第4章 第9話 翠
〇過去
「み、翠……!?」
「よ、光輝」
家の鍵を開け、突如リビングに入ってきた人物。それは俺の親友、牛島翠だった。
「なんで俺の家に……!?」
「一人暮らしになってバイトも辞めるっていうからちょっと心配したけど……お邪魔だった?」
「いや別に……ていうか鍵はどうしたんだよ……」
「忍に借りた。あたしも一応女子なんだけどね。信頼されてんだか眼中にないんだか」
忍……忍か……。確かに忍が俺の家の鍵を女子に貸すなんてありえないが、相手が翠なら話は別だろう。絶対に間違いなく、どんな世界線でも男女の関係になるはずがないから。そういう関係なのだ。俺と翠は。
「つーか最近光輝とあんま話してないなって思って。まぁ別にいいけどさ。んなことであたしとあんたの関係性が変わるわけないしね」
「まぁお前とはな。何年も会わなくたってお前は俺の親友だよ」
「実際大人になったら会わなくなるだろうしね。今も別に毎日会いたいってわけじゃないし」
「だな。お前とはこんくらいの距離感が一番だわ。まぁとりあえず座れよ」
翠がコンビニの袋を乱雑に振りながら俺の隣に座る。その様子をじとぉっと眺めていた光がポツリと口を開いた。
「そういやなんでこの2人って親友なんでしたっけ」
ひとりごとのつもりだったが思ったより声が大きくなってしまったのか、その声は俺たちにも届いた。それに気づいた光は改めて訊ねる。
「いや……わたし後輩だから知らないんですけど、先輩たちなんかずっと仲良かったですよね? まぁあんまり一緒にいる印象はないんですけど……たまに会ったらよく話すし。ずいぶん長いこと一緒にいるけど聞いたことなかったなーって」
「お前と話すようになったの最近だろ」
光がキッチンに入るようになったのは最近だが、それまでも一応同じバイト先だったんだ。不思議に思っても仕方ないか。
「別にたいした理由もないけどな」
「そうそう。なんか気が合うってやつ? まぁ性格的には真逆だけどね」
本当にたいした理由があるわけでも、過ごした時間が濃密だと言うわけでもない。たまたま同じバイトに入って、同じ学校だったんだーってなって、それでもあえて話しに行くほどでもなくて、ただ会ったら普通に楽しくて。そんな普通の関係だ。
「悪かったな。感動的な過去話の一つもしてやれなくて」
「いえ……何だかんだそういう関係が一番いいんだと思いますよ。どうせ大人になったら滅多に会えなくなるんだし。たまに会った時に変わらない関係でいられるのが何だかんだ一番ですし……うらやましいです」
そう語りながらお茶を啜る光。そんなはずないのに酒を飲んでるんじゃないかと思うくらい、その姿には哀愁が満ちていた。
「まぁ何でもいいけどさ」
光とは対照的に、コンビニで買ったと思われるよくわからん味の炭酸を飲んでいた翠が言う。
「なんかちょっと前にあれ……なんだっけ? 光輝の弟。ここら辺で見たよ」
ちょっと前……ちょっと前っていつ頃だ……? まぁいいや。
「なんかいるらしいな。俺も今日バイト前に見かけた」
「ちゃんと対策立てないとですね……」
「対策? 対策ってなに?」
光は少し過剰だが、翠もさすがに俺のことに興味がなさすぎだろう。
「俺の目標は大樹に勝つことだから。無策で挑むなんてことはしないよ」
「は? あたしあんたがあれに負けてるなんて思ったことないんだけど」
なんてことはない普通な感じで言った翠のその言葉。それがたった3人のこの空間にしばらくの静寂を生んだ。
「……え? あたしなんか変なこと言った?」
「言ったな。自分で言うのもなんだけど、現状の俺が大樹に勝ってるところなんて一つもないよ」
「一つもないとは言いませんけど……客観的に見たら、スペック的には負けてますよね。庇った云々のことを置いておいたら」
確かに俺は大樹を庇って刺された。それが俺の勝利……みたいなことになっている節はある。でもそれは結果的にだ。顔やスペック、コミュ力……悔しいが、全てが大樹に劣っていると言わざるを得ない。
「正直現時点で大樹には勝てないよ。だからがんばって努力してるんだろ」
「それができてる時点であんたの勝ちでしょ。あいつって確か遊んでばっかだったよね? いつかの未来で絶対勝てんじゃん」
「だったらいいけどな。でもあいつはなんというか……神に愛されてる。俺がいくら努力しても、何でか知らないけど勝てないんだよ」
「だからそれは今の話でしょ。未来でどうなってるかなんてわからない。努力ができるあんたと、才能だけで生きてるあいつ。将来的にどっちが上かなんてわかんない。10年後ならあっちが勝ってても、30年後50年後。いつまでも弟が勝ってるなんて思ってる方が信じられないけど」
……翠の言っていることも、一理ある。確かにこの先の未来でどうなっているかなんて誰にもわからない。でも何となく……俺にはわかってしまうんだ。
「俺はたぶんこの先。どれだけ努力しても、大樹には勝てないよ」
それだけの積み重ねがあった。あいつが生まれてから16年間。そう諦めてしまうには充分すぎる時間だ。
「じゃああんたはなんで負けるとわかってんのに努力してんの?」
「それは……勝ちたいから」
「それが答えじゃん。才能とかスペックとか、そんなの人の一部分でしょ。そういう目に見える能力より、あたしはあんたの努力できるところとか、嫌いな奴も庇っちゃうところとか。そういう見えづらいとこの方が大事だと思うけど」
「…………」
「昔話でもよくあるでしょ? ずるっこい成功者に、愚直な正直者が勝つ展開。だからあたしは、あんたが弟に負けてるとは全く思ってない。まぁあたしだけかもしれないけど」
「……お前だけでも、うれしいよ」
そんなことを言われたのは初めてだ。本当に生まれて初めて。だから見て見ぬふりしていたのかもしれない。
「俺は……このままでいいのかな」
「いいでしょ無理に変わんなくても。あんたは余計なこと考えずに、今まで通りに弟に勝つためにがんばってればいいんだよ。そうすればいつかの未来で勝ってるよ、きっとね」
翠の発言はひどく無責任だ。曖昧で個人的で、理屈なんて昔話基準。きっと大人が聞いたら鼻で笑うだろう。それでも。
「お前がそう言うなら信じるよ。親友だからな」
俺の心を動かすのには充分すぎた。