スぺ先輩を怖がらせたい
「先輩、牛の首って知っていますか?」
私は所沢駅のエキナカのカフェで対面に座る先輩に聞いた。
有名な都市伝説みたいな話らしいけど、昨日クラスでそんな話をしている女子がいた。
都市伝説や怖い話は夏らしい話題で楽しい。
でも一人だと怖いから、先輩がいればなんとかなるかなと思って話題に出してみた。
「ああ、ネックと呼ばれる部位だな。ひき肉にしたり、煮込み料理にも使うと美味しいらしいから、僕も食べてみたいと思っていた」
「ああ、違います。そういう話じゃないです」
「なんだ、違うのか? どういう話だ?」
首をかしげる先輩。
これは私が悪いのか? 私の説明不足なのか?
そんなことは置いといて、都市伝説の“牛の首”の話を先輩にする。
「なるほど。実態がわからないということなんだな」
私の話を聞き終わると先輩が言った。
この話で先輩を怖がらせたりできたらいいな、なんて思ったり思わなかったり。
「そうなんです」
「実に面白い」
先輩はそう言って眼鏡をくいっと上げた。
ガリレオみたいだなと思いつつ、福山雅治とは大違いの先輩と話をつづけた。
「先輩はどう思います?」
「まず、小花さんは、牛の首と聞いてどんなシチュエーションを思いついたかな?」
先輩から逆に質問された。
「えーっとですね。例えば、家に帰って部屋に入ったら牛の首があるとか?」
「なるほど。小花さん、細かいことを言うようだけれど、その“首”というのは、頭部を指しているのではないか?」
「頭部?」
「そうだ。一般的に首というのは頭と胴体をつなぐところを指す。つまり小花さんの想像しているのは“牛の頭”じゃないか?」
「たしかに……」
「だから言葉の通り“牛の首”が帰った部屋に置いてあったとしたら、単なる輪切りの生肉が置いてあって、その時点で気持ちが悪いので、牛かどうか冷静に判断できないだろうし、もしそれが牛のものだとわかったとしても、部位は首であると判断するのは難しいだろう」
なんという理詰め……。怖い話のはずが、推理ゲームをしているようだ。なんて感心している私がいる。
でもだとしたら、私は何で最初に牛の頭の想像をしたのだろうか。
「先輩、武士が首を討つとか、首を持って帰るとか、首自体が頭のことを指しませんか?」
「ああ、そうだな」
「ですよね。それじゃあ私は間違っていないじゃないですか」
「そうだ。間違ってはいない。だけれど、中身がわからない言い伝えに解釈を無理矢理つけるのであれば、重箱の隅を楊枝でほじくる必要がある。まあ“九マイルは遠すぎる”みたいなものだ」
最後のはよくわからなかったけれど、先輩の言いたいことはわかった。
「それじゃあ、牛の首の話が、頭ではなく本来の首だったらどうなるですか?」
「どうにもならない。それよりも牛について考えてみよう」
「はあ……」
先輩がなんだか楽しそうにしているので、従っておく。わからないことに対して考えることが好きなのだろう。
「牛は丑とも書き替えられる」
私の手のひらに先輩が漢字を書いて教えてくれる。少しくすぐったかった。
「丑三つ時の丑ですか?」
見たことがあったので聞いた。
「そうだ。昔は二十四時間を子丑寅と干支で十二等分していた。丑の時は一時から三時の二時間を指す。ちなみに丑三つ時は、十二等分したものをさらに四等分した三つ目、つまり三十分刻みの三つ目。すなわち丑三つ時は二時から二時半までのことだ」
「そうなんですね」
ちょっと半分理解できなかったけど、まあ深夜だということはわかった。
「そこで、さっきの首の話とくっつけて考えてみる」
顎に手を当てて考えている先輩。
「はい……」
さて、続きはどうなるのだろう、とドキドキしながら答えを待つ。
先輩が眼鏡をくいっと上げた。
答えが出たのだろうか。
「だから、つまり、深夜に寝違えたとかそういう話じゃないか?」
「え!?」
なんか急展な結論で驚いた。
「寝違えて首を痛めるのって本当につらくないか? 僕は嫌いだ」
「いや、それは私もです」
「昔の人は今みたいに布団もふかふかじゃないし、よく寝違えたのだと思う。だから丑の首が怖いんじゃないか?」
真面目な顔をして先輩が言う。
「ふふ。そうかもしれませんね」
なんだか面白い話になっちゃった気がした。
「僕が考えられるのはここまでだな」
「私は全然思いつきませんでした」
「それがいいんじゃないか。わからないから怖いんだ。わかろうとすることが、余計恐怖を生み出す。つまり実体のないものの恐怖の具現化という自己矛盾が、その“牛の首”の面白さだな」
「そうですね」
「さて、そろそろ時間だ。出発しよう」
「はーい」
返事をすると、カップを捨てて二人で電車に乗った。