第5章 第4話 変身失敗
「ひさし……ぶりだね……」
穴だらけの時刻表が置かれたバスの停留所。座っただけで軋み破片が落ちる木のベンチに三人で腰かける。
「いつ以来だろうね……。高校卒業ぶりだから……9年ぶりくらいかな……?」
「そうだな」
俺にとっては1週間ぶりだし大人になった姿も見慣れているから何の感慨もないが、咲はそうでもないようだ。まぁ間に忍が入り込んでるから顔は見えないけど。
「なんでこんな田舎にいんの? 大樹と同棲してたっけ?」
「ううん……。大樹くんとは高校の時に自然消滅してるから……」
「あぁそう」
「でも今日は大樹くんに会いに来て……それで……」
「大変だな。実家の会社倒産して」
「…………」
つい数週間前だろうか。咲の父さんが経営していた不動産会社が倒産した。俺が元いた世界では起きなかった出来事。その理由は10年前から明らかだった。
「あの時浮気してなきゃよかったのにな」
俺が過去に大樹を庇った事件。その余波で大樹が咲を寝取ったという話が世間に広まり、地元に根付いた不動産会社だった咲の実家が傾いた。一旦は踏みとどまったが、一度広まった悪評が消えることはない。そこからズルズル経営が悪化し、10年後ついに倒産したってわけだ。
「まぁお前だけが悪いってわけじゃないから安心しろよ。10年もあったのに立て直せなかった親だって悪いんだ」
「……光輝くんは優しいね」
「適当なこと言ってるからな。本音を言えばお前が全部悪い」
「…………」
俺は既に過去を振り切っている。だからといって優しくする理由もない。誰がどう見ても倒産のきっかけを作ったのは咲だ。両親に落ち度はほとんどない。強いて言えば、こんな娘を育ててしまったことか。
「……でもこれって運命だと思うんだ」
忍が間に入ってくれて本当によかった。
「こんなところで光輝くんに会えるなんて偶然……ありえない。そう、だからこれは運命なんだよ! 私たち、やり直せると思わない?」
こんな言葉を吐く人間の顔なんて見たくなかったから。
「……お前、大樹に会いにきたんじゃなかったっけ?」
「そ、そう……ここにくれば光輝くんにも会えるんじゃないかって思って……」
「違うな。金がなくなって大樹に寄生しようとしたんだ」
「そんなこと……全然……」
「ちなみに言えば大樹はもうここら辺住んでないと思うぞ。興信所が探せなかったから」
「え……じゃあどこに……」
「知らないよ。どこでもいいだろ。俺も大樹も咲も、全員他人なんだから」
「た……他人だなんて……」
バスがやってきた。これに乗れば10分ほどで駅につくらしい。
「じゃあ俺たち帰るから。またな……はおかしいか。もう二度と会わないんだから」
「ま……待って! 私も一緒にバス乗る!」
「そっか。でも金ないなら無駄遣いしない方がいいぞ。30分もあれば歩きで駅つくんだから」
「バ……バス代くらい……」
咲が何か言っているのを無視してバスに乗り込む。咲は乗ってこなかった。どうやら本当に金がないようだ。
「これは煽りじゃないんだけどさ……金ないんだったら真面目に働いた方がいいよ。寄生する相手探すよりも」
「き……寄生なんかじゃ……」
「そう。何でもいいや。運転手さん、この人乗らないみたいなんでバス出してください」
「ま……まって……」
まだ何か言っていた咲だが、その言葉は扉によって無情にも引き裂かれる。声の届かない車内からわかるのは、必死に俺に縋ろうとしている咲の表情だけ。
「……変わってなかったな」
そう。咲の実家が傾き始めてから10年あった。10年もあったんだ。それだけの時間があったら人は嫌でも変わっていく。変わらなければ、時代に置いていかれるだけだから。
でも咲は変わっていなかった。10年前からずっと、俺に大樹に寄生できそうな相手に場当たり的に縋るだけ。そこに努力の意思はない。
「…………」
バスは何もない道を進んでいく。ただ目的地に向かって。俺は静かにその中から、遠く離れていく咲を見送った。