第2章 第5話 運命
「そんな……私と光輝くんの愛の10年間は存在しないことになってるの……!?」
全ての話を聞いた忍さんは、仕事が関わっているか素早く状況を理解すると風呂場に崩れ落ちた。同情する。俺が同じ立場だったとしたらと思うと、とても正気ではいられない。でも俺に記憶がないのはどうしようもない事実だ。
「じゃあ私と光輝くんは結婚できないってこと……!?」
「いいえ。忍様が未来に戻れば、そこには忍様との思い出を持った光輝様がいます。言わば今ここにいる光輝様だけが特異点。その問題はありません」
細かい理屈は俺にはわからないが、おそらくエージェントがそのAIで修正を行っているのだろう。それを聞いた忍さんは何とか元気を取り戻し、タオルを巻いて立ち上がる。
「じゃあこの光輝くんは私のことを何も知らないんだね……」
「いやずっと友だちだった。ただ付き合った記憶がないっていうか……」
「なら初々しい光輝くんが楽しめるってことかな……それはそれで……」
「なんか怖いこと言ってない?」
何にせよ忍さんの幸せが維持できるようならそれでよかった。後は俺の問題だ。
「悪いけど忍さんとのなれそめ教えてくれる? ちょっと想像ができなくて……」
「私が殺人鬼に襲われたところを光輝くんが助けてくれたの」
「なんか俺かっこいいことしてない!?」
殺人犯!? 助ける!? 俺が知ってる過去にそんな非日常な出来事は存在してないぞ。俺が咲と別れただけで何でそんなことになってんだよ……。
「付き合うきっかけになったのは、今年7月の体育祭。そこに殺人鬼が現れて、光輝くんが私を守ってくれたんだ」
「じゃあ俺がかっこよく殺人鬼を取り押さえたからそれで惚れたってこと? 俺にそんなすごいことできるとは思えないんだけどな……」
「ちょっと違うかな。光輝くんは私を襲おうとする殺人鬼を取り押さえようとして、包丁で刺されて返り討ちにあった」
「ダサくない!?」
「実際に取り押さえたのは大樹くん。光輝くんが刺されて隙ができたところを取り押さえた」
「かませすぎない!?」
「誰も殺してないから正確には殺人鬼じゃないけど、犯人を取り押さえた大樹くんはお手柄高校生として表彰された。兄を傷つけられた怒りを抱えながらも決して犯人を傷つけなかったイケメン高校生として世間に名を売った大樹くんはそのまま芸能界に入って、今では知らない人はいないくらいの有名人になってるよ」
「ちょっ……まっ……えぇ……」
「でも私にとっては光輝くんが一番のヒーロー! 愛してるのは光輝くんだけだよっ」
「いや……でも……あぁぁ……」
ほとんど裸の忍さんに抱きしめられるが俺の意識はそこにはない。なんだその俺のどうしようもない感じ……。当て馬じゃん引き立て役じゃん……。そしてめちゃくちゃ俺っぽい……。しかもあれだろ?
「俺これから刺されるんだよな……」
「うん。結構重傷だった。本当に危ないところだったんだって」
「じゃあ俺その未来変えたいんだけど……」
「だめだよ! あれがないと私と光輝くんが付き合えないかもしれないもん! あーでも光輝くんが刺されるのやだな……すごいやだ。でも付き合えないのは……うぅ、すごいジレンマ~~~~!」
忍さんは悩んでいるようだけど……どうしよう。刺されたくないけど、刺されなかったらこんなに俺のことを好きで明らかに彼氏がいなかった時よりも幸せそうな忍さんを消したくない。でもなぁ……痛いの嫌だなぁ……。
「エージェント、何とかならない?」
「何とかはできますよ。人の記憶を弄るくらい朝飯前です。何もなくても付き合うよう記憶改変すればいいだけです。あ、私は朝飯など食べませんが」
「それもやだ! なんか真実の愛じゃないっぽい!」
「では刺された直後に私が傷を治しましょう。たとえ死んでいようが私なら元に戻せますよ」
うーん……確かに解決策なんだけど、なんかズルっぽい。それ以前に。
「その殺人鬼って俺が辿った歴史では存在しなかったよな。何が原因でそんな事件が起きたんだ?」
「私にはわかりかねます。私は何でもできますが、それはできるよう設定されているから。つまり与えられていない情報を得ることはできません」
「私ある程度知ってるよ。動機は忘れちゃったけど、犯人は私の同級生、若林優。おとなしい子だったんだけどね~」
若林優……どこかで聞いたことがあるような……。でも俺の一個上ってことは関わりないよ……あれ……?
「合コンにいた……!」
思い出した……5人いた女子の内、忍さん翠でも、大樹の隣にいたわけでもない残りの女子。それどころじゃなかったから記憶は薄いけど、だからこそちょっと地味めのおとなしい女の子だった気がする。
「じゃあ俺のせいじゃん……!」
理屈はわからないが、元の歴史にはなかった合コンが発生したことにより殺人鬼が誕生した。つまり俺が余計なことをしたから、若林さんが犯罪者になってしまった。それは……それは……!
「俺が止めないと……!」
自分がしでかしたことは自分でケリをつけなければならない。これは人として当然のことだ。
「でもそれって光輝くんが悪いんじゃなくて、運命のちょっとしたズレでそうなっちゃっただけでしょ? 事故みたいなものじゃない?」
「でも……俺が原因なことに変わりはない……!」
「でもあの事件がないと私と付き合う未来がなくなっちゃうかもしれないんだよ!?」
「その点についてはご安心を。光輝様から見たらそうかもしれませんが、私が実際に行っている修正は、光輝様を別のパラレルワールドに移動させることに近い。つまりは今のあなたに生じるリスクはありません」
決まりだな。俺は7月に行われる傷害事件をなくす。そうすれば大樹の異常な成功もなくなるはずだ。そんな棚ぼた的な行為で手が届かない位置に行かれると、本当に勝ち目がなくなる。正々堂々、正面からあいつを潰さなければ意味がない。ギターを練習しても意味はない。ただ刺されただけで幸せになっても意味がない。ちゃんとした努力で、大樹に勝つ。自分が成長できれば俺にめちゃくちゃ惚れている忍さんにも報いることができるはずだ。
「俺が運命を変えるんだ」
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