第4章 第6話 大人 2
〇未来
「すいません、一番偉い人出してくれませんか?」
「五十嵐光輝!?」
受付のお姉さんにそうお願いすると、呼び捨てで大層驚かれてしまった。どうやら未来での俺の知名度はかなりのものらしい。娯楽からは正反対とも言えるほど遠く離れた一流ロボットメーカー、フェニックスの本社の受付嬢に知られているくらいには。
「あ、あの……アポは……」
「俺の名前を伝えてくれればわかるはずです」
「承知しました……それでそのバケツは……」
「気にしないでください。罰ゲームみたいなものなので」
受付の人にサインを書いたり写真を撮って時間を潰すこと約5分。
「お待たせしました。社長の不死鳥です」
底辺企業の営業職ではお目にかかれないような、物腰柔らかながら異常なまでに存在感のある老人がエレベーターから降りてきた。秘書の一人も連れていない。さっさと帰ってほしいか……あるいは、誰にも気づかれたくないかだな。
「はじめまして。五十嵐光輝です。突然来てしまってすみませんね。予定とか色々あったでしょう?」
「ええ……まぁ……」
「まぁ、んな予定より俺を優先するのは当たり前ですけど」
「…………」
いつもの俺ならめちゃくちゃに低姿勢で媚びへつらうところだが、今日はそうではない。今の俺は、初対面にも関わらず信じられないくらい横柄な客だ。どれだけ成功してもあんな人間になるものかといつも思っていたが、いざやってみるとなんだろう。非常に申し訳なくなる。ようするにこれも仕事だったのだろう。取引を有利に進めるための。
「どうぞこちらに。社長室でお話を聞きましょう」
「いえいえいいですよここで。生憎失うものは何もないし、失っても取り戻せるんで」
「……こちらへ」
「はいはい。いいですよそれで」
一度無駄にクッションを入れ、社長に連れられエレベーターに乗り込む。相手は俺とは比べものにならないくらい格上。自分では決して敵わない相手、というやつだ。まともに応対するつもりはない。なるべくイラつかせて平常心を奪わなくては。
「……そのバケツ、お持ちしましょうか」
「フィーーーーーーーーバーーーーーーーー!」
「エージェント、テストモード」
エレベーターに乗り込んだ瞬間社長が声をかけてきたので、俺は黙って折り紙で作った斧をバケツの中に放り込む。そう、相手は大樹ではない。絶対に勝てないんだ。余計なプライドに拘ることはしない。
「持ちますか? 結構重いですけど」
「光輝様、失礼ですよ! 女性に向かって重いなんて!」
「……いえ。失礼しました」
社長の額に冷や汗が滲む。そりゃそうだろう。言ってしまえばこのポンコツは兵器のスイッチ。そしてその威力は、宇宙クラスだ。
「……それで。お話というのは」
社長室に入り促されるよりも早くソファに座ると、社長が対面のソファに腰かける。当然俺が上座。向こうが下座だ。……本当に申し訳ないな。それでも。
「契約の詳細を伝えに来ました」
妥協するつもりはない。俺はこの場で全てを手に入れる。
「契約の詳細とは……」
「この世界ではどうなってるのかはわからないですけどね、俺はエージェントの被検体になる時に約束してるんですよ。エージェント、再生してくれ」
「はい。『協力するにあたって条件があります。ただしそれを今伝えることはしない。お偉いさんにそう伝えてください』。『……わかった』」
俺の足もとに置いたバケツから出現したエージェントの口から、一番初めに会った大人忍とのやり取りが流れる。これこそが俺が未来に戻った瞬間勝ちが決まったと確信した理由。過去ではエージェントがまだ作られていないからフェニックスとの契約は結べなかったが、この時代なら。受け入れざるを得ないだろう。
「……そんな記録は当社には残されてはいませんが」
「まぁ世界線が変わったんでそうでしょうね。忍も社員じゃないですし。でもね、こっちはそんな都合知ったこっちゃないんですよ。あんたんとこの製品が勝手なことをした。そのせいで記録が残ってない。それでこっちが納得すると思ってます?」
社長さんからしたら理不尽極まりないだろうな。別の世界線のせいで自分が不利益を被ってるんだから。まぁ知ったこっちゃないってのは事実だが。
「……調子に乗るなよ、若造」
「……すいません。よく聞こえなかったのでもう一度お願いできますか?」
ついに限界が来たか。社長の平静を奪えたことに達成感を覚えていると。
「スリープモードに移行します」
「……は?」
突然エージェントが目を閉じ、ピクリとも動かなくなった。
「その忍とかいう社員は言ってなかったかい? 女神とはいえ所詮はロボット。電源なんていつでも止められると」
「ああ……言ってましたね10年前に」
だからこそ人類を滅ぼしかねないエージェントを放置していた。いつでも止められるから。所詮は機械だから。
「でもこうも言っていましたよ。エージェントを完全にコントロールするのはフェニックスでも不可能、って」
エージェントはただの機械じゃない。自分の意志で生き方を決めた、確かな俺の友人だ。
「フィーーーーーーーーバーーーーーーーー!」
「エージェント、テストモード」
「あ、それいらないです。ていうか斧もいらないです。もうそんな機能、とっくに壊れてます」
「そうかよ」
エージェントが脚を沈めているバケツの中。そこにまた折り紙の斧を投げ入れると、元いたエージェントを跳ね除けて50年後……いや、40年後から来たエーが飛び出してきた。
「馬鹿な……なぜエージェントが二体いる……!?」
「八百万の神、と言うでしょう? エー、自分に害は加えられないだけで再起動することくらいはできるだろ?」
「はい、人間と同じです。自害はできませんが、身体を治す方法は知っています」
「あー、よく寝ました。おやおやずいぶん怯えた老人がいますね。神の威光にやられたのでしょうか」
エーがバケツから下りてエージェントをバケツに嵌めると、すぐに目を覚ましてくれた。確認していなかったが予想通りでよかった。エージェントはフェニックス本部に送る情報を自分で取捨選択している。そうでなければ社長が10年前から一緒にいたエーの存在を知らないはずがない。つまり向こうはエーが女神型ロボのほとんどの機能を失ったことを知らないってわけだ。ようするに、俺には逆らえない。
「さてと。じゃあ改めて、契約を結びましょうか。クソジジィ」