第四章
ようやく自分たちの中で“卒業”の二文字が形になって表れた小学校最後の冬。
振り返ってみれば嫌なことはたくさんあったけれど、それと同じくらい楽しいことがあった六年間だった。そう思えるのはまつりと、うたのおかげなのだと改めて二人の存在が貴く思えた。
そんな風に感慨にふける横でまつりは冬にふさわしくない格好で寒がっていた。
「うう……寒い。こごえ死んじゃう。」
「そんな薄着じゃ寒いに決まってるでしょ。」
十二月になって、風が冷たくなってきたにも関わらず彼女はひざ丈のスカートで上着も着ていなかった。もともと寒がりの自分は、マフラーを巻いていたがまつりの姿を見ただけで寒気がしてきた。
「だって今日晴れってあったから……」
「だからって……もう、はいこれ。」
たまらず自分のマフラーを巻いてあげた。首元がさらされて今にも凍えそうだが、まつりに風邪をひかれて休まれるよりは何倍もましだった。
「ありがとう。」
あったかいと言いながら微笑むまつり。その顔を見られただけで、寒さも気にならなくなった。
「あ、そうだ。今日れいの家に遊びに行ってもいい?」
「え、うん……え?」
「やったあ!」
満面の笑みで喜ぶまつり。流れに任せて承諾してしまったが、これは相当まずいことになったのではと素直に喜べなかった。
「ただいま……」
「おじゃましまーす!」
結局断れないまま、連れてきてしまった。両親……特に母がいないことを願いたいが、自分にひいきしてくれる優しい神様などいないと分かっている。
「おかえり――あら、お友達?いらっしゃい」
案の定、母が家にいた。
そそくさと自室に通し、ほっと息をつく。かと思えば、ノックもなしにお茶とお菓子を持った母が入ってきた。
「これ、ふたりでどうぞ。」
「わぁ……ありがとうございます!」
「お、お母さん。そういうのいいから……」
追い出したい自分の言葉も聞かず、母がまつりにあれこれ聞く。
「どこに住んでるの?」
「まあ転校してきたの?どこから?」
「うちの子とは仲良しなの?」
「お母さんはどんな人?お父さんはどんなお仕事してるの?」
「ちょ、ちょっとお母さん、やめてって、ば……」
デリカシーのかけらもない質問の嵐にこれはよくないと仲裁に入る。
だがそれがよくなかった。
「あんたはちょっと黙ってなさい。」
「はい……」
面など被っていないはずなのに、母の顔には能の女面がはっきり見えた。その顔が怖くて、小さく返事をするしかなかった。
「それで、どうなの?まつりちゃん」
矛先が再びまつりに向かう。
「……」
まつりは静かに微笑んでいた。それだけなのに、いつもの微笑とは何か違う気がした。
「あ、私お邪魔だったみたいね!ごめんなさいねぇ。おばさんと話しても楽しくないわよね!あ、これよかったら食べてね。」
まつりの顔を見た母は突然焦った口調で取り繕っていそいそと部屋を去って行った。
「……ご、ごめんね。お母さんがうるさくて。」
「ううん。れいのお母さん面白いね。」
まつりはそう言ってくれたものの、内心恥ずかしくていたたまれなかった。
その後まつりと少し話をしてお開きとなった。玄関先で彼女を見送るとき、母は来なかった。そのことだけが唯一の救いだと思った。
「じゃあ、また明日。」
「うん。また明日。」
それからは、学校でもいたって普通にまつりと過ごした。まつりがこれまで通りせっしてくれることが何よりも嬉しくて自然と笑みがこぼれた。あれから母はあの日以来私にまつりのことを聞かなくなった。うざったい親の過干渉を思わぬ形で終えられたことに不思議と安心した。
ただ、あのときのまつりの笑顔だけが頭に焼き付いて離れなかった。
冬の寒さはいっそう厳しさを増し、凍え死んでしまうのではと思えるほど冷たい風が吹きすさぶ十二月。そんな中で毎日学校に通う自分たちは偉いと思う。学校の先生は、「子どもは風の子だから当たり前」などと訳の分からない理屈を押し通してくるが、そんなことはない。そもそも“風の子”とは何なのだろう……
「バスあったかいなあ。」
「最近外めっちゃ寒いもんね。」
学校側が冬の間だけバスの送迎をするようになったのは自分たちが五年生になってからだった。取り入れるのが遅いと文句を言いたいところだが、いまさら言っても仕方ない。それに雨汰君と登下校が一緒になり、三人で過ごせることがとても嬉しかった。
少し前にうたと話をしていたらまつりがすねたことがあったが、今は渋々と言った様子で受け入れてくれている。彼女自身も気づいていないが、うたと本当は友達になれて嬉しいが表情に出ないよう必死に隠しているのだった。我慢した顔はとても面白いが、怒られるので絶対本人の前では言えない。
「おっはよう!」
うたと話をしていると、まつりがいる乗り場に着いていたようだ。こちらに向かって彼女は元気に挨拶してくる。
「おはようまつり。」
「まつりちゃん……お、おはよう」
自分たちもまつりに挨拶を返す。他愛ない会話をする、何気ない毎日が過ぎていった。
そんな日々はあっという間に過ぎ、卒業の日がやってきた。
「桜の花も日ごとにふくらむこの良き日に……」
おじさんたちのつまらない話のせいで眠たいのをぐっとこらえながらもなんとか式を終えることができた。隣の市にある中学校に春から皆通うため、別れを惜しむ涙は一粒も出なかった。むしろ今より広い環境に同じメンバーで放り投げられるこの先のことが不安で仕方なかった。
「れい、ちゃん……」
ぼーっとしていたらうたが声をかけてくれた。
「うた君。どうしたの?」
彼はなぜか自分よりも不安げで今にも泣きそうな顔をしていた。
「あ、あのさ、僕春には別の学校に行っちゃうけど、これからも友達でいてくれる……かな?」
「もちろん。後でライン交換しよう。」
そう返すと、泣きそうな顔が一転し目を輝かせ何度もうなずいた。うたとしばし談笑していると、後ろから声をかけられた。
「おい、ちょっといいか。」
振り向くとそこには龍牙がいた。
「え、わ、わたし?」
「ああ。ちび!こいつ借りてくぞ。」
「は、はいっ!」
うたにそう言い残し、龍牙は自分を人気のないところまで連れてきた。
「な、なんなの?」
そう聞くと龍牙は首をかきながら今までのことに対し謝罪した。
「その……今まで悪かったな。」
「え?ああ……うん。」
「なんだよ。」
「あ、いや?そんなことかーとか思って。へへ」
「な……!悪いかよ!」
なぜか逆切れしてきた龍牙にビビる。
「いやいや!全然そんなことは……!その、今度からは私みたいな子を増やさないでね。」
自分が真面目にそう言ったのに、龍牙は
「はっ。なんだそれ。」
と軽く笑ってその場を去ってしまった。
過去のわだかまりも消え、すっきりした面持ちで彼の背を見送ると今度はまつりがやってきた。
「うたに聞いたらあいつがれいを連れて行ったって……殴られたりとかはなさそうね。何してたの?」
わざわざまつりに言うほどのことではないと判断し別にとだけ言った。
「それより、話があってきたんじゃ?」
さりげなく話題をそらす。まつりは思い出したと言わんばかりに顔をほころばせる。
「これ、卒業のお祝いに。」
「いいの?あ、ごめん。私なにも用意してなくて。」
「気にしないで。もらいたくてあげたわけじゃないからさ。」
彼女のプレゼントは手作りのしおりだった。中に押し花が入っていて、とても綺麗だった。
「これは……ナズナ?」
「そう。前に公園でそれを見つけてね。れいはよく本読むし、白が似合うなと思って選んだんだ。」
まつりの話を聞いて、幸せが胸にこみあげて泣きそうになった。たまらず下を向いてこの幸せがこぼれないようにとしおりを胸に押抱いた。
「まつり、ありがとう。ずっと大事にする。」
自分の心からの言葉にまつりもぱあっと顔を輝かせいつものように自分に飛びついた。
「――――」
ぼそっとまつりが何か言った気がしたが、うまく聞き取れなかった。ありがとうとかそんなようなことを言ったのだろうと勝手に思っていた。
このとき聞き返してまつりの心の内をきちんと聞いておけばよかったと後悔している。もし聞いていたなら、彼女と心がすれ違うこともなかったはずだ。今さらそんなことを言ったってすべて遅いことに変わりはない。
続く