第1章 第12話 プライド
エージェントによって再び16歳の姿に戻った俺は、忍さんの家を出ると学校に向かった。確か女子テニス部は土曜日は午前中だけの活動だった気がする。
そしてその記憶は確かだった。昼12時近い時間に学校に到着すると、テニスコートでは後片付けが行われていた。おそらく後片付けは1年の仕事だから、たぶんどこかでストレッチでもしてるは……
「……!」
いた。咲がいた。フェンスを間に挟み、大樹と楽しそうに談笑している咲が。
もちろんそれだけで浮気だと言うつもりはない。俺自身忍さんの家で一夜を過ごしたし、今まで交友制限をしたことはない。
それでもあの姿は。フェンスを挟んで笑い合うあの姿は、俺から隠れて浮気をし続けてきたあいつらと被って見えた。
「…………」
俺は2人に見つからないよう迂回し、その場から逃げ出した。声はかけられなかった。冷静でいられる自信がなかった。俺しか知らない10年分の怒りをぶつけてしまいそうだったから。
代わりに向かった場所は、中庭にある池。誰もいないことを確認し、1円玉を投げ落とす。
「あなたが落としたのは金の……」
「人を殺せるか?」
「はい。それでは」
現れたエージェントが言い終えるより早く訊ねると、すぐに頷いた女神型ロボが池の中に戻っていく。
俺がもう1円投げ捨てれば、大樹は死ぬ。手に握っているこの小さなコインを投げ捨てるだけで、咲は俺のものになるし、両親の愛も手に入れられる。たったそれだけのことで、全てが解決する。
「殺さないのですか?」
濁った水面を眺めていると、何も入れていないのにエージェントが飛び出してきた。初めてのことだ。これがAIの暴走というやつだろうか。
「あなたの事情はフェニックス本部から送られてきた情報である程度知っています。大樹様を殺したいのですよね?」
「まぁ……そうだな」
「では殺しましょう。安心してください。自分のために他者を蹴落とすのは、人として当たり前の行動です。私が殺せば証拠も残りません。故にあなたが罪に問われることはありません」
「それはまた……勉強が浅いな」
そうじゃない。そうじゃないんだ。池のほとりに腰を下ろし、近くに落ちていた石を投げ込む。
「俺は大樹を殺したいほど憎んでいる。この26年間……ずっと見下され続ける人生だったから。殺したいよ。死んでほしい」
「ですから私が殺そうと……」
「違うんだよ! お前が殺しても……意味がない。俺が殺したいんだ。俺が殺せれば、あいつを上回ったことになる」
「ですがあなたが殺せばあなたは罪に問われます」
「そうだな。だから殺したくても殺せない。それが人間ってやつだ」
「それはひどく非効率です。殺せるなら殺した方がいいに決まっています」
エージェントの表情に変化はないが、戸惑っているように見える。機械にはわからないか……俺のこの、チンケなプライドは。
「俺はな、エージェント。大樹に死んでほしいんじゃない。大樹に勝ちたいんだ。恋愛でも勉強でも運動でも給料でも、何でもいい。大樹に勝って、俺の方がすごいんだって自分の中だけで満足したい。それだけなんだよ」
「ですがフェニックスが調べたデータによるところ、あなたが大樹様に勝っているものはありません。全てにおいて下位互換です」
「ずいぶんはっきり言うな……わかってるけど」
そう。俺は大樹に勝てない。だから咲は俺のものにはならない。いつだっていつまでも、俺のものは全て大樹に奪われる。それが自然の摂理だ。
「だから諦めた方が効率的、ってか?」
「ええ。その通りです」
「まぁ、そうなんだろうな……」
エージェントや忍さんの言う通りだ。俺には無理だから、別の道を探した方が良いに決まっている。
「でも無理って決まったわけじゃないだろ?」
「いいえ、決まっています」
「決まってないってことにさせてくれよ」
「いいえ、決まっています。あなたは大樹様に勝てません」
「たとえそうだとしても……何も変わらない」
「負けると決まっているのに挑むと?」
「そうだな。負けると決まっていたとしても、まだ俺は負けてない。負けるのは未来の話だ。ここに今生きている俺はまだ負けてない」
「それはとても愚かな決断です。非効率にも限度というものがあります」
話は平行線。全てが叶う女神と、何もできない人間じゃあ交わるはずもない。
「お前、情報がほしいんだろ? だったら俺から学べ。人間はとても愚かで、非効率な存在だって」
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