第六章
死に関する表現が含まれております。ご理解のうえ読んでいただければ幸いです。
目まぐるしいほど忙しかった春休みはあっという間に過ぎていき、気が付けば、高校の入学式の日が訪れていた。こんなに長く仲たがいのままでいることもなかったため、あれからずっと茉莉のことが気になって仕方がなかった。廊下にできた部活の勧誘に必死な行列をかいくぐり、彼女の姿を探した。
きっとあの子のことだから、私と同じ高校に進学したに違いない。そんな少し自分勝手な妄想を膨らませ、にやつきながら階段を駆け下りた。
「うわっ!ごめんなさ……あれ?」
ぶつかった大きな体の持ち主はガキ大将の龍牙だった。
「わりぃ、ってなんだちびかよ。」
「ちびって……あ、そうだ。ねえ茉莉見なかった?どこ探してもいなくて。」
彼は困惑した表情を浮かべた。
「一ノ瀬?一ノ瀬ならいねえけど。」
「え、いないってどういうこと?この学校に進学したんじゃないの?ならどこに……」
「いや、いねえってのはそういうんじゃなくて……なんつうのかな。」
彼が言葉に詰まっている姿なんてこれまで見たこともなかった。何か、背中に嫌なものを感じた。
「お前ら仲良かったから言いにくいんだけどさ。その、一ノ瀬は中二の時に事故に遭ってそのまま……らしい。」
彼の言葉を受け付けたくなくて、理解したくなくて自然と耳が聞くことをやめていた。遠くから話しかけられたように聞こえ、しばし放心する。数秒ののち死という言葉が脳内を駆け巡り、形を変えて私の頭を殴った。
「え……?は?なに、何を言ってるの?冗談もたいがいに――」
「こんなことすぐには信じらんねえのはわかる。けど……!!」
と、私の絞り出した言葉を遮るように彼は言った。
「やめてよ!!!」
もう何も聞きたくなかった。何も信じられないと思った。茉莉が死ぬなんて、あり得るわけがない。あり得るとするならば、原因は一つしか思い浮かばなかった。
「私が、あの子を突き放したから……?私があの子を殺したんだ……」
「お前、何言って――」
「あの時茉莉を!あの子の気持ちに応えてさえいれば……私の、私のせいで茉莉は……!!茉莉を死なせてしまった……」
「おい大丈夫か?おい、しっかりしろって!」
私はその場で膝から崩れ落ち、泣きじゃくった。心配する彼の声は私自身の声でかき消されてしまった。
それからどうしたのか全く記憶がなかったが、気づけば龍牙と二人でグラウンドをぼんやりと眺めていた。どうやらここは校舎裏にあたるようで、昔はここに中庭があったらしく、芝生が一面に広がっていた。もうほとんど散ってしまった桜の木の下で龍牙と二人並んで座っているこの状況は異常なはずなのに、取り乱していた私を自然と落ち着かせてくれた。
「少しは落ち着いたかよ。」
「うん……ごめん。あ、ホームルーム始まって――」
慌てて立ち上がろうとした私を龍牙は引き留めた。
「もうとっくに終わってるって。ほんっと真面目なのな、お前。」
彼の皮肉に苦笑した。
「一ノ瀬とお前の間で何があったか知らねえけどさ、お前が一ノ瀬を殺したって言ってたよな。」
恐る恐るといった感じで彼は核心をついてきた。
「……殺したも同然っていうのが正しいのかな。」
そう言って私は、中学二年のあのとき何があったのか、龍牙にすべて話した。淡々と語る中、彼はただ静かに私の話が終わるまで聞いてくれた。
「……ほら。」
無愛想に龍牙はハンカチを私に突き出した。いつの間にか涙がこぼれていた。
「俺から見たら、一ノ瀬は幸せ者だと思うけどな。」
「どうして?」
「どうしてって……お前にあんなに大事にされて、死んでからも想われてるだろ。俺は、自分がろくでなしなことくらいもう分かってんだ。だからきっと俺はみんなに恨まれて死んでいく。」
「そんな――!」
私の糾弾を避けるように彼は言葉を遮った。
「いいんだ。俺はそれでいいと思ってるから。けど、お前ら見てるとちょっとだけうらやましく思う。俺もああなれたら良かったのにってな。それがむかついてお前を殴って憂さ晴らししてた……と思う。」
かっこわりいと言いながら彼は頭を掻いた。
「なあ、今お前、自分も死ねば一ノ瀬は許してくれるとか思ってんじゃねえか?」
的を射た言葉に驚いて龍牙の顔を見た。
「図星かよ。そんなことしても一ノ瀬は許さねえと思う。それに……これは俺個人の勝手な願いだが、お前には生きていてほしい。」
急に真剣な顔でそんなことを言うものだから、顔が一気に熱くなり恥ずかしくなった。目線を下にそらして混乱した頭を整理する。
「一ノ瀬の前でだけ、お前は太陽みたいな笑顔を見せてた。その笑った顔が、俺は好きなんだ。今だってお前に笑ってほしいと思ってるのに全然うまくいかねえし……やっぱ一ノ瀬みたいにはできねえな。」
乾いた笑い声が遠くから聞こえる。混乱しすぎて口をぱくぱくさせることしかできなかった。
「龍牙は、てっきりその、茉莉が好きなんだと思ってた。え、もしかして私のことが……好きなの?」
ようやく口から出た言葉も恥ずかしすぎていたたまれなかった。
「はぁ!?別に好きとかそういうんじゃ――!」
龍牙は顔を真っ赤にして慌てた様子で否定した。
「あ、いやその――あーもう!!そうだよ!俺は零が好きなんだよ!!」
私の表情を見た彼は口ごもり、弁明の素振りを見せたと思ったが、ややあって半ば逆上したような口調で乱暴に告白した。
「……え?あの、ちょっと状況が理解できない、んだけど……」
説明を求めようとそっと顔をあげると、耳まで真っ赤にした彼がそっぽを向いてしまった。
「……ふっ。ふふふっあははっ」
その様子があまりに彼の印象とかけ離れていて、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
「お前、これで笑うのかよ……ってか笑うなよ!あーまじだっせえ……」
「ふふっ、ごめんごめん。はぁー……いやでも、かっこよかったと思うよ。ちょっとだけ。」
「へえへえ。慰めてくれてありがとよ。」
彼は拗ねてしまったが、それもまた照れ隠しの一つだろう。少しだけ、彼を可愛いと思った。
「ありがとう。私のこと、ちゃんと見てくれる人がいるって分かってすごい嬉しい。へ、返事はちょっと……時間もらっていいかな。」
「……そうか、わかった。いつでも待ってる。じゃ、元気になったみてえだし俺はそろそろ帰るわ。お前も、しんどかったら保健室とか行けよ。」
「ありがとう。」
龍牙のおかげで心にさした影がすっと消えた。スカートについた人工芝を払い、私も教室棟へ向かった。こうして出鼻をくじかれて始まった高校生活は意外にも順調に過ぎていき、あっという間に卒業の日を迎えてしまった。
三年間の思い出が、走馬灯のように頭を巡る。
どれ一つ取っても茉莉の姿はない。彼女と過ごした日々はどんどん遠ざかっていく。まるで雑踏の中に見えた彼女の幻想を追いかけるような感覚でいずれ彼女を見失ってその存在ごと儚く消えて忘れ去ってしまうのかもしれない。悲しいほどに人は忘れる生き物だから。――ならば、その日が来るまで彼女を想い続けよう。そのくらいのことしかできない自分に歯痒さを感じながら、ぼんやりと考えを巡らせていると、卒業式は終わっていた。
茉莉はもういない。この世のどこにも。彼女は私にとって一番の光で何ものにも代えがたい存在だった。それを私自身で消してしまったことに変わりはない。後悔と懺悔の念は一生拭えないだろう。
けれど、そんな私を見てくれる人がいる。必要だと言ってくれる人がいる。その事実もまた変わらないのだと彼が教えてくれた。
そのことが私の背を押し、前を向けと励ましてくれる。私はこのとき、あの子の分まで生きていこうと固く心に誓った。
時は瞬く間に過ぎていき、社会は私を大人に変えていった。
あの子がいない寂しさに耐えかねたとき幾人かと体を重ね、温もりを感じたが寂しさが消えることはなかった。その度に彼女と過ごした日々を思い返し、彼女が愛した私がまだ存在しているかを確かめた。
もともと人付き合いが苦手な私に恋愛は不向きなようで、体を預けることはできても、心にはいつも壁を感じていた。そのことに相手も気づくと、自然と私のもとから離れていった。
彼らは私を少なからず好意的に思っていただろうに、それに応えることが出来ずいつも申し訳無さを感じていた。
こんなことをしている自分を、茉莉はどう思うだろうか……きっと明るくて優しい彼女のことだから、相手が悪かったとかそんなようなことを言うのだろう。白む朝を窓際で眺めながら優しかった彼女を思い出した。
そのときふと、龍牙ならどう思うのかという疑問が浮かび上がった。
龍牙とは……高校の中庭で話をしたあの日以来、まともに話ができる機会がなくそのまま時が過ぎてしまった。――いや、実際はチャンスなどいくらでもあったのだろう。しかしあんなに鮮烈な告白をされた手前、一体どんな顔をして彼と話をすればいいのかわからず無意識に彼を遠ざけてしまった。
もやもやした気持ちを抱えたまま大人になってしまった。そんな折、中学の同窓会によばれ、断る理由もなかったため行くことにした。
華やかな場には少し慣れないが、同級生が皆着飾って普段より美しい姿が見られたことは僥倖だった。一次会は早々にお開きの雰囲気になり、みな二次会の場所を探して話し合っていた。さすがにこれ以上飲んでしまうと明日の仕事がままならないと思い、静かに会場を出ていく。
「もう帰んのかよ。」
少し寂しそうな低い声が、不意に私の上から降ってきた。
「りゅう、が……」
彼の姿を見て、胸がざわついた。この気持ちに名前を付けてしまったら、きっともとには戻れなくなる。そんな予感がした。
続く