎と接触はできなかったけど、メルドオールを殺そうとしているのは彼で間違いないだろうことまでは掴めた。メルドオールが信じている、本当なら兄弟は仲良くできて、周囲が勝手に担ぎ上げているだけ──なんて幻想は存在せず、弟のガリユスその人があの手この手で兄を殺そうとしているのだ。

 配下の者に命じて、その配下の者が後ろめたい心のある兵士や平民を強請って凶行に走らせている。

 甘い言葉だ。第二王子が王位を継承すれば、同じくらいの甘い蜜を吸わせてやる、と。罪を帳消しにし、あるいは巨額の富を与え──貴族のように扱ってやる、と。

 

 平民は首を縦に振る。

 疑うことは知っていても、逆らうことを知らない貧民はさらに扱いやすい。

 

 横柄で横暴で、平民のことなど何も考えていない第一王子より、お前たちにこうも目を向けている第二王子の方が──これからの暮らしをよくしてやれるぞ、なんて。

 

「はぁ。まったく、嫌になる」


 溜め息も出よう。

 メルドオール王子の状況は想像以上に深刻で、国をうんぬんの前に命の危機が近い。 

 その上でガリユス王子が国を継いだ場合、私たち平民の暮らしはもっと酷いことになることも窺えた。彼は平民を道具にしか見ていない。

 放蕩王子は論外。時たましか帰ってこないし、遊び惚けているし。


 ──結論。

 どうにかして第一王子に王位を継がせて、それを周囲にも認めさせて、そのまま完全な傀儡にでもしてしまうのが一番良い。

 

「あらあら、あなたがそんなに執着するなんて珍しいことね」

「だって、お母さん。あのまま放っておいたらこの生活は変わらないよ。どころかもっと酷くなる」

「そう? それなら逃げてしまえばいいじゃない。あなたなら、それができるでしょう」


 言われて、う、と詰まる。

 それは……そうだ。私は魔女の中でも格別に強力な魔女。鮮度の魔女や密閉の魔女と違って、戦うことのできる魔女。

 この力をもってすれば、こんな国早急に出ていくことだって可能なはず。

 

 それをしないのは。


「いいのよ、シャイネ。あなたは難しいことを考えていない時の方が、幸運を呼び込めるのだから」

「……それって、私が馬鹿だ、って言ってる?

「どう思う?」


 お母さんは、にっこりと笑って。

 魔法の使えないはずのお母さんの目が──まるで、心を見透かす力を持っているかのように感じられた。

 

 それ以上の言葉をお母さんは吐かなかった。 

 ……難しいことを考えずに、かぁ。

 難しいことをいうなぁ。



 

 その次の日も、私は王子に憑依していた。

 こんなにもたくさんの時間一個人に憑りついたのは初めてだ。だから彼の今に至るまでの記憶や感情、その全てを閲覧できた。初恋はアンナだったらしい。悲しい話だね。


「少し、お待ちください、メルドオール殿下」

「……何用だ」


 いつも通り誰も近寄ってこない日々。けれど、その足取りは以前より確かだ。

 というのも、私が毎食を……鮮度の魔女から定期購入することにした食事を食べることができているおかげで、少しばかりの健康を取り戻した王子。とはいえあれら食事は別に鮮度が高いだけで何か滋養強壮の力があるとかではない。

 だから、栄養失調が軽くなっただけ、という感じ。それでも十分だったようだけど。


 そんな……前よりはしゃきっとした王子に声をかける存在があった。


 宮廷魔法使い、アルケイン。

 王族仕えの魔女で、その力の有用さから宮廷魔法使いにまで召し上げられた、元魔女友達。

 メガネをかけた……うーん、私はちょっと苦手なタイプ。キツい感じっていうか。


「……」

「何用か、と問うている」

「……やはり。ここ数日、頭を強く打ったわけでもないのに意識を失う、ということはありませんでしたか?」

「なに?」


 アルケイン。

 彼女は、分析の魔女。その魔法は名の通り、分析。物の状態を推し量る力に長けた魔女だ。


「冷静にお聞きください、メルドオール殿下。恐らくですが、今あなた様の身体には──何者か、つまり魔女が憑依している可能性があります」

「──……あり得」

「あり得ない、と言いたいのですね。ですが魔女というのは理不尽の塊のような存在。殿下の知らないところで殿下の身体を()り、悪さをする。そういうことができる存在もおります」

「……アルケイン。俺は冗談を好まない。それ以上くだらない話をするのなら、俺は行く」

「そうですか。では最後に一つだけ」


 踵を返し、早急にその場を去ろうとした私の視界に、ソレが移り込む。

 ──魔封じの指輪。有害な魔女を捕らえ、拷問や処刑をする際に使うもの。


「これを一度指に嵌めてはもらえま、」


 言葉は最後まで紡がれなかった。

 というか聞かなかった。


 私が切断したからだ。


 そしてズシン、と頭に重みが圧し掛かる。


「どぁーっはぁ……重い」

「いつものことじゃん。文句言わないで」


 炎天下。砂埃の舞う貧民街。

 いつも通り、毎日のように頭に水桶を乗せて歩く──歩いていた私に戻ってきた。

 当然というか、なんというか。

 憑依中に私の身体が無防備になってしまう、なんてことがあれば、私はこの魔法を強力な魔法、だなんて呼ばない。

 私は私で、憑依中の私は私で、小鳥に憑依した私は私で。

 それぞれが私として取り憑けるからこその傀儡の魔女だ。


 ……だからこの重さも、別に、運び始めてからずっと感じていた重さではあるのだけど。

 

「ね、この生活、変えられるとしたら、嬉しい?」

「言っても仕方のないことを言わないで。余計につらくなる」

「クールだねぇ、相変わらず」

「諦めているだけ。どうせ、どうにもならない」


 やっぱり、そうなのかな。

 たとえば王城。あそこに住まう全員を操り人形にしたとして、王子も傀儡にして王位に就かせて……それえも何も変わらないのかな。

 無理矢理に私たちの生活を良くしても、新しい私たちが生まれるだけかな。

 

 無理矢理あの王子様を王にしても──慕ってくれる人は、意識の薄い人形だけになるのかな。

 あるいはまた、彼の暗殺を狙うような家臣ばかりに?


「最近、派手にやっているみたいだけど」

「え? あ、うん」

「余計なことしないで。私たちにまで迷惑がかかる」


 ──……。

 まぁ、そうなのだろう。

 生活を変える、なんて一概に言えることじゃない。有害の魔女の起こす事件は、魔女以外の人々からの反感を買う。魔女などすべて狩りつくしてしまえばいいと──実際にそういう事件が他国であった。

 その他国から逃げ、この国に住み着いた魔女も少なくはない。


「ま。私たちには、こーやって重い水桶を運び続ける毎日がお似合いかぁ」

「続くのなら、そのままであることが一番良い」

「つらくても平和だよね、それが」


 それが、平和か。

 たとえ第一王子が暗殺され、第二王子が王位を継いでも……平民には関係の無いことか。

 中でも貧民である私たちはただ、苦境を彷徨うだけの運命。苦境を強いてくる相手が変わって、苦境の環境が少しばかり変わるというだけの話。


 ──よし。

 

「やーめた。やめやめ。危険を冒してまで救うほど──情なんて、ないし」

「……それがいい」

 

 アルケイン。

 元魔女友達だけど、その魔法は確かに私の天敵だ。分析に攻撃性がなくとも、憑依した人形を見つけて魔封じの指輪を嵌められるだけで、私は簡単に弾き飛ばされてしまう。

 そうなったときの苦痛は想像だにしない。あるいは傀儡に閉じ込められてしまう可能性も考えれば、やる気など薬にしたくもない。


「ただ」

「うん?」


 密閉の魔女は、少しだけ……嫌そうな顔をして、言う。


「始めたことは、終わらせて。中途半端な結果でもいいから、終わりを告げて。それが私たちだから」

「そだね。わかってるわかってる。隙を見つけて、終わらせては来るよ。もう守ってあげられないって伝えるくらいの時間はあるだろうし──なにより、ちょっとくらいは元気になっただろうから」

「……どうでもいい」

「それは誰に対して?」

「……」


 やっぱり、返事は無かった。



 *



 その日の夜のことである。

 私は再度彼へ憑依をすることにした。自室で眠る彼に憑りつく。


 ──瞬間、私の意識はどこか真っ暗な場所に飛ばされた。

 すわ魔封じの指輪の効果かと身構えたけれど、苦痛のようなものはない。というか魔封じの指輪をつけていたのなら、まず憑りつけなかっただろう。


 ならば、ここは。


「お前は……誰だ」

「え?」

「……お前か。俺の身体で、何かをしていたのは」


 背後から声がした。

 背後にいた。振り返る。


 彼。久しぶりに顔を見た。いつもは彼の視点から世界を見ているから。


「メルドオール殿下」

「お前が誰かと、聞いている。俺の名などどうでもいいことを聞いた覚えはない」


 ここはどこだろうか。 

 彼の意識の中? いや、夢の中?

 にしては、何もない。夢はもう少し混沌としていて、煌びやかで華やかで、理路整然の正反対にあるものだ。

 こんな真っ暗で何もない──何もない、という調律のとれた空間じゃない。


「問うている。お前は誰だ」

「……私は魔女。傀儡(かいらい)の魔女シャイネ。ご想像の通り、あなたの身体に憑りつき、好き勝手やっていた悪い悪い魔女」


 他の操り人形を使って状況を探る。 

 夢中にある王子がどうしてこんな精神状態にあるのか。睡眠薬なんかで無理矢理眠らされてもこうはならない。あるいは死に際の命でさえ、もっと鮮烈で苛烈な景色が渦巻いている。

 

 これは、こんなのは。


「お前が──傀儡の魔女か」

「私の事を知っているの?」

「知っている。聞かされた。俺の身体を意のままに操り、数々の悪行を為した有害の魔女。……本当にお前が傀儡の魔女ならば、こんなところにはいない方がいい」

「どうして?」

「兵が出たはずだ。貧民街に住まう傀儡の魔女を捕らえんとな。あらゆる魔女を検挙し、分析にかけると……アルケインが言っていた」


 掴めた。

 操り人形の一人が、此度行われた暴挙を──ガリユス王子の息のかかった複数の宮廷魔法使い達が協力し、メルドオール王子を昏睡状態に陥らせた、と。

 攻撃性のある魔女は有害だ。だが、そうでない魔女らが協力し合い、彼を緩やかな死に向けることは不可能ではない。


 ──そして、あわよくば。

 彼に執心な傀儡の魔女を釣り出せるかもしれない、と。


「っ!」

「逃げた方が良いぞ、傀儡の魔女。シャイネ、だったか。俺にかかりきってお前の生を無駄にすることはない」

「……メルドオール殿下は、ご自身の状況についてはどれくらい把握しておいでですか?」

「全て知っているさ。有用の魔女までもが抱き込まれたことも、俺を餌に、俺を助けようとしていたお前を釣り出そうしていることも」

「助けようとしていた?」

「違うのか? まぁ、事の真偽などどうでもいい。お前のそのつもりがあろうとなかろうと、俺に悪意を持つ者たちの目にはそう映っていたらしいぞ。──そして、俺にも、な」


 いや、私はこの国を自由に操りたくて。

 ……そんなことのために、危険を冒して?


「行け、傀儡の魔女。お前にどんな意図があったのか、俺にはもうわからない。だが──俺のせいでお前が害されるというのは、気に食わない。命令だ、シャイネ。第一王子メルドオールの言葉が聞けないか」

「けど、私が離れたら……あなたは」

「元より別れを告げるために来たのだろう? ふふ、それくらいはわかるぞ。俺も伊達に十何年と他者の機微を窺い続けてはいない。今では特技だ」


 ブラックジョークにも程があるけれど。

 そう、だね。

 元から「もう守ってあげられないよ」と告げるために来たんだ。

 

 長居する必要はない。


「わかった。……さようなら、メルドオール殿下。言ってもどうにもならないことだけど、あなたに幸多からんことを」

「ああ、十分だ。そう言ってくれる者が一人でもいるのだと思えることが、何よりも嬉しい」


 切断する。

 急速に離れていく暗闇と──もう、逃走を始めていた私。

 

 お母さんは何も言わなかった。

 ただ笑って、見送ってくれて。


 密閉の魔女や鮮度の魔女、他の魔女友達にも何も告げなかった。告げずともどうせ知れ渡っている。魔女の根とは有益と有害に関係なく伝わりやすいものだから。


 ──"言っても変わらないことは、やっぱり言わない方が良いね"。


 少なくとも、そうではない人が一人、あの場所にいた。

 その事実が……どこか、何故か。

 いつまでもいつまでも、胸を締め付けて止まなかった。




 そこからは逃亡生活だ。

 他の魔女は今までより徹底的にそうではないものへ偽装し、分析の魔女が来たのなら一目散に逃げる。私といえば適当な空き家に隠れ潜み、時には憑依して人間関係を偽装して、時には動物に憑依して事件を起こして。

 ──その間も、時たま小鳥なんかに憑いて王子の様子を確認して。

 その命が、刻一刻とすり減っていることも……観測した。


 彼が未だ殺されていないのは、ひとえに私の存在のためだと思う。

 王城でまだ生き残っている操り人形によれば、アルケイン含む有用の魔女は私を、傀儡の魔女を酷く恐れているのだとか。まぁ、当然ではある。私の憑依はアルケインの分析でも「恐らくそうである可能性がある」程度にしかわからないのだ。

 唯一の判別手段が魔封じの指輪を嵌めさせることで、その指輪も量産できるものではない。

 もしかしたら、ある日。

 信頼を置いていた部下や同僚が傀儡となっている可能性がある。そんなことを考えたら、私を捕らえたくなる気持ちもわかろうというものだ。

 

 もしかしたらアルケインは、昔からそうだったのかもしれない。

 きっかけが無かったからできなかったけれど、一刻も早く傀儡の魔女を捕らえ、殺してしまいたかったのかもしれない。

 なんて。

 そればかりは憶測だけれど。


 ……私は、余計なことをしたのだろうか。

 もし、密閉の魔女のいうとおり、いつも通りの日常を送っていたら、少なくともこんなことにはならなかった。アルケインの目に留まることもなく、黙認され、放置され、そのまま過ごせていた。

 他の魔女も肩身が狭くなっただろう。私だってこんな逃亡生活は嫌だ。

 今までの暮らしを思えば──よりつらくなった、と。そう表現する他ない。


 そして、あの王子へも。

 彼の状況は深刻だった。最悪だった。

 希望の無いあの状況で、他者を嫌い、他者を拒んで──その果てに死ぬ。

 それは一見して酷い状況だけれど、少なくとも裏切りは無かったのだろう。だから、つまり、「もしかしたら」という希望の裏切りは。


 そうでなくとも、彼の死期を早めたのは私かもしれない。

 王子の暗殺だ。もう少しくらい緩やかに計画を進めるつもりだった可能性はある。毒もすぐに死に至るものではなく、たとえばそう、現王のように病に臥せるくらいのもので。

 魔女によって意識を閉ざされ、その命消えゆくまで真っ暗で何もない夢の中で過ごす、なんて苦境を押し付けられる──そんなことにはならなかったんじゃないだろうか。


 いつか。

 私がどうあっても捕まらないと知ったら、不要なものとして王子は殺されるだろう。

 意識の無い人間を殺すくらい簡単な話だから。


 後悔。

 後悔は……ある。


 ──"いいのよ、シャイネ。あなたは難しいことを考えていない時の方が、幸運を呼び込めるのだから"。


 ふと。

 ふと、頭の中に、あの時のお母さんの言葉が思い起こされた。

 確かに。確かにそうだ。

 

 今の今まで、私は難しいことを考えていた。 

 難しいことを画策して、難しいことを計画して、難しいことを──判断しようとしていた。


 だからか。

 だからこんなにも不幸だったのか。


「……じゃあさ」

 

 せめて始めたことを終わらせるために。

 何にも考えずに、やりたいことをやった方がいいよね。


 私は傀儡の魔女。

 万物に憑りつき、意のままに操る魔女である。



 *



 ──その日、城門を守る兵士はおかしなものを見た。

 ざ、ざ、ざ、と。

 足並みを揃えて、まるで軍隊かのように──規律を持って近づいてくる民を。

 民だ。己と同じ国民。中には知っている者もいたのだろう、その目を何度もこすって、それが現実であるかを確認する。


 王城に近づくにつれて、その人数は増える。

 先頭に立つ少女に追従して、多くが、多くが、あまりにも多くが王城を目指す。


 それが敵襲であると気付いたのは、憑りつき、取り込まれてしまった兵士ではなく、観測を魔法に持つ有用の魔女の一人だった。



 伝令が走る。

 敵襲、敵襲。──傀儡の魔女が来た。傀儡の魔女が兵を引き連れてきたぞ、と。

 当然その声はガリユス王子にも伝わったし、アルケインにも伝わった。


 そうして慄くのだ。 

 数に。規模に。

 普段目にする有用の魔女からは考えられない、その意思一つで国を傾けられるほどの力に。


「──傀儡の魔女」

「うん。久しぶりだね、分析の魔女。私の要求はわかっているよね」


 ガリユスを後ろに下がらせて、アルケインら有用の魔女が傀儡の魔女に対峙する。

 傀儡の魔女の引き連れる民は、兵とは言えないものたちばかりだ。日夜厳しい訓練を受けているそれらと違う有象無象。欠片程は兵士も引き込んだようだけれど、その程度。

 どうせ要らない貧民なら蹴散らしてしまえばいい──ガリユスはそう考える。

 

 そして、そうは考えないアルケインらを無視して、兵を動かした。

 

 強き兵を、猛き兵を。

 どれほど有用とて、アルケインらに地位は無い。宮廷魔法使いとして召し上げられど、彼の采配を止めるほどの発言権を持っていない。


 だから悲劇は起こる。

 当然の如く起こる。


 ガリユスが手塩をかけて引き込んだ、あるいは金を積んで雇った兵士。

 強き者、猛き者。何か技術に長けた者。


 それらすべてが傀儡となり、魔女の兵団に加わる様をガリユスは見る。

 抵抗なんて無い。ただ近づいて行って、そのまま隊列に加わった。それだけ。


「ガリユス殿下、いけません。あれなるは傀儡の魔女。人の身を超えた力を有す者。あれの力において操れぬ者はいません」

「そ……そんなものが、今までどこにいたというのだ! そんな危険なものが……俺に何を要求する!?」

「アレは平民として過ごしていました。初めからそうです。私たち魔女は、その誰もが平民の出ですから」

「そんなはずはない! それほどの力を持つ存在なら、もっと早くに脅威として台頭しているはずだ! 何故今まで隠れていられた! 何故今まで出てこなかった!?」


 力を持つ者ならば、その力を誇示し、それに見合った地位と栄誉を手に入れる。

 あれなる者に処刑など意味があるものか。あれほどの力を持つ者ならば、もっと早くに国を手に入れるような動きをしていてもおかしくはない。

 至極当然の考えだった。ガリユスは悪事謀略に長けれど、力に対する感性は一般的なもの。

 何故、何故と疑問が湧いて出でる彼に──けれど答えは与えられない。

 

 アルケイン達とてわからないのだ。

 あれほどの魔女が何故世界を手に入れんとしなかったのか。その力を持って生まれたくせに、なぜ貧民になど身を窶しているのか。

 

「お話をする気はないよ、アルケイン。私の要求はわかっているよね。なら、それを飲んで。飲まないのなら──」

「ま……待ちなさい。言葉は正確に。あなたの要求とは、なんですか?」

「わからない? そんなはずはないよね。だって、これは全て、私をおびき出すための罠なんだから」


 そのはずだった。

 ガリユスは認識が甘かっただけだけれど、アルケインはしっかり認識しているはずだった。知っているはずだった。

 傀儡の魔女の恐ろしさを。

 

 そう。そうだ。

 だから。


「──ならば、兵を退きなさい。この方の命がどうなっても良いのですか?」


 幾人かの有用の魔女が、それを見せる。立てる。

 それ。何であるか、なんて決まっている。


 磔にされた、意識の無いメルドオール。


「そ……そうだ! 兵を退け、大人しく投降しろ有害の魔女! そうか、お前はこいつに惚れていたんだな? 成程成程、そうかそうか。はっはっは、なんだ、化け物にも可愛らしいところがあるじゃないか──ホラ」


 ほら、と。

 ガリユスは、儀礼用の剣を抜き放ち、その切っ先をメルドオールに向ける。

 加減を知らないのか、扱いなれていないのか。

 剣先がメルドオールの肌を破り、一筋の血を流させた。


 ざわり、と。 

 何かが待機を伝播する。


「どうだ? これ以上されたくなくば、大人しく──ぇ?」


 ガリユスは言葉を最後まで紡げない。

 

 空を大きな影が覆ったからだ。

 四方の城門が破壊される音を聞いたからだ。

 地より、地の底より、かつて散っていった者達が浮かび上がったからだ。


「要求は、飲めないということで。わかったよ、アルケイン。わかりました、ガリユス殿下。──であれば私は、平和を愛する少女でも、今より少しばかりの豊かさを望む貧民でもなく」


 首の長い、翼の生えた蜥蜴。

 家屋一つをも飲み込めそうな巨狼。

 青白く半透明な、国をより良くせんと戦い散った兵士たち。


「お望みの通り──世界の脅威となりましょう。私は傀儡の魔女。万物を意のままに操る者」


 それでも、それでもと。

 ガリユスやアルケインは、メルドオールに手をかける。それ以上をするのなら、こちらもだ、と。


「ありとあらゆるモノを好きにできる魔女が、生きた人質に拘ると──まさか、本気で?」


 上空の竜が火炎を迸らせる。

 狼たちが遠吠えを上げる。

 死霊が呻き声をまき散らす。


 王族も魔女も平民も兵士も関係が無い。

 ただこの驚異の前に散りゆく命でしかないことに、今更、ようやく。


「それではさようなら、私の愛した──操れない日常(平和)


 傀儡の魔女が、手を振り下ろす。



「待て」


 寸前で。


 声が響いた。それがあり得ることではないと知っているから、有用の魔女らに動揺が走る。


「やめろ、傀儡の魔女。……いいや、シャイネ。微睡みの中、揺蕩う俺を守り続けた慈しみの魔女」


 意識の無いものを縛るための拘束だったからだろう、ぶちぶちと千切って、腰を抜かしているガリユスも有用の魔女たちも押しのけて──彼は立つ。

 地で、足を使って。


「安心しろ。大丈夫だ。見ろ──そこまでしなくとも、俺は自分の足で立てる」


 彼は。

 メルドオールは、暖かな声色で言う。


「あれらを退かせてはくれないか。俺はまだ、この国でやらねばならんことがある。この国を壊されるわけにはいかない」

「……というと?」

「わからんお前でもないだろう。だが、言葉にしなければ意味を為さないこともあるか」


 メルドオールは、自らの首から出た血を拭い去り、そして腰を抜かすガリユスに向き直る。

 つかつかと、しっかりとした足取りで彼の元までたどり着き、そして……その襟首を、ぐい、っと掴んで寄せた。


「ひ、ひっ!?」

「俺が、王になる。文句はないな? ガリユス」

「わ、わかった、わかったよ、俺はもう王位なんて求めない! だ、だから……」


 目配せ。メルドオールからシャイネへ。

 それを受けて、シャイネが魔物や死霊達を退かせる。この国を脅かす驚異の全てを退かせていく。


 そうして完全に危険が去って、メルドオールがガリユスを離して。

 尻餅をついたガリユスの口の端に、笑みが残っていることになど──当然、誰もが気づいていた。


 だから。


「なんだ、ガリユスまで支配下においてしまったのか? これでも俺の弟なんだがな」

「私が止めていなければ、メルドオール殿下は背中から一突きでしたよ。儀礼用の剣とはいえ、あなたの体の脆弱さを考えれば褒められることでしょう」


 パニックは起きない。

 酷く──静か。

 剣を抜かんとしていたガリユスも、止めようとしていたアルケインも、兵も魔女も。

 誰も何も言わない。まるで意思の無い人形のように、虚ろな表情でそこに佇むばかり。


「この場にいる全員、か」

「恐ろしくなった?」

「いいや。頼もしくなった」


 国全体が静かだった。

 今この国で意識のあるものは、メルドオールとシャイネだけ。そう錯覚するほどに。


「傀儡の魔女、シャイネ」

「なに、メルドオール殿下」

「改めて、礼を言う。俺を助けてくれてありがとう。お前がいなければ、俺はもっと早くに死んでいたことだろう」

「へぇ、礼なんだ。私はあなたの身体を使って数々の悪行をしたのに?」

「そんなことがお前にできるものか。別に、お前のその魔法をもってすれば……強制的にガリユスやアルケインの意識を奪うことだってできたはずだ。そうしなかったのはお前に対話の意思があり、"操りたくない"という渇望があるから、だろう? そんな奴が他者の身体を使って悪行を、など。冗談も休み休み言え」


 その……過大評価に。

 シャイネは目を逸らす。いや割と、他人を使って色々しているけどな、なんて。

 おくびにも出さないけれど。


「……丁度いいか」

「何が?」

「誰も聞いていないからな。何せ、大勢に聞かれるのは小恥ずかしいものだ」


 メルドオールは、シャイネへと向き直る。

 一国の、誰にも期待されていなかった、障害としか思われていなかった王子が、万物を操る傀儡の魔女に向き直る。

 そして口を開き、言葉を紡ぐ。



「俺は決してお前の思い通りにはならない。俺は決してお前を失望させるようなことはしない。お前があんまりにも乱暴な方法で俺をこの闇から救い出してくれたのだと悟った時、思ったのだ。俺だけはお前の傀儡にならず、お前と対等であるものになりたい、と」


 長い言葉だった。

 何を言われているのかがよくわかっていないシャイネは、目をぱちくりとさせて、けれど口を挟むことなく言葉を待つ。


「だって、そうでなければ……あれほどの温もりをくれたお前が、俺を安堵に導いてくれたお前が、その冷たい心が休まる場所が、一つもなくなってしまう」


 彼は彼女の目をしっかりと見て。

 その目に住まう、心に住まう孤独をちゃんと見つめて。


「頼りないことは自覚している。それでも、シャイネ。俺がお前と対等であることで──お前自身がお前でありたいと思えるような、そんな日常を与えられると信じている」


 光が差す。 

 それは朝の光。気付けばこんなにも時が経っていた。


 でも、まだ。

 メルドオールの言葉は終わっていない。


「救われたから好きになった、などと……軽く思われるかもしれないが、苦痛の渦中にいた俺にとって、お前の与えてくれた温もりは何よりも眩しいものだった。だから、あの時言えなかったことを言いたい」


 好き、という単語で。

 ようやくシャイネは──自分が今、そういうものを告げられていることに気付いた。

 戸惑いは隠せないけれど、言われた言葉の全ては覚えている。


「ありがとう、俺を救ってくれて。俺を導いてくれて。俺を守ってくれてありがとう。俺はあなた(・・・)の愛情を心より嬉しく思う。──そして俺も、あなたを愛している」


 愛情とか、好きとか。

 そんなつもりはなかった話に、言い訳染みた言葉を挟もうとして、気付く。

 違う。

 

 思い起こされるのは、やっぱりあの母の言葉。

 なんでも見透かしたような、魔女ではない母親の言葉。


 ──"あらあら、あなたがそんなに執着するなんて珍しいことね"。


 そうだ。

 だから、多分。

 

 自覚していなかっただけ。


「シャイネ。どうか……俺の隣で、一生を添い遂げてはくれないだろうか」


 言葉は自然と出た。


「隣? 対等がお好みなんでしょう? 隣じゃなくて正面からあなたのそばにいる……それじゃ、ダメ?」

「ほう? それはつまり、こうしてほしい、という誘いだな?」


 苦し紛れの揚げ足取り。

 赤面する顔を抑えるための冷静気取り。


 それは完全なる墓穴。


 こうしてほしい、と言い終わる前に、メルドオールはシャイネを抱きしめて。


「愛している」


 混乱の最中にあったシャイネも、そこまでされたのなら、ようやく受け止められる。

 だから、静かに、ゆっくりと目を瞑る。


 落とされたものは、優しい優しい口付け──。




 傀儡の魔女。背後より他者を操る憑依の魔女は、今、初めて。

 正面から抱き合って、正面から想いを伝えあったのだった。




 *




 ことの顛末。


 大立ち回りも大立ち回りをした私は、晴れてメルドオールと婚姻を結んだ。

 王家も恐ろしい力を持つ魔女が味方に周るのは益であると──表面上は──快く受け入れ、私の魔法は第一王子を守る厚い暑い壁となった。

 

 病こそ治ったものの、状況を鑑みてか王位を退いた元国王様と、それを継いだメルドオール。

 ひと悶着さえもない引き継ぎの儀は、多分、私への恐怖心によるもの。

 ま、そのための壁ですからね。


 その後、メルドオールは長らく放置されていた貧民街の開発に着手。伴い、魔女の待遇も改善し、有害と有用の垣根を無くした新たな制度を作った。

 その制度のもと、魔女たちの働き口として新たに設けられた貧民街の開発部門に、あの密閉の魔女や鮮度の魔女達も加わっている。あの日以来言葉は交わしていないけれど、まぁ、魔女なんてそんなものだ。


 アルケインら宮廷魔法使い、ガリユス第二王子とその配下たちには重い重い罰が──下らなかった。

 

 流し目での「お前がいれば必要ないだろう?」という意思と、何より彼ら彼女ら自身が悪意の一切を失っていたことから私も興味を無くして。

 それ以外はまぁ、元通り。

 国王様が新しくなったこと、とても強大な魔女を妻としたことこそ広がれど、それが私であるというところまでは繋がらない。元から私そこまで有名じゃないしね。


 だけど、というかだからまぁ、お母さんとの関係も変わってはいない。

 日に日に豊かになっていくあの街で、けれど贅を尽くすでもなく、お母さんはひっそりと暮らしている。

 寂しくなったらたまに帰ってきていいのよ、とそれだけ言って……ううん、もう一つ。

 

「"これからは思い通りにならない人にうんと振り回されなさい"……かぁ」

「なんだ、珍しく物憂げな表情で」

「珍しくとは失礼な」


 貧困ではない。むしろ豊かになりすぎている生活で考えることは、みんなどうしているかなぁ、とかそんなことばかり。

 でも私が行ったらまた迷惑かけるかなぁ、とか、魔女の中には私を怖がってる子もいるよなぁ、とか。色々、余計なことを考えて……妃としての生活に溺れている。


「ふむ。シャイネ、一つ忠告をやろう。お前にぴったりな言葉だ」

「……馬鹿にしてくる気配を感じる」

「馬鹿の考え……おっと、ううん、そう、そうだな。ん゛ん゛っ……お前は難しいことは考えず、思うがままに動いた方が良いぞ。その方が絶対に幸せになる」

「今何か言おうとしたよねぇ!」


 王位に就いたメルドオールは超有能だった。あれだけ妨害されて、あれだけ邪魔をされて、マトモな生活もマトモな教育も受けていないんじゃないか、結局私が全部操る結果に終わるんじゃないか、とかちょこっとだけ思っていたのだけど、いやいや、びつくらぎゃうてん。

 政務も政策も弁舌も、そして人望も。

 

 ああ、なるほど。

 だから暗殺で蹴落としたかったんだ、なんて。ガリユスの嫉妬心がわかるくらいの、有能。子供の頃からこうだった、とは料理長談。そりゃ脅威にも思うわ。


「今のでわからなかったか?」

「え、なにが」

「……。まぁいい。とっとと行ってこい、と言っているんだ。そう毎日溜め息を吐かれては、俺も仕事が身にならん。何より愛しているお前にそんな顔をされると、俺がつらい」

「不幸になる?」

「ああ。お前が難しく考えているせいで、な」

「そっかぁ」


 余程。

 よっぽど、私は難しいことを考えない方が良いらしい。

 幸運をたくさんたくさん呼び込むためには──何にも考えずに動くべきだ、と。世界から言われているのだろう。


「わかった。それじゃ、行ってくるけど……誰かに襲われたりしたら」

「なんだ、シャイネ。もう一度あの告白を俺に言わせたいのか? もう一度いうのは、それなりに恥ずかしいぞ」

「あ、い、いや、色々自覚した上で言われるのは私の方が恥ずかしいから……」

「そうか。では言おう。──シャイネ。微睡みの中、揺蕩いの中で俺を守り続けた……」

「行ってきます!」


 飛び出す。

 ひーひー、あの王子様、自分が恥ずかしいことでも私を恥ずかしがらせるためなら喜んで身を切るから……ホント。

 でも、まぁ、気を遣ってくれたんだろうなとは思うし。

 

 振り返って……優しい顔で手を振り、私を見送ってくれている彼に。


「言っておくけど、私だってあなたが無理してたらつらいんだから……仕事はほどほどにね!」


 そんなこと言ったって仕事はなくならないから、変わらないだろうけれど。

 彼は、言ってくれた方が嬉しいらしいので。


 改めて。


「行ってきます」

「ああ、いってらっしゃい」


 優しい声が、私の背を押してくれた。

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