第4章 第11話 望み
〇過去
「わざわざ呼び出して何の用だよ……咲」
翠が家に来てから1週間ほどが経ったある日の昼休み。俺は咲に呼び出され、学校の中庭にある池の前に来ていた。
「やだなー、私と光輝くんの仲じゃない。そんなに変なことでもないでしょ?」
そう語る咲の表情は笑顔としか表現できない。どういうつもりなんだ。
「お前は俺の弟と浮気しただろ。そんな奴となんて同じ空気も吸いたくない」
「ずっと言ってるよね? 私が一番好きなのは光輝くんなの。だからさ、もう一度付き合おうよ」
「俺の彼女は忍だ。お前と違って浮気なんかできないよ。何より、お前のことが嫌いだからな」
「勘違いしてるんだよ。私のことも忍さんのことも。忍さんと付き合ったら後悔するよ? おうち貧乏だし、性格悪そうだし。絶対私の方が良いと思うなぁ」
「別に金のあるなしで付き合うわけじゃないだろ。好きだから付き合うんだ」
「わかってないなぁ。お金は大事だよ? まだまだ子ども過ぎるよ。そういうところも好きだけど」
……本当に会話にならない。大前提として咲のことが嫌いだって言ってんのに。さて、どうしたもんかな……。
「よぉ、兄貴」
「……大樹」
どう咲をあしらおうか考えていると、どこから学校に入ってきたのか。相変わらずド派手な髪型をした大樹が近づいてきた。まぁこの学校の制服さえ着てればどうとでもなるか。
「大樹くんっ」
そして大樹の姿を視界に入れた瞬間咲が俺の前から消え、大樹の腕に抱きついた。……ほんとこいつは。
「聞いて大樹くん! 光輝くんが私と付き合おうって……。でも私は大樹くん一筋だから……」
「おいおい兄貴勘弁しろよ。こいつは俺の女だぜ? 未練がましく縋ってんじゃねぇよ」
「あーそう何でもいいよ」
もうここまで来ると訂正する気力もない。好き勝手にしてくれ。
「ねぇ大樹くん、このままじゃ終わらないよね? 成功してくれるよね? 私のこと幸せにしてくれるよね?」
「当たり前だろ。俺は退学したが、それで終わったわけじゃない。金を稼ぐ方法なんざいくらでも知ってる。俺についてくりゃお前も人生安泰だ」
「きゃー! 大樹くんかっこいい! 一生ついていく!」
……これ、俺帰ってもいいよな。これ以上こいつらの話聞きたくないんだが。
「待てよ、兄貴」
「いやもういいだろ……勝手に成功してろ。お前が金持ちになろうが社長になろうがどうでもいいよ。俺はただ努力を重ねて、いつかお前に一勝すればいいだけだ」
「いいのか? そんなこと言って。お前の未来の嫁さん、柴山忍。どこ行ったんだろうなぁ?」
「……お前……!」
「お前が悠長に動画撮って勉強して運動している間。俺が何もしてないと思ってんのか? 人を集める方法だっていくらでも知ってんだよ。いつか勝てばいい? 負け犬かよ。俺は常に、お前に勝つ!」
「……もしもし光? 悪いけど今は……」
大樹のマウントを聞いていても仕方ない。忍を捜しに行こうとしたタイミングで、光から電話がかかってきた。大樹を無視したまま電話に出ると、
「誘拐された忍先輩は救出しときましたよ」
まるでこうなることを知っていたかのように、全ては解決していた。
「光……なんで……!」
「言ったでしょ? 守ってあげるって。先輩は余計なことは気にせずにやりたいことをやってください」
「いやだからなんで光が助けられるんだって……」
「女神様が教えてくれたんですよ」
「はぁ……!?」
「それとファンのみんなの力添えのおかげですね。どれだけずるいことをしようが、人の想いには勝てません。インフルエンサーを舐めないでくださいね」
「え? 病気なの? 大丈夫?」
「あーそっか……何でもないです。じゃあそっちはそっちでがんばってください」
何かよくわからないことを言うだけ言って電話を切りやがった……本当に何だったんだ。まぁいいや。
「残念だったな大樹。忍は無事らしいぞ」
「はぁ!? どういうことだよ!」
「俺だって訊きたいよ。まぁ光はすごい奴だからな。お前なんかじゃ勝てないって話だ」
「あの未来女か……! じゃあ仕方ねぇな。お前がやったわけじゃねぇんだ……お前が勝ったわけじゃねぇ!」
「そりゃそうだけど……」
「覚えてろよ! 次こそ完全にぶちのめしてやるからな!」
光と同じく散々好き勝手にしゃべり、腕に絡みつく咲を振り払って大樹はどこかに行こうとする。……確かに大樹の言う通りかもな。
「待てよ」
「あぁ!?」
「お前の言う通り、いつか勝つじゃ駄目だ。大切な彼女が狙われてるんだからな。勝つにしろ、負けるにしろ。お前はここで、ぶちのめさなきゃならない」
「……はっ。やる気かよ」
大樹がジャケットを脱ぎ捨て、腕をまくる。喧嘩か……やりたくないな。今まで勝ったことなんかないし、誰かに見られたら炎上するかもしれないし。一応毎日運動して鍛えてあるけど、喧嘩は想定してないしな……。
「ちょっ……大樹くん喧嘩はまずいよ! 暴力は評判が……」
「黙ってろゴミ女ぁっ!」
「ぐべっ!?」
大樹が振るった腕が咲の顔面に直撃し、大きく後ろに転がっていく。大樹の裏拳をモロに食らった咲は脚を大きく広げて痙攣しているが、やがてピクリとも動かなくなった。死んではないよな……気絶したくらいだと思う。何にせよ兄弟喧嘩とはいえ暴力なんて嫌だったが、話が変わった。
「女性に暴力振るってんじゃねぇよ……!」
こんな当たり前のことも知らない弟には。兄として、ちゃんと教えてやらないといけない。殴られることがどれだけ苦しいのかを。
「偉そうに説教してんじゃねぇよ! 負け犬がぁぁぁぁっ!」
大樹が腕を大きく振りかぶりながら走ってくる。走って……きている。でも……なんだろうな。
「こんなもの……だったんだ」
「がぁっ!?」
その拳が当たるより早く頬に拳を当てると、大樹の大柄な身体が簡単に地面に沈んだ。本当に……簡単に。
「ぐ……ぞがぁ……!」
立ち上がることもできない大樹が、うつ伏せのまま顔だけで俺を睨んでくる。歯が抜け、鼻からは血が出て、惨めなまま地に伏せている大樹が。
「こんなもんで勝った気になってんじゃねぇぞ……! 俺はまだ……!」
「いや別に……なんだろうな……」
ずっとこれを目指していた。大樹に勝つことだけを目標に努力してきた。でも実際に勝ってみると、何かが違う。全然、気持ちよくない。
「お前って、こんなもんだったんだ」
全然遠くなんかなかった。すごくなんかなかった。勝てないと思い続けてきただけで。勝ちたいと思い続けていただけで。ちゃんと正面から戦ってみたらこんなにも……。
「なんだよ……その目は……! 俺を見下してんのか……!? お前如きが……この俺を……!」
「まぁそうだな……。俺はとっくにお前に勝って……あぁ……このタイミングか……」
「舐めんじゃねぇぞ! 俺がお前より下なわけが……!」
「いや、下だよ。少なくとも50年も腐ってたお前よりは、コツコツと努力を重ねてきた俺の方が上だ」
「50年……!? お前……まさか……!」
「ああ、帰ってきた。10年後からな」
10年ぶりに見るこの景色は、俺が初めて見る景色だった。あの大樹が顔から血を垂らし、俺を見上げている。その姿を見て俺は……何も感じない。やっぱり一度未来に帰ってよかった。
「はは……俺に倒されに帰ってきたのかよ……!」
「ああ、帰ってきたのはお前のためだよ」
よろよろと立ち上がる大樹に教えてやる。俺と大樹の勝負のルールを。
「俺がエージェントの被験体になるための条件は三つだ。一つは身体を治すために俺に会いにきてくれた友人、エーの修理。二つ目は一時的なエージェントとエーの記憶の消去。最後はお前の身体に溶けたエーの能力の機能停止だ。つまりお前はもう武器を出したり俺を未来に返すことはできない。でも戦うなら公平じゃないとな。だからお前にも武器をやるよ」
池に折り紙で作った斧を二つ放ると二つの水飛沫が上がる。出現するのは金銀輝く斧を持った2人の女神。そして何も知らない池の女神たちはこう訊ねる。
「「あなたが落としたのは金の斧ですか? それとも銀の斧ですか?」」




