第4章 最終話 正直者
「おつかれさまです、光輝様」
「ああ……エージェント……」
記憶が戻ったのであろう。池の中からエージェントが声をかけてくる。
「斧ありがとな……助かった」
「いえ……。それより少し顔色が悪いようですが」
「ああ……少しつかれた」
「そうですね……何と言えばいいのかわかりませんが、おめでとうございます」
そう。俺は大樹に勝った。生まれて初めての勝利だ。ずっと望んで叶わなくて、それでも諦められなかった夢。それをようやく掴むことができた。でも……あいつは俺が勝ちたかった大樹ではない。
「エージェント、未来に帰してくれ。この先の未来じゃない。元の……俺が咲に振られた、あの夜に」
「……いいんですか。あの未来では光輝様は……」
「いいんだよ。結局俺は大樹に勝ててない。俺の敵は……あの未来にしか存在しないんだ」
こんな勝利じゃ満足できない。気持ちよくない。そうすることでしか生きられないのだ。五十嵐光輝という人間は。
「いつまでも過去にこだわっても仕方ない。だから……」
「光輝くんっ」
完全に油断していた。転がっている大樹や咲を見て敵はいないと安心していた。俺自身が裏切りをしていたことも忘れて。
「……忍」
見られてしまった。池の中から身体を出している女神と話している姿を。この時間の彼女に。
「ちが……こいつは……泳ぐのが大好きで……」
「……光ちゃんから聞いたよ。エージェントさん、って人……ううん、女神型ロボ……なんだよね……?」
「なんで……」
なんでなんて、聞く必要もない。自分もタイムリープをしているんだ。光が自分から明かすことはないだろう。つまりこれは……。
「……エージェント。お前が光に言わせたな」
「……私は別に光輝様の言いつけを聞く都合のいい存在ではありません。どうしようもない言い訳好きのあなたの……友人ですから。友人の幸せを願うのは当然でしょう?」
それは確かに……当然のことだ。でもこれが……。
「今の光輝くんは……10年後の未来から来てるんだよね……?」
俺の幸せに繋がっているとは、到底思えない。
「……ごめん。今まで騙してた。忍が好きになったのは未来の俺で……本当の俺じゃない。そして俺はもう未来に帰る。だから……ごめん。別れよう」
こうなっては仕方がなかった。何も言い訳できない。ひどい裏切りをしていた。同じ時間を歩めないのに……一緒に生きようとは思っていないのに、付き合おうなんて言ってしまった。まるで大樹のように、軽々しく。
「俺のことは気にしないでくれ。俺は一人でも……」
「……それは光輝くんの都合だよね」
忍の顔が見れない。ただ怒りの滲んだ声だけが俺の心に突き刺さる。だがその怒りは。
「光輝くんだからいいの……。光輝くんと、付き合いたいの……!」
俺の裏切りには向けられていなかった。
「たった10年違うだけでしょ……? 光輝くんは光輝くんなんでしょ……? だったら何の問題もない……その程度の覚悟で! 光輝くんと付き合ったわけじゃない!」
その目を見ることができない俺の身体に無理矢理抱きつく忍。こうなると直視せざるを得ない。涙で揺らぎながらも、俺を見ることをやめない忍の顔を。
「光輝くんが私を見てないことなんかわかってた……それでも付き合いたいと思ったの。いつか好きだって言ってほしいから付き合おうと思ったの。たったの10年で、そんな想いは冷めない。どんな光輝くんでも好きでいられるから私は……!」
「……エージェント。逃げてもいいか」
これだけ強い想いを浴びながらも、忍の顔から目を逸らしてしまう。
「やっぱり俺は……忍と生きたい……!」
この気持ちを隠していられるほど、大人じゃなかったから。
「大樹なんてどうでもいい……咲なんてどうでもいい……。忍といられる未来にいたい……。でも、俺は……」
「それを決めるのは私ではありません。自分が生きたい未来を自分で決める。それが人生でしょう?」
この27年間。俺は大樹しか見てこなかった。それでもこの先も続く長い人生は、忍のことを見ていたいと思ってしまった。それは逃げなのだろうか。現実逃避なのだろうか。わからない。わからないけれど。
「一つだけ確かなのは、この今は。あなたがやり直して勝ち取った人生です。未来に戻り、この先どう進むか。何もかもが自由です。そしてどんな未来でも、誰と付き合おうとも、誰と結婚しようとも。私はあなたと一緒にいますよ」
……そうか。そうだな。
「エージェント……ごめん、言い訳に使わせてくれ」
「あなたは正直者ですね。そんなあなたには、友人からの祝福がありますよ」
そして俺は未来へと帰り。
「……ただいま。好きだよ、忍」
「うん。知ってるよ」
新たな未来を歩き始めるのだった。
本来の最終回がこのエピソードの予定でした。ですが光輝くんと付き合ってきて、きっとこれでは満足できないだろうと思いました。やはりきちんと決着はつけさせてあげたいです。なので最終章となる次章では、大樹くんや咲ちゃん。そして両親と決着をつけさせます。もしよろしければもう少々お付き合いください。




