第1章 最終話 負け犬の遠吠え
正直言って、俺は調子に乗っていた。忍さんからの疑似告白、アンドロイドに感情を教えるというシチュエーション、ここ最近の調子の良さ。まるで主人公になったような感覚だった。
だから忘れていたんだ。この26年間を。俺が何をしても上手くいかない、どうしようもない負け犬だということを。
「……は?」
かっこつけてエージェントにあえて自虐をした俺は咲がいるテニスコートに向かった。そこで見た。
フェンスも挟まず、口づけをしている、咲と大樹を。
「……あっ」
俺の姿を横目で発見した咲が慌てて口を離し、次いで俺に気づいた大樹がその背中に腕を回す。まるであの夜のように。
「なに……やってんだよ」
そう訊ねるしかなかった。理解できなかった。だってまだ、1週間だぞ。付き合ってから1週間だ。それなのに、他の奴とキス? ありえないだろ。理解できない。咲が何を考えているか、わからない。
「初めから……俺を騙してたのか……?」
フリーズした脳で辛うじて出せたのは、タイムリープ前の咲の言葉も嘘だったという可能性。初めは俺が好きだと言っていた。それすら嘘で、初めから俺を騙していたのなら。まだ、耐えられた。
「違う……っ、光輝くんのことは、好きだよ……? でも……ほら、大樹くんの方が……かっこいいから」
でもその答えは、俺と大樹を天秤にかけ、俺が負けたことを示していた。
「それに……付き合ったのにキスもしないし……大樹くんは私を気持ちよくしてくれたから……」
「……当たり前だろ。まだ付き合って1週間だぞ……」
元の時間で初めてキスをしたのは高2の秋。文化祭の準備で誰もいない教室で初めてキスをした。緊張しすぎてその時の感覚は覚えていない。
次のステップに進んだのは高3の夏。両親と大樹で旅行に出かけたので、咲を家に呼んで、した。初めは昼にしようとしたけど上手くいかなくて、夜にまたそういう雰囲気になって、した。
「わりぃな兄貴。お前の彼女の初めて、全部もらっといた」
俺が初めてだと言っていた。事実向こうだって苦戦していたはずだ。
「ぁ……ぁ……」
俺の記憶の中の咲の姿が崩れていく。紅く染まった頬。ぎこちない笑顔。終わった後の幸福。俺が信じていた彼女の姿が、粉々に崩れ落ちていく。
「おいおい泣くなよ兄貴情けねぇな。お前の言う通り1週間付き合っただけだろ? どんだけ惚れてんだよ。わりぃな俺が寝取っちまって」
1週間じゃない。10年だ。あの日流せなかった涙まで、思い出したかのように溢れてくる。
そう。俺は泣いていなかったんだ。10年間裏切られても、涙は出なかった。だって知らなかったから。大樹に騙されていたのなら、俺が知らないのも当然だ。だって大樹に勝てるはずがないから。
でも今は。10年のアドバンテージがある俺なら、勝てると思った。事実勝っていたんだ。1週間前までは。大樹に勝てて浮かれていた。でもそれは勘違いだった。俺は負けていたんだ。10年間も経験を重ねても、俺は負けた。
悔しい。悔しい悔しい悔しい……! 絶対に、勝てると思ったのに……!
「大丈夫だよ……光輝くん。私光輝くんの方が好きだから……心は光輝くんに満たしてもらって、身体は大樹くんに満たしてもらう。これってどうかな? それならみんな、幸せに……」
「俺は! 負けてないっ!」
叫ぶ。負け惜しみを。負け犬の遠吠えを上げる。
「まだだ……まだ決着はついてない……! まだ高2だ……まだ未来があるんだ……! この先勝てば……!」
「はっ、だっせぇな。まだ負けてない? 勝ち負けじゃねぇだろ? この世界は。いつまでもそんなガキみたいなこと言ってんなよ」
ガキみたいなこと……か。その通りだ。俺は何も成長できていなかった。26歳になっても、いつまでも昔に囚われている。コンプレックスの塊だ。どうしても超えられない高い壁を見上げるのを止められないでいる。さっさと諦めて脇道に逸れられれば楽になれるのに。
「いいよ……わかった。そうか……そうだよな……」
もう諦めよう。初めから無理だったんだ。咲と付き合うことは。咲と結婚することは、10年前に戻ろうが叶うことはない。
「ごめん、咲。俺は咲に幸せになってもらいたかったんじゃない。俺の手で咲を幸せにしたかったんだ。何もできない俺だけど、咲だけは幸せにすることができたって自慢して死にたかった。自分勝手でごめん」
でもそれはもう、叶わない。
「ほんとに好きだったんだよ。俺が他の人にも劣る分、他の人の何倍も愛して、幸せにしたかった。……結局自分のことばっかりで咲の気持ち考えてなかったのかもな……ごめん」
叶わないなら、後はもう。
「俺を騙したこと、後悔させてやる」
俺にできることはそれしかない。
「俺と付き合ってればよかったって後悔させてやる! がんばって成功して、やっぱり俺と付き合いたいって言ってももう遅いって振ってやる! 覚えてろよ! 最終的に勝つのは俺だ! お前らが負けるんだ! ざまぁみろ!」
「……こんなのが兄で後悔してるよ。普通そういうのって無意識っつーか、気づいたらって感じだろ? 恥ずかしくねぇの?」
「俺がそんな都合のいい人生歩めるわけないだろ! 意識して努力してようやく人並みなんだよ!」
「……負け犬根性凄まじいな。そんな小物みたいな台詞吐いて……あぁ実際小物か」
そうだよ。俺は負け犬だ。小物だよ。誰かと比較しないと満足できない小物。それが俺だ。どうしようもなく、俺なんだ。
「絶対に! 俺が! 勝ってやるっ!」
負け惜しみの捨て台詞を吐き、俺は逃げ出す。いつか勝つために。一度でもいいから勝つために。俺は咲と別れた。
これにて第1章終了となります。スッキリとしない終わり方で申し訳ありません。この第1章はプロローグ。咲ちゃんのことを捨てられない光輝くんをわからせる章が必要でした。
次章からは、前半の大樹くんへのざまぁ展開のようなストーリーが主な内容になります。ようやく咲ちゃんも復讐の対象にできたので、色々できる展開も増えました。ですが普通のざまぁ作品の主人公とは違い光輝くんには特別な才能や棚ぼたで上手くいく運はないので、ちょっとずつちょっとずつ。自尊心を高めていくような話になっていくと思います。光輝くんには幸せになってほしいなぁ。
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