第3章 第6話 夢バトル
さーて面倒なことになった。なぜかは知らないけどやけに俺との復縁にこだわっている咲が、夜の男の家でメイド服を着ている光に出くわしてしまった。俺が勘違いされるのは別にいいが、光は今やアイドルの卵。そのことを知られていたら……いや、俺でもすぐには気づけなかったんだ。面識がないであろう咲が光だと気づけるはずがない。
「あーあなた知ってる。越前光さんでしょ? いいのかな? アイドルが男の人の家にいて」
クソ、駄目だったか……。こうなっては仕方ない。優先順位は明らかだ。俺が咲と付き合ってでもこのことは内密にしてもらわないと光の未来が……!
「残念。わたしもうアイドル辞めましたから」
「はぁっ!?」
アイドルを……辞めた……? いや……10年後は、って話だよな……でなければ……。
「……お前ちょっと来い」
光の手を引いて廊下に出る。ここなら咲に声は聞こえないはず。
「アイドル辞めたってどういうことだよ」
「正確には養成所入りをキャンセルしたってことです」
「……それは。過去に戻る条件みたいなもんか……? アイドルだと俺とは一緒にいられないからみたいな……」
「先輩は関係ありません。わたしがやりたくないから辞めたんです」
「そんなわけないだろ!?」
俺は知っているぞ。光がどれだけアイドルに本気だったかを。どれだけ努力を重ねてきたかを。カラオケに行けば周りの空気も読まずに本気で歌い、酒が大好きなのにキャラを守って外では飲もうとはしなかった。周りの目がある時は俺やパーさんとは距離を開けてたし、本当は仲良しなのにガラの悪い翠とも付き合いを制限していた。暇さえあれば他のアイドルを研究して、特技を作ろうとパーさんにイラストを教わっていた。そんな光がアイドルを辞めたいだなんて言うはずがない。それはどんな世界線でもだ。
「……逆に聞きますけど。先輩わたしが養成所に合格するまでわたしがアイドル志望だって知ってました?」
「……いや、聞いてないと思う」
「その程度なんですよ、わたしにとっては。周りに言うのは恥ずかしけど、叶ったらうれしいな。その程度の夢です」
「でも……夢ってそういうもんだろ。誰かに話したら叶わなくなるっていうか……それだけ本気だったっていうか……!」
「わたし程度で本気なんて言ったらパーさんに失礼ですよ。本当にいいんです。そのためにタイムリープしたって言っても過言じゃないですから。賞味期限が10年程度の職業なんてやってられないです」
「でも10年分の経験があれば……もっと上までいけるだろ。テレビに出て、誰からも知られるアイドルになれれば……」
「過去に戻った程度でどうにかなるほどアイドルの世界は甘くありません。というより、今から10年間。もう一度努力できるほど、わたしは子どもじゃありません。普通に恋愛して、大学に通って、周りの目を気にせずみんなと遊びたい。それがアイドルをやっている時のわたしの夢でした。その夢を叶えたかったんですよ。普通の女の子になりたいっていう夢を」
「…………」
光が決めたのなら俺がごちゃごちゃ言う権利なんてない。自由に遊んでくれて構わない。……それでも。
「一ファンとして。俺は、お前ならもっと上に行けるって思ってるよ」
「……ありがとうございます。あとでサイン書いたげますね」
光の事情を確認し終え、咲のもとに戻る。ソファに座って脚を伸ばしている咲のもとに。
「待っててもらったところ恐縮だけどさっさと帰れ。もうお前と話すことはない」
「そんなこと言わないでよ。私と光輝くん、きっと上手くいくと思うんだ。それとも越前さんと付き合ってるの?」
「ええそうですよ。わたしと先輩はラブラブです」
「ちょっと来い!」
また事情が変わった。光が誰と恋愛しても自由だけど、こんな状況とはいえ俺と付き合っている設定はまずいだろう。もしこれが学校の奴らに知られたらまた自由に恋愛ができなくなる。そのことを伝えるために光を廊下に連れ出そうとしたが、途中で止まった。そして赤らんだ顔で、俺を見上げる。
「……先輩なら、いいですよ」
……それは。どういう意味だろうか。考える間もなく、後ろで咲が勢いよく立ち上がった音がした。
「まぁいいや。私は諦めない。私の幸せを掴み取るために」
咲が上着を羽織り玄関へとすたすたと歩いていく。その背中に光が声をかけた。
「こっちも知ってますよ、愛生咲先輩。光輝先輩が有名になったことで知られちゃったんですよね? 先輩が浮気して英雄を振ったことを。そのせいで両親の仕事に影響が出ている。10年後には倒産する……可能性があるほどに」
「…………」
咲は振り返らないし答えない。ようやく俺に復縁を願い出た理由がわかった。そして明らかになったことはもう一つ。
「俺のことが好きなわけじゃないんだな」
「……そんなこと」
「いやいいよ、どうでも。お前が俺を好いていようがいまいが興味ない。お前が好きでもない奴と付き合えることくらい知ってたから」
「…………」
咲の両親は大樹との浮気を知って認めているような奴だ。同情なんてしないし、やるべきことは変わらない。
「これで終わったと思うなよ。まだ俺はお前に勝ってない。こんな偶然なんかじゃなく、実力でねじ伏せてやる」
小さくなっていく後ろ姿を見送り、俺は鍵を閉めた。