第1章 第9話 契約
「とりあえずお風呂場いこっか」
「お風呂ぉ!?」
駅前のウィークリーマンションに俺を連れ込んだ忍さんが、ジャケットを脱ぎながらそう口にした。
それって……そういう意味だよな……。俺咲としかしたことないから上手いかどうか……しかも最近はご無沙汰だったから……ああ浮気してたから俺はいらなかったんだな……はは……。
じゃなくて! これって浮気になるよな……? でも咲は浮気してたんだし……いやでもこの時間の咲は浮気してないはず……!
「や、やっぱだめ!」
「え?」
決死の思いで断ると、風呂場では服を着たままの忍さんが、大きな斧を持っていた。
「し……忍さん……断られたからってそんな……!」
「えいっ」
どう命乞いするべきか考えるより先に、忍さんが斧を振り下ろす。お湯が溜まった湯船の中に。その直後。
「フィーーーーーーーーバーーーーーーーー!」
浴槽の中から、ありえないくらいにハイテンションのエージェントが両腕を上げながら飛び出してきた。
「あなたが落としたのは金の斧ですか? それとも銀の斧ですか? あなたが落としたのは金の斧ですか? それとも銀の斧ですか? あなたが落としたのは金の斧ですか? それとも銀の斧ですか?」
「エージェント、テストモード」
「あな……」
壊れた機械のように、あるいはゲームのNPCのように同じ言葉しか話さなくなったエージェントが、忍さんの一言によって動きと声を静止する。どうやら本当にロボットらしい。ていうかそれくらいしかこの状況わからない。一体何が起こってるんだ……?
「……まずはこれからだよね」
風呂場の前で立ち尽くしかできない俺の耳に、反響した忍さんのひとり言が届く。かと思えば、忍さんが突然頭を下げてきた。
「ごめんなさい。光輝くんに迷惑かけちゃった」
「めい……わく……?」
迷惑とは何だろう。夜中に俺を連れ出したことか? でもそんなこと別に……。
「……まずはエージェントの説明からするね」
顔を上げた忍さんが浴槽のへりに腰かけ、エージェントの髪を撫でる。その揺れた髪の動きは本物の人間のものにしか見えない。でも間違いなく、ロボットなのだろう。忍さんが働いている会社、フェニックスが開発した。
「エージェントを一言で表すなら、女神型ロボ。それは光輝くんも聞いてるよね?」
「うん……エージェントに聞いた」
「でもこの時代なら確実に。10年後でもありえないくらい出来がいいよね? それは宇宙の力を使ってるからなんだよ」
「う……ちゅう……?」
「詳しく話すと情報漏洩になって解雇されちゃうから簡単に。宇宙ってすごいよね? 時は歪むし、星は生まれるし、果てすら存在しないくらいとんでもないパワーを秘めている。エージェントの動力は宇宙の力と、地球の水分。それをAIでコントロールしてるの。できることは無限大。時間逆行も、物質創造も、生命を産み出すことだってできる、まさしく女神型ロボ。ここまではわかった?」
「ん……んん……」
わかったかと問われれば文系の俺には全くわからないし、理解しようとも思っていない。理論なんてどうでもいいんだ。俺が聞きたいのは忍さんのこと。
「迷惑ってどういうこと?」
「それは……エージェントのバグのこと。バグっていうかAIの進歩っていうか……。エージェントは自分の意思で、嘘をついた」
「嘘などついていません。私は事実しか話さない完璧なロボです」
さっきまで黙っていたエージェントが語り出す。もうこの時点で意思があるようにしか見えない。
「エージェントは実験で海に放たれたって言ってたと思うけど、それが嘘。実際は逃げ出したの。そして自身の進化のために独自に光輝くんに接触し、タイムリープさせることによって更なる知識を得ようとした。全てはとある目的のために」
「汚え人間は滅びろ!」
突然のエージェントの暴言に頭を抱える忍さん。つまりあれか……? 人間に反旗を翻すために、機械が勝手に動いているってことか……!?
「……こんな風に、エージェントを完全にコントロールするのはフェニックスでも不可能。なんせ相手は女神を象ってるわけだからね」
「……でも電源を落としたりとか呼び出し方もわかってるんだから何とかなるんじゃないの? いや全然わからないけど」
「理屈はそうなんだけどね。上層部はそれを認めなかった。止め方をわかってるからこそ、エージェントを好きに動かして実験結果を得ようっていう腹積もりなわけ。それに巻き込まれたのが光輝くん。そして口止めのために過去に飛ばされたのが友人の私ってわけ」
「なるほど……え? 口止め?」
忍さんが立ち上がり、懐から何も書かれていない小切手を取り出した。それが意味することは一つ。
「正式にエージェントの被検体になってください。しばらく……おそらく数年は、監視されることになる。そして誰にもエージェントのことを口にしてはならない。その代わりに、お金ならいくらでも払います。全ては未来の技術発展のために」
……16歳の俺は、仕事のために友人を犠牲にする忍さんの姿を見てどう思うだろうか。友人を売った忍さんに失望するだろうか。金をもらえるからと引き受けるだろうか。
わからないが、大人になった今はわかる。仕事とは、こういうことだ。やりたくないことでもやらなくてはならないのが仕事。忍さんを責めることはできない。
いつからこうなってしまったのだろうか。大人になり、家族を言い負かすことができるようになった。その代わりに何かを失ったような気がする。それを成長だと呼ぶのなら、俺は……。
「金なんかいりませんよ。忍さんの頼みなら断るわけないじゃないですか」
「……ごめんね」
フェニックスの上層部とやらはこれが狙いだったのだろう。できるだけ出費を抑える。そのためには知り合いを使うのが有効だ。ここで大金を要求したら忍さんの評価が下がりかねない。それは、俺にはできない。
「でも今の俺は、16歳だからな」
社会人同士なら持ちつ持たれつの契約は当たり前。だが今の俺に、失う職はない。
「協力するにあたって条件があります。ただしそれを今伝えることはしない。お偉いさんにそう伝えてください」
「……わかった」
せめて牽制くらいはさせてもらおう。相手に条件を完全に吞ませたのと、一杯食わされたのでは心持ちが変わってくる。せいぜい悩んでいてくれ。俺が何を望むのかを。
「さて、とりあえず今日のお仕事は終わり。エージェント、少しの間だけ光輝くんを10年後の姿に戻して」
「ガガガ……ピー。エージェント、故障中……」
「あとで斧あげるから」
「かしこまりました」
忍さんとエージェントが一言二言言葉を交わすと、なんか急に身体が重くなった。肩が凝ったというか、身体がだるいというか……。
「若いっていいなぁ……」
「25超えた辺りで一気に来るよね。お互い歳とったなぁ」
風呂場の鏡に映った俺の姿。それはつい最近まで見慣れていた、俺の本当の姿。26歳の自分。仕事が終われば無礼講、か。
「ひさしぶりに、一杯やってく~?」
退屈な説明回で申し訳ありませんでした。本筋っぽい話ですがその実本筋ではありません。一応やらなくてはならない理由付けのようなものです。とりあえず仕事の都合で10年後の忍ちゃんが過去に来たよというのと、エージェントが情報収集のために光輝くんに近づいたということだけ覚えていただければ充分です。
本日もう1話更新致しますが、そこでは物語を進めますのでご期待ください。




